2014年8月19日 営業担当者の雑記

昨日のニュースで、江戸時代の測量家伊能忠敬が作成した日本地図の中北海道部分は探検家間宮林蔵の測量に基づくとする分析を伊能忠敬研究会が発表したと報じていました。伊能忠敬が作った地図のデータとその20年後に完成した全国地図の北海道部分に最大数キロ程度ずれていたことが分かり同じデータを使ったとは考えにくいということのようです。間宮林蔵という名前は学校で、カラフトとロシア本土の間は繋がっていず海峡があることを発見しその海峡が間宮海峡と呼ばれていたということは知っていました。その彼が伊能忠敬の弟子だったことも、伊能忠敬は自分で作った地図以外は認めなかったにも拘わらず間宮の測量については信頼し最終的に全国地図に採用したということは知りませんでした。佐原の伊能忠敬記念館にいくと彼の偉業を垣間見ることが出来ますが何とも想像を絶する根気、辛抱強さです。55歳で家業を引退してから71歳まで日本国中の海岸を漏れなく歩き回り距離と方角を計り幕府はおろかヨーロッパの諸国からも評価される地図を作ったのですね。今回間宮林蔵の件であらためてその師伊能忠敬の凄さに感じ入った次第です。