1月17日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「原因は加齢と言われた帰り道きれいに終わる蔦の赤見ゆ:寺山 昭彦」まあ困った歌です。リアル過ぎます。最近妻がやれ目が悪い、腰が痛いのと病院にいくとまず最初に医者から言われるのが「お年ですから」だとこぼしています。誰も好き好んで年を取っているわけでなしよく診察もしないで取り敢えず「お年ですから」はないだろうというのです。そんな直截的にいわなくとも「目が随分疲れているようですね」とか「何か重いものを持ちましたか?腰がえらく張っていますよ」とかなんか言いようはあるでしょうにとは妻の弁。作者は散る前に真っ赤に染まりひと花咲かせている蔦に元気をもらったのでしょう。私だってこのまま年老いていくわけじゃない、ひと花咲かせるとは言わないがまだまだこの世を存分に楽しみたい気持ちはありますよとでも思ったのでしょうか。随分と身につまされる作品で「同士頑張ろうぜ!」とエールを送ろうと思います。

1月10日 読売歌壇栗木京子

本年一回目の選。「職退きしメルケルさんもシュトレーンを焼く時ありやと粉量りつつ:新井美智子」言わずと知れたメルケル前ドイツ首相のことですね。4期16年の長きに亘りドイツ、ヨーロッパの政治をけん引し一昨年に引退した大政治家です。長かったにも拘わらず独善に陥らず常に最善を考え抜いてきた彼女のことは私も大好きでした。新井さんはそんな政治家も政界引退後はドイツでクリスマスケーキとして有名なシュトレーンを焼いていたのだろうかと粉を量りながら思ったのですね。物理学出身で博士号を持った頭脳明晰な彼女、実は家庭では料理が得意だと漏れ聞きます。忙しくてそんな暇もなかったかもしれないメルケルさんもようやく一家庭人に戻って伝統菓子を焼いているのかもしれませんね。こんな歌も選んでくれる栗木さんはすてきだなア。

12月26日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「種なしのぶどうにときおりある種を愛しきものの一つに数う:原田りえ子」この歌に栗木氏は種無しブドウは食べやすいが人間は少し横着になりすぎたかもしれない。種にはぶどうの命が凝縮されている、命の源の愛しさに気付かせてくれる一首との評。はなはだ勝手な解釈をすると3年前にご母堂を失くした栗木氏には命の繋がりが特に深く沁みているのではないだろうか。直近の歌集「新しき過去」にはそんな彼女の母親に対する愛憎、惜別、無念、開放感に満たされており種無しブドウの歌を見た瞬間そんなないまぜになった感情が噴出したのではないだろうか。深読みすぎることは承知でたかが種無しブドウを食べたということから命の大切さそして人間があまりに便利さに慣れてしまったため植物が自らのDNAを伝えようとすることを断ち切ってしまった身勝手さにまで言及している。きっと栗木氏はこの歌に様々な感情を持ったのだろうと想像します。

12月19日 読売歌壇栗木京子

今週の選も面白い作品群でした。「われひとりしゃべって答えて頷いて夫との散歩口も疲れる:堤美枝子」ほのぼのとしていいなア。私はことさら妻と散歩することはありませんが長距離ドライブをよくするので車中ではとりとめのない話をしています。作者の方は旦那が聞き役のようですが我が家では私のほうがよくしゃべっています。長距離だと眠くなるのを防ぐためというのもありますがああでもないこうでもないと勝手にしゃべっています。時々横を見ると白川夜船のことが多いのですが。栗木さんの選ぶ作品は日常生活から社会時評まで本当にいろんな話題があります。ことばを飾らず心のままを歌っているような作品がよく選ばれています。こんなのもあります「眠そうな顔がそれでも嬉しそう強敵ドイツに勝った翌朝:吉田哲弥」そのまんまですね。情景がすぐに浮かんできます。そして作者の感情が溢れているのでとても共感出来ます。小難しい歌ではないのですね。

12月13日 読売歌壇栗木京子

昨日は休刊日だったので今朝掲載。「印籠のやうにジュースを掲げつつ注ぎくるビールをかはす祝宴:三浦直子」私もからきし酒はダメで前の職場では最初から一切飲めないのでウーロン茶で乾杯しました。周りがそれに慣れてくれたので飲めない酒で苦しむこともなかったのですが今度の職場でことが起きました。年末の宴会でよその部署の課長が回ってきてビールを勧めるのですがいつものように「飲めませんので」というとこの課長氏「飲めないのそれとも私の酒は飲みたくないの」と突っかかってきます。一応穏やかに「飲めませんので」と答えましたがやくざの様な彼女の物言いには恐れ入りました。お酒を注いで回る、飲みかけのコップにさらに注ぐといった習慣はいつから始まったのかしりませんが飲めない者にとっては甚だ苦痛です。この方のようにスマートに応対して受け入れられればいいのですが。少し酒が入ってくるとそうもいかない場合もありそうです。

