10月31日 読売歌壇栗木京子

読売歌壇は選者が10作品を選びそのうち3作品にコメントをつける形式でして私はいつもその三つの中で自分の気に入ったものを紹介していますが今回は一つをえらべませんでしたので二つご紹介「四年生課外活動の米作りのっぺらぼうの案山子が十五本」と「百歳まで生きよと子等は囃し立つ我の寿命を知る人は誰」歌の対象が子供と老人。どちらもユーモアがあります。京子氏が指摘するように前の歌はのっぺらぼうの案山子、十五本と具体的な表現で光景が目に浮かぶようです。また生きる死ぬをこんなにあっけらかんと表現できるのは作者がとても元気だからでもしご病気だったらもっと深刻になったろうと思います。このご家族の方々が作者のことをとても愛しておりまた作者もみんなに慕われている様子が手に取るように現れています。羨ましいご家族です。四年生が作ったお米は誰が食べるのでしょうか、もしかしたら近所の高齢者にお裾分けなどあるのかも。

 

10月24日 読売歌壇栗木京子

今週の読売歌壇で栗木京子は「経営の神様だって死んでいく注射のうまい看護師の母も」を選んでいます。栗木さんはこのような表現も理解しているのですね。人生の悩み、恋心、日常生活といろんな題材が歌になります。そして今回の作品は母親の死を述べているのですが経営の神様と呼ばれた稲盛和夫さんでも亡くなる:神様が亡くなるというのは少々おもしろいのですがそんなことには拘らず:みんな死んでいくのですね、注射が上手で患者に慕われていた母親も逝ってしまいました。多分悲しみも少し薄れ少し冷静になった今、それにつけても母親は素晴らしかったな、自分の母親としてもそして仕事を持った一看護婦としても尊敬できる立派なひとだったなと回想しているのでしょう。世の中には人の役に立ち亡くなった人は大勢いるが自分の母親もその中の一人として誇りを持っているのですね。直接表現ではないが母親への思慕が思われる挽歌。いい歌です。

10月17日 読売歌壇栗木京子

今回の選は「月は月「ここに旅して来ないで」と言ってる気がする満月の夜:浜田綾子」そうですねー。中秋の名月に合わせた歌でこの日の満月はとても大きくきれいだったのを覚えています。子供にお月さんの絵本を読んであげた記憶もあります。確かお月さんを取ってといった題名??遠くでまん丸お月さんが輝いているのは子供ならずとも神秘的で何か物語を思ってしまいます。ところがもうだいぶ前になりますが人間がお月さんに上陸してしまいました。足跡を付けながら宇宙飛行士がポーン、ポーンと跳ねていました。多分裏側に隠れていたお月さんは「何しに来たの、人の領分にズカズカ入り込んでくるのはよしてくれ」と思ったのかそれとも「お友達になろうね」といったのか?浜田さんは「来ないで頂戴」と聞こえたのですね。NASAによると月は宇宙旅行のメニューに入りそうですがその時は「月語」であいさつをしてほしいですね。一緒に地球見をしようとか。

 

10月11日 読売歌壇栗木京子

今週の栗木氏の選は「鹿児島で買ったみやげのかつお節まるで縄文の石の包丁:甲斐田祥」この方奈良の11歳の小学生。なんとも素直な歌です。これは栗木さんでなければ選ばないような気がします。思った通りを口に出るままに歌にしたような感じです。確かにあの黒っぽい硬い先のとがった形は縄文の石包丁です。学校で習ったのかそれとも考古学が好きで知っていたのか、この場面で出てくるのがうらやましいな。修学旅行で鹿児島に行ったのでしょうか。枕崎は日本有数のかつお節の産地なのできっと修学旅行の日程の中に入っているのですね。こんなに素直に感じたままを表現できればいいな。素直といえば栗木さんの若い頃の作品に「退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らずさよなら京都」という私の大好きな歌があります。素直という言葉以外にはこの状況を言い表せない、そんな言葉です。歌の流れも実に素直で多分栗木さんの性格そのままなんだと思います。

10月3日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「母よ母よムクゲの花の咲きたるぞ底紅愛でしあなたを思う:恒川鋭夫」これにはとても共感します。私の母は花カイドウが大好きでした。生前何故好きなのかを聞き洩らしたのですが梅でなく桜でなく桃でもなく花カイドウというのが母らしいと思います。派手でごてごてしているので私はあまり好きになれないのですが、我が家のほんの小さな庭にも植えました。毎年うるさいほどの花をつけます。そのたびに母を思い出します。もう命日くらいしか思い出さなくなったのですがこの花が咲くと若くてきれいだったころの母が目に浮かびます。亡くなっても母は女なのでしょうか本当にきれいだったころの顔でしか現れません。男はもしかしたら私が特別そうなのかもしれませんがいくつになっても「母っこ」です。働き詰めでほとんど遊んでもらった記憶がなく花に思いを寄せるといった趣味もなかった父親は申し訳ないのですが思い出すきっかけがあまりありません。

