11月21日 営業担当者の雑記

読売新聞朝刊に俳人の長谷川櫂が連載している「四季」、今日は田中敬子さんの「少しづつ裸木となるわが身かな」という句でした。桜や欅のような落葉樹は冬、葉を落として裸木になる。葉がなくなれば幹や枝がよく見える。人間も似ており年を重ねるとその人の姿があらわになると長谷川氏は解説します。しかし私の場合は年を取るほどこれまでの人生の垢、経験、余計な知識で頭が膨れ上がっており、自然を見るにもなかなか素直な心では見てないように思います。あのときのテレビの光景がこれかとか映画の一シーンだとかあの本の風景だとか様々な経験、追体験が頭をよぎり景色そのものを見ていないように思います。禅に「前後際断」という言葉があるそうです。起きた事は過ぎ去った瞬間から忘れてしまえそれこそが今日を楽しく活きる方法だといった内容だと思います。何とか今まで引きずってきている贅肉をそぎ落として裸木として生きていきたいものです。