9月30日 更級日記と松戸

今日の日経朝刊の「文化」に千年前菅原孝標の娘が書いた「更級日記」に歴史研究の観点から光が当てられているとありました。この本は作者13歳から40年程の回想録で上洛の道中から始まり全体の1/5を占める「上洛の紀」と呼ばれる部分に研究者が注目しているという。当時の政治・文化の中心は京都で東国に関する文献は少ないが「上洛の紀」は当時の交通や地理などを知る資料となりえるという。例えば下総から武蔵への道中「太日川というが上の瀬、まつさとの渡りの津」に泊まり川を渡ったとあるがこの「まつさと」は松戸を指しその語源は馬の港を示す「馬津」とする解釈があり、国司の旅は荷物を運ぶ多くの馬を伴っていた事を示す文献から、馬が渡れる上流の瀬で一行が宿泊できる安定した低地というと、砂州が発達した松戸市松戸になるという。仮名日記という一つの表現世界で膨大な研究の蓄積がある古典でも歴史学のアプローチでまだまだ新しい姿を見せるという。