9月26日 読売歌壇栗木京子

さて今朝の読売歌壇栗木京子選は「デパートの子供服売り場はしごして初めて知りぬ孫の好きな色:山田陽子」また勝手な想像ですがこのお孫さんは山田さんの初めての孫なのかな。そうなんです小さな子供には大好きな色があるのです。服、靴下、靴。タオルなど身の回りすべてをこの色にする子もいます。町を走る車でも好きな色にすぐ気が付きます。私などはたまたま孫の好きな色:緑:の車にしたらまあ喜ぶこと。「うれしい」などととろけるようなことを言います。みどりのハンカチはどんな時も放さず持っています。人様にこんな話をするのはとても恥ずかしいのですがこんな歌を見てしまったので結局私の孫の話になってしまいました。勿論栗木さんは他九つの歌を選んでおりこの歌は私が勝手に取り上げているだけなのですがきっと栗木さんも私と同じような気持ちになったのではないでしょうか。年のころも近いようですのできっとやさしいおばあちゃまなのでしょう。

9月20日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「君の手が長く愛したマグカップ手をつながんとコーヒーを飲む:黒田道子」きっと長く連れ添った夫君なのでしょう。生前は手をつなぎ歩くということもあまりなかったのだが彼が飲んでいたコーヒカップの把手を握りコーヒーを飲むとまるで目の前に彼がいるかのようにその体温までもが伝わってくるのですね。もしかしたらいなくなってからしばらく経ってからのことかもしれません。間もない頃だとまだ生前の面影があまりに出てきてコーヒーを楽しむことも彼の思い出に浸ることも出来ないでしょう。喧嘩もしたけど罵りあいもしたけど今振り返ってみると彼はやはり大事な人だった。二人で飲んでいたコーヒーより今、目の前に浮かぶ彼の顔とともに飲むコーヒーは思い出と懐かしさのデザートがほどよく甘く苦くとてもリッチな気分になれます。こうしてコーヒーの把手を握る度にいつまでも彼のことを忘れないでいたい。いい人生だったねと囁きながら。

9月13日 読売歌壇栗木京子

昨日は新聞休刊日のため恒例の読売歌壇栗木京子選は本日。「嫁ぎゆき長らく会わぬ子の姿ドラマの中のエキストラびをり:豊岡浩一」これはまた娘への愛情あふれる父親の作品ですね。嫁いでもうしばらく会っていない娘がテレビドラマに一瞬エキストラとして出ていたのですね。多分ほんの一瞬なのでしょうがそれが分かるのです。いつも気にかけている娘なのですから。もしかしたら奥様と「あ、あの娘がテレビにでている。元気そうだね」などという会話を交わしたのでしょうか。どんなにかわいい娘でも遠くで所帯を持てばそうそう実家に帰ってくることもできないでしょう。もしかしたらお孫さんもいるのかもしれません。親としては会いたいと思っていてもなかなか叶わないのですがそんな時突然画面の中に現れたのですね。びっくりしながら現在の姿を見て安心したのでしょう。きっと「たまには元気な姿を見せて頂戴ね」などと画面越しに声をかけたのかもしれません。

 

9月5日 読売歌壇栗木京子

今日は月曜日。恒例の読売歌壇の選評の日です。例によって栗木京子氏の選から「先生も我らも若き合宿の白樺湖だけあの頃のまま:喜島成幸」私は作者の名前を見る前からこれは男性の作だなと思いました。男性の方が過去の甘美な思い出に浸りやすいという我が身からの発想ですが。栗木氏には学生時代洋々とした未来を明るくまじめにおおらかに詠った作品がたくさんあります。そこには学生時代特有のロマンティズムが見えます。数十年経った今栗木さんはその当時のことをどのように振り返るのでしょう。作品として残っているのですから嫌でもその時代がよみがえってくるとは思うのですが、私が思うに彼女は懐かしく思うことはしてもあくまでそのころに感じたことであってそんなにノスタルジックいはならないのだろうと察します。今をしっかり生きている方のようにお見受けしますので。選ばれた作品から栗木氏の方に思いをはせてしまいました。