10月7日 営業担当者の雑記

昨日、天平神護元年(765年)と記された木簡にペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったと新聞に出ていました。続日本紀に736年遣唐使が連れ帰った「唐の人3人、波斯一人」が聖武天皇に会ったと記されており今回の発見はその時のペルシャ人の可能性があるのではないかということです。それで思い出したのですが先日日高市の巾着田に彼岸花を見に行った時ついでに高麗神社に寄りましたら、そこの縁起に668年に滅亡した高句麗の人たちが日本に亡命し、716年に関東地方に住んでいた高麗人を日高に集めこの高麗神社が首長の住まいになったという趣旨が書いてありました。今回見つかったペルシャ人の話、朝鮮半島高麗人の話はほぼ同年代で今から凡そ1,300年くらい前の天平時代のことになります。「咲く花のにおうがが如し」と謳われた平城京は中国の人、朝鮮の人さらにペルシャの人と色んな国の人、言葉が往きかい私達の想像以上に国際的な都市だったのかもしれませんね。