7月29日 麦藁帽子

今朝通勤電車の中で時々睡眠薬代わりに使っている「折々のうた:大岡信」になんとも切ない寺山修司の作品が出てきました。「夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき」です。どこにも麦藁帽子とは書いていませんが私は勝手にそう思いました。放浪しているのだからカッコいいボルサリーノではないだろうし夏だからハンティングでもなかろうしということなのですが、多分相当汚い恰好をしている貧乏学生だと思います。センティメンタルジャーニー。どこかで素敵な人、素晴らしい事に出会える気がしてのバス旅。バス旅といえば先日亡くなった山本コータローの岬巡り、はたまた拓郎の「夏休み」の酸っぱさ加減にも似たどこかふわふわした先行きのなさが妙に心に沁みました。今でも時々あの頃、あの人達、あんな時代を懐かしく思いそしてもう一度希望と悲しみを一杯心に詰めどこかに何かを見つけに行く漠然とした旅に出てみたいとも思いました。