8月9日 原爆記念日

今日は長崎の原爆記念日です。もう77年間広島で長崎でこの日が来るたびにそして犠牲者の方々の献身的な活動で世界中に「NO MORE WAR」「NO MORE KAKUHEIKI」と訴えてきました。原爆のおかげでもっと悲惨な被害を阻止できたと考えている人たちもいますが、慰霊碑周辺の鎮魂の空気に触れた人々は資料館の惨たらしさを見るまでもなく「原爆は二度と使ってはいけない」と確信するようです。過去幾度となく非戦の誓いをしてきましたが人類は今日に至るまで戦争を止めることは出来ていません。もしかしたら我々の遺伝子の中に戦うことが刷り込まれているのかもしれません。しかし「原爆」はただの殺りく兵器ではありません。人間を影しか残らない程に高熱で焼き尽くし遺伝子を破壊し国土を激しく汚染してしまいます。戦争を理性で避けることができない人類は「核兵器廃絶」でしか途はありません。人類を自らの手で滅ぼしてはいけません。

8月6日 原爆記念日

1945年8月6日南太平洋テニアン島を早朝に飛び立った3機のB29のうち「エノラ・ゲイ」が8時15分広島上空で原爆「リトル・ボーイ」を投下し一瞬にして16万人ともいう人たちが犠牲になった。その後70年以上兵器としての原爆は使用されていないと思います。多分アメリカにはその被害の詳細が残っているのでしょう、そしてその悍ましい被害状況がこれまで幾度となく起きた3発目の危機を思いとどまらせてきたのだと思います。「戦争とは人を殺すことだ」なのでしょう。「ひき寄せて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづれおれて伏す:宮柊二」しかし正義の戦争はありません。まして兵隊でもない人々に対して。世界に向かって誓った原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」。もし広島の被災者の方々にせめて伝えることが出来るなら「皆様の苦しみのおかげで世界中から三度目の被害者を出さずに来ています。」と。

8月6日 営業担当者の雑記

広島74回目の「原爆の日」。つまりあの時に生まれた赤ちゃんがもう74歳、当時の状況を知る人がどんどんいなくなっていきます。どんなに言葉を尽くそうと、どんなに悲惨な画であろうと多分あの日の惨状を伝えることは出来ないでしょう。それでも今残っている人たちが後世にその記憶を伝えていかないと私たちはただ頭でしか怖さを理解できなくなってしまいます。思い出したくないあるいは被爆者であることをすら隠し続けてきたかもしれない人たちに酷なことを承知で「記憶の伝道師役」になって頂きたいと思います。今自国の生き残りを賭けるという名目で必死で核開発を続けている国々がありそれに対抗するためにという理屈で核兵器を持つことを正当化する意見がのさばってきていることに恐怖を感じます。世界で唯一の被爆国である日本は政治的な背景を乗り越えて核の廃絶を訴える義務があります。それは決して夢物語でも空想でも非現実主義者でもありません。なぜなら明日人類が滅亡するかもしれないという現実があり得るからです。