3月30日 西行桜

桜に時期になると「西行」さんが出てくるのですが彼は1190年の旧暦2月16日に亡くなったと伝えられています。新暦と旧暦の換算表でみると3月23日と出てきます。まあ大雑把に今時分ということにするとかれはまさに予言通り望月ではありませんが桜真っ盛りになくなったということになります。「花にそむ心のいかで残りけむ捨て果ててきと思ふ」と俗世の欲はきれいさっぱり忘れてきたはずなのに花が心から離れず困ってしまうとでもいった意味なのでしょうか。あの当時に平泉まで二回も行き、桜恋しさに吉野山にこもったりと尋常ではない恋しようです。桜に狂うというのはまさに彼のことを言うのでしょう。本当にたくさんの花にまつわる歌がありますが中でも「春ごとの花に心をなぐさめて六十あまりの年を経にけり」は私の人生はもう桜さくらで一杯。なんと幸せな人生だろうかとまでは意訳しすぎでしょうが十分すぎるほど彼の思いが伝わってきます。

 

3月23日 西行桜

1190年2月26日新暦に直すと3月23日の今日私の好きな西行法師が河内国弘川寺で72年の生涯を終えました。桜花は今を盛りに咲いていますが西行は死ぬのならこの時期と予言しその通りになったと当時の人々は感心しきりだったとか。花狂いの彼にはたくさんの歌が残っています。各人好きな歌は色々あるのでしょうが能「西行桜」のテーマになっている「花見にと群れつつ人のくるのみぞ あたら桜の科には有ける」は彼らしい歌です。当時の人達も花の下で宴会をしていたのかどうか知りませんが少なくともお花見には大勢がでかけたのでしょう。それを西行は一人で桜に浸っていたいのに煩わしい限りだ、桜の科ではないがと文句を言っているのですね。芭蕉は彼の足跡を辿り奥の細道に出かけたようですがそれより500年ほど前西行は69歳で東大寺の勧進の為奥州藤原氏を頼り平泉まで行っています。元気、興味一杯、色気あり、花狂い、とても枯れた爺ではなかった筈です。

4月1日 営業担当者の雑記

今まさに花見シーズン真っ盛りというところです。西行は「花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」と詠みました。有名な能「西行桜」のテーマです。西行は一人で桜を楽しみたいので今年は花見禁制にしたのに世俗の風流人士たちが世に知られた西行の花を眺めたいとやってきた。迷惑だが折角来たものをむげにも断れないのでお通しする時の西行の嘆き歌(という作者世阿弥の設定)。桜の咎というけれど誰と観るかは問題ではないその人の心こそが肝心なのであって非情無心の草木の花に浮世の科はないという老桜の精の反論。たしかにそれはおっしゃる通りだと西行と老桜の精は一心同体と言える境地になり二人の魂の契りは最高潮を迎えると言う内容。西行と桜の関係を世阿弥が表現するとこうなるというものです。今時の花見とは甚だ趣が違いますがたまにはこんな花見もいかがでしょうか。