3月30日 散る桜

今日午後は久々に天気が良く代理店に行く途中新京成常盤平駅近辺を通ったのですが満開の桜はたいして風もないのにハラハラ散っていました。桜狂人西行法師は「春ふかみ枝もゆるがで散る花は風のとがにはあらぬなるべし」と詠いました。また「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春の種になるべき」とも。桜は咲いている時は言わずもがな桜は散るときにも人々に感慨を催します。散るのが惜しくて堪らない、何ともやりきれない思い、あるいは悲しいことではあるがしょうがないまた来年のこの時期まで待とうなどとかの時代の風流人は沢山の歌を作りました。勿論まだソメイヨシノは世の中にはなく山桜が主体だったので咲き方などは今と少し様子は違っていたかと思いますが、西行ほどではないにしても平安の昔から今に至るまで人々は山野に出かけ桜花に酔い、散る花を悲しみ皆さんそれぞれの気分で楽しんできたのですね。私もこの時期が大好きです。

3月26日 散る花

曼珠沙華の時期になると話題にしている松戸金ケ作の祖行院駐車場に咲く桜がとても立派です。この樹はまだ何十年も経ってはいないと思いますがとても発育がよく10m近くあり枝を広げている様はいかにも元気のいい青年を思わせます。今日は大した風でもないのに上の方からハラハラ、ハラハラと花が散りその下で昼食をとっていた私の独り占めでした。陽光の中今まさに満開の花が風もないのに散っていく様はただただこの世に生きていることの意義すら感じさせる春爛漫の風情とは言いすぎでしょうか。この樹はソメイヨシノですが西行の歌に「山ざくら枝きる風のなごりなく花をさながらわがものにする」というのがあります。彼は数え切れないほどの桜の歌を作り死ぬときは桜の時期にと予言しその通りに亡くなったと京の街で当時話題になったというほど桜を生涯にした人ですが、その中でもこの散る花をひたすら愛でる幸せ至極の歌は大好きなものの一つです。

4月3日 営業担当者の雑記

東京の花も今週末が見収めでしょうか。西行はこの時期「眺むとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそかなしかりけれ」と詠みました。花だ、花だと心は舞い上がり何も手に付かず桜を楽しみ続けこれにすっかり慣れ切ってしまっていた。花である限りいつか散ってしまうのは分かっているが悲しいものだ。さらに「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき」とも歌った。花が散ってしまうのはしょうがないことなのでそれはそれとして受け止めるが何か心に穴が開いたようだ。せめて来年の春また桜の花が私の心を一杯にしてくれることを楽しみに待っていよう、と未練たらたら自分を納得させようとしています。西行の凄い所は世を捨て毎年こうやって桜に現を抜かしながら京都に高野山にさらに奥州にと旅を続け歌枕を探り時には頼朝を手玉に取ったりしながら乱世の中歌の道を突き進んだことです。