7月21日 母親

先日8歳の女の子が母親から食事を与えられず繰り返し入院させられ、母親は入院による共済金をだまし取ったというニュースがありました。これまでにも幾度となく我が子を虐待する母親のことを話題にしましたがこういった事件が起きるたびに「彼女に母性はないのだろうか?」と思います。男親と違って自分の体内でへその緒つながりで養育し大変なお産をしたのちは自分の血液からなるお乳を与えしばらくは四六時中子供の為に時間を割いています。多分母親と子供の関係は父親には理解できない領域だと思っていました。どんなに父親が愛情を注いでも子供は結局母親が好きです。私はずっと、母親は多分動物的に子供を保護するのだろうと思っていたのですがどうもそうではないようです。自分のエステ代とか遊興費のために子供を虐待できる母親がいるということ、それでも母親のことが好きで何とか自分の方を向いて貰おうとする子供。なんとも不憫でなりません。

10月28日 母親の死

昨日10月27日は俳人飯田龍太の母、蛇笏の妻菊野の命日です。子供にとって多分特に大概の男の子にとっての母親は特別な存在だと思います。小さい時からそばにはいつも母親がおり大人になってからも何くれとなく自分のことを案じてくれる存在。父親が静かに見守ってくれているのに対し母親ははるかに近しく時に鬱陶しくなることもあるほどです。私の場合はそうでした。亡くなって13年。これまでほとんど話題にしなかった母親のことが最近になって時々出始めました。ほんの些細な癖や物言いや動作を思い出し子供たちが似ているとかいないとか。龍太に「落ち葉踏む足音いづこにもあらず」もう振り返ってもそこにはいない喪失感。ほんの足音だけでもそれとわかる母の存在がいないさみしさ。また「生前も死後もつめたき箒の柄」というのもあります。彼の母親に対する愛情とそしてその存在が無くなった心の空白を箒に見立てているのでしょう。偉大な母の死。