9月15日 営業担当者の雑記

今日松戸商工会議所が発行している「ブリッジ」という小冊子を見ていたら市教育委員会所蔵という「板倉鼎」の絵が見開きに紹介されていました。といっても私は彼を全く知らないのですが彼の紹介文の中に松戸市古ヶ崎の水郷地帯がお気に入りの写生場所だったとかよく通った坂川での釣りが縁で奥様と知り合ったとかなどと書かれていました。大正時代の話なのでなるほどとは思いましたが何と地元出身の人に聞くとかれこれ4,5十年前まで古ヶ崎周辺、八柱周辺、東松戸周辺は田圃ばかりだったこと、今の松戸駅西口辺りは少し雨が降るとすぐ水が溜り大変だったこと、更に古ヶ崎の農家には洪水用に小さなボートが用意してあったことなどを聞きました。その昔東京湾は今よりはるか北側まで入り込んでおり松戸も随分貝塚が残っているようなのであり得る話ではありますがそれにして今の様子からは信じられない事でとても驚きました。