12月14日 営業担当者の雑記

今日12月14日は「討ち入りの日」ということで嘗ては必ず忠臣蔵の話題があったものです。この話がどこまで事実なのか知りませんが世に広まっている「仮名手本忠臣蔵」の内容であったとしたら江戸幕府は事件の翌年からもう上演された舞台をよく許したものだなと感心します。話は簡単にいえば江戸文化の華、元禄の世に大勢の侍が集まって仇討をしたというもので今で言うとテロみたいなところがあります。それも将軍の御膝元江戸でのことです。江戸幕府が安定していた時期なんだろうとは思いますが何とも物騒な演目には違いありません。町民文化華やかりし頃で「そんな野暮なことをいうな」だったのかあるいは町民のガス抜きなのかいずれにしてもこの時の幕府の対応にはとても興味があります。因みに私が前職で名古屋にいたころ吉良町を尋ねたことがありますがかの地では上野介の善政が語り継がれていました。

12月14日 営業担当者の雑記

12月14日というと言わずと知れた「討ち入り」ですね。旧聞とはいえ多分いろんなところで話題になるのだろうと思いますがよく考えるとこの話は凄いですよね。元禄時代ですから世はもう安定し商人の力が強くなり武士はあまり楽な生活は出来なかったことでしょう。そんな中首都である江戸で大勢の人たちが武器を持ち一軒の御屋敷に強引に入り込みそこの家来たちを脅し殺傷し最後にはそこの主人を殺す。そしてその首級を持ち江戸の町を夜とはいえ目的地まで行進する。そして最後は47人が切腹をする。どこまでが史実かはしりませんがざっとこんな話だと思います。当時の役人、江戸の知事(いたかどうか知りませんが)は其れを聞いた時は卒倒したんじゃないでしょうか。「どうしよう」多分役人は「よりに依って何で俺の時に」と思ったかどうかしりませんが実に大変な事件です。庶民の側から見ると芝居を見ているような気持でやんやの喝さいを送ったのでしょうか。為政者としては本当にその処理に困ったことでしょう。