4月5日 営業担当者の雑記

今日は久しぶりに寒い朝でした。花冷えとでも言うのでしょうか。先週末には大体桜も満開になっているようですからこの寒さで花の時期が伸びることになるのでしょう。この時期新聞のコラムには必ず「西行」の歌が一つ二つ紹介されますよね。確かに花(桜)の和歌をこれだけ沢山そして様々な表現でその花狂いぶりを表現した人もいないかもしれません。でも平安時代末期戦乱の世に生きた彼は花を愛でただけの軟弱坊主ではなく世を捨てたといいながら結構政治的な動きもしているのですね。ある時は高野山の寺の勧進の為に平泉に行き途中鎌倉で源頼朝をあしらったり同じ職場にいた平清盛に金の無心をしたり。若いころは北面の武士として文武両道に秀で女性にもて出家してからも都と高野山、伊勢、東北を行ったり来たりする行動派で彼の居る所に女御達が慕ってきたといいます。思い通り花の盛りに亡くなったというのは出来過ぎですが。「おしなべて花の盛りとなりにけり山の端ごとにかかる白雲」今年もあと少し花を楽しめます。

 

1月22日 営業担当者の雑記

昨日から随分寒くなり吐く息は白く顔に当たる風は刺すようです。氷点下20度を超すような北国の人たちからは笑われそうですが、このところ比較的暖かかったので余計にそう感じます。どんよりとして雨ともみぞれともつかぬ空をみると「とりわきて心も凍みて冴ええぞわたる衣川見に来たる今日しも」という西行の歌を思い出します。西行大好き人間としてもこの歌はかなり上位に入れたい歌です。頃は旧暦10月のようですがはるばる都から平泉まで歩いてきて何はともあれ嘗ての激戦の地衣川を見に来たがすっかり冬模様で辺りの景色は荒涼としており過ぎ去った歴史を振り返ると心も凍りつくようだ。もとをたどれば奥州藤原氏は西行の親せき筋。世を捨てたつもりの自分も人のはかなさ世の移ろいに思いを馳せ、そして年月を越えても変わらない自然は一層彼の万感の思いを増幅し感慨ひとしおといった心象がひしひしと伝わってくるすばらしい歌だと思います。

2014年4月8日 営業担当者の雑記

西行フリークついでに
あの芭蕉は西行の凄さを心底理解しており小林秀雄の「無常という事」という本中にも「。。即興は彼の技法の命であって、放胆に自在に、平凡な言葉も陳腐な語法も平気で駆使した。自ら頼むところが深く一貫していたからである。流石に芭蕉の炯眼は「その細き一筋」を看破していた。「ただ釈阿西行のことばのみ、かりそめに云ひちらされしあだなるたはぶれごとも、あはれなる所多し」(許六離別詞)とある。」そんな芭蕉の俳句は常に人に見られることを意識し死ぬ間際にまで何回も作句を添削していたという逸話もありとても一筋縄ではいかない句ばかりです。そんな中に会って「命ふたつの中に生きたる桜かな」というのが私は気に入っています。同郷の友人服部土芳と滋賀水口の満開の桜の下で20年ぶりにあった喜びを彼にしては珍しく素直に詠んでいるように思います。桜が取り持つ縁で。

2014年4月4日 営業担当者の雑記

花と言えば西行。
私が一番好きな詩人西行は2000首以上の歌を残しているようですがその中でも特に桜を詠んだ歌は印象に残るものがたくさんあります。生涯花に心を奪われ続けあるときは花に心が浮かれ出るのは仕方ないとしても散った後にはどうかわが身に戻ってきて欲しいのだがと懇願したり、出家した時にすべての執着を捨て果ててきたと思ったのに今だに心が花の色に染まる程花の事ばかり思っていると恨んで見せたりとどれを取り上げても只管桜花のことを詠んだ歌は心を揺さぶられるものばかりです。その中でも私の好きな歌の一つが「おしなべて花の盛りになりにけり山の端ごとにかかる白雲」です。余計な修飾は一切なく唯全山花に覆われすっかり花の盛りになってしまったと詠んだところが却って心地いいのです。心の奥深くを突き詰めた歌が多い彼の作品の中にあって素直に花に出会った感激を詠みあげているのがとても新鮮です。