4月7日 桜ロス
ロスアンジェルスの桜ではありませんで、桜が終わった寂しさです。物事は終わるから次が楽しみではあるのですが次迄一年というのは少々長い気がします。硬い花芽を見つけそれが段々大きくなり今か今かと待っている時間、やがて一輪、二輪と開いた花を見つけそれから満開になり10日ほどの盛りを楽しみそして風も吹かぬのに散っていく様を惜しみ、花筏や道端の絨毯に名残をとどめ、すっかり新録の葉を広げる樹に来年の開花を託す。結構長い間の楽しみです。更に地元だけではなく群馬の山深いところまで追いかけているので実質一か月ほどは狂っています。などと気取ってみてもとても西行法師の真似は出来ないのですが。私は千鳥ヶ淵のように枝が水辺にまで垂れているソメイも好きですが小高い丘や畑などにそこの主のように数百年守られてきた一本桜が大好きです。そんな樹々は村の街の守り神として人々とともに生きており悠久の流れを思うのも楽しみの一つです。