「どっちでもいい」話。
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読者の皆様、ご機嫌いかがでしょうか?
今日のテーマは「どっちでもいい」。
私は年齢とともに「どっちでもいい、どちらでも同じことだ」と思うことが増えてきました。
さて「どっちでもいい」ということは私たちの身の回りに数多くあります。
たとえば私は今朝、こんな体験をしました。
私は平素「職場に始業ギリギリに到着してドタバタと支度をするのは良くない。あわてて仕事に取りかかると抜け落ちやミスの原因になる」と考えて定刻の30分前までには職場に到着することにしています。このため通勤電車は本来適切な便よりも2本ほど早めに乗っています。
しかし今朝は家でちょっとしたアクシデントがあり、いつもの電車に間に合わなくなりました。もう2本後の電車でもいいのですが、「なんとか次の電車には間に合わせたい」と慌ただしく身支度を整えました。
そのせいで、もう少しでスマートフォンと腕時計を忘れそうになったのです。
「いかんいかん、落ち着け。もっとテキパキと的確に素早く行動するんだ!」そう自分に言い聞かせて身支度を終えましたが、家を出てからマフラーを忘れていたことに気づき、結局片道40分、往復1時間20分ほど寒い思いをすることになりました。
電車のなかで私は考えました。そしてふと気づいたのです。
「そうだ、会社でバタバタするのも良くないが、余裕を持とうと自宅で焦ったって結果は同じことじゃないか!」
そう。結局同じことだったのです。余裕のない朝は結局どうしたって余裕がないのです。それなら、ゆっくりと身支度をして余裕をもって出勤し、移動中に今日の仕事の段取りを考えておけば同じことだったのです。
これなら最初から「遅刻しなければいいのだから、2本後の電車に乗ると決めてじっくり落ち着いて身支度をしよう」と腹をくくるべきでした。
人生万事がこれと同じで、長く生きれば生きるほど「若いときは生き急いでいろいろと焦ったり急いだり無理をしたりした。何でもスピーディに生きたほうが合理的で有利だと思っていたからだが、今から見れば結局は同じことだったな。もっとゆったり構えて落ち着いて物事に向き合ったほうが、むしろ結果は良かっただろう」などと思い返すことが増えていきます。
そしてさらにこのことを考えていると、「逆に、歳をとってから『どっちでもいい』とは思わなくなったこともあるな」とも気づきました。
若い人にとってはどうでもいい、「そんなのどっちでもいいじゃないか」と言われるようなことが、歳をとってくるといろいろな知識がついてこだわりが生じ、「いや、よくない!」などと頑張って頑固ジジィぶりを発揮することが増えていきます。
結局、老いも若きもどっちもどっち。それこそ「どっちでもいい」話なのかもしれません。
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