9月19日 営業担当者の雑記

今日は9月19日は「糸瓜忌」、正岡子規の命日です。有り余る才能を36歳という若さで終えたのですが文学の世界特に短歌、俳句ではひとつのエポックを作った人です。さらに今につながる俳句雑誌の創設あるいは弟市の育成更には各種アンソロジーなどなどその功績は計りせれません。弟子の一人河東碧梧桐の「子規言行録」には子規最後の様子が事細かに書かれています。僅かに残る命を振り絞って傍らの板に書きつけさせた糸瓜の三句は壮絶です。「糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあわず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」この世にいるのか彼岸に行ってしまっているのか辛うじて残る意志の力はこの土壇場でも諧謔というかユーモアというのか少しすっと抜けるような笑いをさそいます。高校からの友達夏目漱石がその訃報を留学先のロンドンで聞いて詠んだ「霧黄なる市に動くや影法師」などの句は漱石の深い悲しみが伝わってきます。

9月20日 営業担当者の雑記

昨日は正岡子規の「糸瓜忌」でした。「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」死にいたる7年間を結核で苦しみながらの人生は35年という極短いものでしたがその中で彼が為した文学に関る仕事は芭蕉、蕪村への評価、ホトトギスの創刊、アンソロジストとしてなどなど膨大のものだったようです。また彼と夏目漱石との友情はなんとも羨ましいものです。子規が病中にあるときには敢えて毎日俳句の添削を頼んだりあるいはイギリス留学に立つ際のエピソードなどその友情は終生続きます。子規が亡くなったことをロンドンで聞きその悲しみを子規の弟子である高浜虚子に送った五つの句は彼の心痛がよく伝わってきます。「手向くべき線香もなくて秋の暮」「霧黄なる市に動くや影法師」「筒袖や秋の柩にしたがわず」彼自身が留学に疲れ身心が弱っていたこともあるのでしょうが生涯の友を亡くした悲痛さがよく伝わってくる句ばかりです。