8月16日 白洲次郎

雨続きとコロナ禍で盆中外出はほとんどしなかったので今朝はすんなり仕事に入りました。さて日経の「私の履歴書」は現在永山治氏。この方中外製薬名誉会長という肩書がついていますがまったく存じ上げません。ただ掲載し始めのころ「白洲次郎」という名前を見つけました。なんでもこの方の父上は、当時吉田首相の片腕として貿易庁(後の通産省)の代表を務めていた白洲次郎の部下として大活躍されたかたとのことで、小さい頃から白洲次郎にかわいがってもらい後年留学したときにも次郎の友達を紹介して貰ったのだとか。白洲次郎といえばイギリス留学時から吉田駐英大使と交流し帰国後首相になった吉田の盟友として、連合国占領下のGHQから「従順ならざる唯一の日本人」といわれマッカーサーに対しても対等に渡り合ったなど数々のエピソードを持つ人です。また次郎の奥方は「白洲正子」といい私の大好きな物書きの一人です。本で知る世界が蘇ってきました。

11月28日 営業担当者の雑記

今日11月28日は白洲次郎の命日です。1985年にその波乱の人生を閉じたのですが私は奥様である正子の著書から次郎のことを知りました。彼にまつわる話はほとんど伝承で何が本当なのか分からない所が戦後の混乱の時期に活躍した次郎の面目躍如たるところかもしれません。マッカーサーを怒鳴りつけたとかGHQの役人にもう少し勉強すれば俺みたいな英語が出来るようになるとか、あるいは後年軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長として予約なしにアメリカの高官を連れプレーしようとした時の総理大臣に「NO」といいプレーさせなかったとかとにかく逸話の多い人のようです。写真を見ると当時としては身長も高くハンサムで中学卒業後滞在していた英国ではベントレーを乗り回していたとか同じ生地、仕立てのスーツを何着も持っていたとかいった格好よさまた胡散臭い経歴と相まって一時期ブームになったのも頷けます。正子が好き勝手出来たのは彼の度量の大きさなのかもしれません。とにかく面白い人だったようです。