12月5日 読売歌壇栗木京子

今日も評のある三点以外から「五回目のワクチン接種したけれどもこれが最後と思う人なし:麻生勝行」私も昨日五回目の接種をしてきましたがコロナ発生以来陽性者のピークは全体を眺めるとだんだん低くなってきているとはいえません。但し最初のころのようには死者は出ていず医療体制も慣れてきて逼迫はしていなさそうです。当初から伝染病の専門家は、人類はこれまでもいろんなウィルスと戦ってきており結局はそれらとどのようにうまくやっていくかというのが対処であり絶滅ということはないだろうといってきました。どこぞの国のようにあるいはどこかの政治家のように威信をかけて「打ち克つのだ」と大上段に振りかぶってもウイルスが消えてなくなることはまずないと考えたほうが良さそうです。ならば出来るだけ広まらないような対策を実施しつつ治療薬を開発しながら平常の生活を取り戻すようにすべきで怖がってばかりいても解決にはならないと思うのですが。

 

11月28日 読売歌壇栗木京子

今回は栗木さんのお勧め3点以外に興味を引く歌がありました。「雨雲の行方をチャッチャッと調べてる布団干すにも買い物にまで:坂東尚子」もう本当にこの通り。遠出をする特にはその場所をピンポイントで指定して天気予報を調べたり、ちょっと出かけるときに雨は大丈夫か「チャッチャッ」としたり、突然降り出した雨には雲の様子を確かめ大丈夫長続きはしない雨だなどと今や毎日の生活にスマホの情報は欠かせないものになりました。私はそれでも使うのは天気予報、行き先案内、分からない言葉、事柄のチェック、ラインくらいですが女房はカメラとしてフル活用しています。最近は観光地にいくと老若男女どちら様も一様にスマホで写真を撮っています。きっと知り合いにすぐ送るのでしょう。カメラが売れなくなるはずです。私は冗談で「命より大切なスマホ持った?」とからかいますがお財布代わりにもなるスマホだけ持って出れば何も困らない時代になりました。

11月21日 読売歌壇栗木京子

さて今週の選は「巣ごもりが長く辛いと言いながら解除になりても行く所なし:河内ふみ子」よくぞ31文字でコロナ禍の状況をぴったりとまとめたものですし栗木さんよくぞ選んで下さいました。もう3年になりますかね外に行くな、マスクしろ、大勢で密になるなと声高に言い始めてから。その間時々波と波の間もありしばらく行っていない美術館巡りがしたいなとか見たい映画が溜まってしまったとかたまにはおいしいものでもなどと夢想していたのにいざ外出ができるようになったら今までの不満はどこに行ってしまったのか何もしないうちに結局また感染者が増え始めてしまいました。コロナの実態が大分解明され始め一時期のように科学的根拠もなしに唯々あれするなこれするなということは減ってきましたが、それでも人込みは避けたいしマスクは外せないしと思うと外出もためらってしまいますよね。コロナとは上手に付き合いながら早く日常生活を取り戻りたいですね。

11月15日 読売歌壇栗木京子

昨日は新聞休刊日ということで一日順延。今週分はどれもほのぼのとした家庭生活が伺われる作品ばかり。「お一人様一玉限りの白菜に妻の後ろに並んで居たり:岨中 幸男」この情景あります。私はインスタントコーヒーの特売でおひとり様一本限りの時妻の後ろで一本待って並んでいます。我が家では私が挽いて供する豆コーヒーと日常用のインスタントを使い分けています。パン焼き器の時間をセット間違いして夜中にパンの香りがしてきたとか孫の為に植えた柿の木に実がならないので終活初めに木を切ったとか生活の一部それも何となくほほえましい作品が選ばれていました。栗木さん自身も若い時の夢に満ちた未来を賛歌した作品からこのような日常生活に幸せを感じるものにも思い入れがあるのだろうと推察しました。何となく杓子ばったり、普段言えないことを言葉にしてみるのが短歌のような印象がありますがこのように親しみやすい作品にも目を向けている栗木さん。

11月7日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「カーディガン一枚分の秋が来てスケジュール帳も息吹きかえす:壇上りく」この作者はきっと作歌生活の長い方なのか言葉への感性がよほど優れた人なのでしょう秋が少しづつ進んでいくのを「カーディガン一枚分」と表現しました。昔から秋が深まっていくのを「畳一枚づつ」といったり「秋の日はつるべ落とし」といったりしますが我が家に畳の部屋はありませんし「つるべ」などという言葉は井戸が少なくなった今死語かもしれません。そんななか独自の言い回しを見つけたのですね凄いものです。また多分コロナ禍であるいは暑さを避けてもあるかもしれませんがお出かけの機会が減っていたのがようやくスケジュールが埋まりだしたというのですね。季節がよくなり気分も高まりなんだかこれから楽しいことが一杯ありそうなそんな予感がする歌です。ところで栗木さんは最近「新しき過去」という短歌集を出されたようです。彼女の今を覗いてみるつもりです。