らもやんのこと

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年末の怒濤のような仕事をなんとかうっちゃり、ようやく年末の休暇がとれた「私」です。

本日は自宅でくつろぎながら、普段なかなか読めない本を読んだりしてのんびり過ごしています(もちろんすでにほろ酔い加減です)。

読んでいるのは「啓蒙かまぼこ新聞」という中島らも氏の著書です(本というよりは大半が自筆のマンガなのですが)。

「中島らも」という人とはまったく面識がありませんが、どういうわけか私とは間接的にはずいぶん縁の深い人なのです。なので以降は親しみを込めて「らもやん」と呼ぶことにします。

らもやんとは、第一に「印刷屋に勤め広告業界に転身、コピーライターを経て著述業」という経歴自体が私と同一です。また、私はバブル時代に大阪でコピーライターをしており、同時代同地域の同業者でもありました。

もっともその頃のらもやんは著述業や「笑殺軍団リリパットアーミー」という劇団の座付き作者(時々出演もする)として有名になっており、コピーライターという看板はおろさないものの広告制作の仕事はしていなかったようです。唯一、関西の老舗練り物メーカーだった「かねてつ食品(現カネテツデリカフーズ)」にコネがあったようで(正確に言うと当時常務だった村上健 現会長と中高時代の同級生)、「啓蒙かまぼこ新聞」という連載広告を雑誌「宝島」に掲載した程度でしょうか。

これ以降、らもやんは急激に全国的な著名人になっていきました。とはいえ有名になったのは決して小説やエッセイの面白さがズバ抜けていたからではなく(確かに面白かったのですが)、アルコールや薬物にひどく依存しているせいで言動が異様だった(風貌もオズの魔法使いに登場する東の悪い魔女を強引に男にしたような……)点が大きかったと思います。小説家のほかミュージシャン(ギターも歌も死ぬほど下手だった……)でもありました。マンガも描き(下手だった……)、創作落語もやる(ムチャクチャだが面白かった!)というマルチタレントでもありました。

らもやんはリタリンをはじめさまざまな薬物に依存していたようですが、「麻薬だけには手を出さない」のが当人の長年のポリシーでした。しかしこれも怪しいものだと思います。後年オランダで大麻を吸ったことを公表し、自宅からはマジックマッシュルームが押収されて懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受けています。

もうこの頃のらもやんは「大阪の名物男」のひとりとして数えられるほどになっており、このような判決を受けても誰も驚かず「ああ、らもやんのこっちゃからしゃぁないなあ」と大阪の民衆に受け流される(というより見捨てられている)感じだったことを覚えています。

らもやんの最後は「ライブの打ち上げで泥酔して飲み屋の階段から転落、脳挫傷」というものでした。享年52歳。命日は200475日。

若すぎる死ではありましたが、我々広告仲間も「ああ、らもやんらしい最後やったなあ」と惜しみつつも妙に納得したりしたものです。

そんならもやんが亡くなってからもう20年近くが経過しました。

「えっ、もうそんなに経つのか。つい数年前のことのようだった気がするがなあ」と感じるのは、これが本当の「去る者は日日に疎し」ということなのでしょう。

今年亡くなった著名人といえば、私が個人的に思い入れの深い人に限っても

・「探偵ナイトスクープ」元局長の上岡龍太郎

・「ムツゴロウ」こと畑正憲

・「教授」ことYMOの坂本龍一、同じく高橋幸宏

・「銀河鉄道999(個人的には男おいどん)」の松本零士

・「タラちゃん」の貴家堂子

・「帰ってきたウルトラマン」の団時朗(次郎)

・中華の鉄人 陳建一

・「のっぽさん」こと高見のっぽ

(順不同、敬称略)

と、少年期~青年期に憧れた人たちの多くが含まれます。そろそろ同世代の訃報も聞こえ始めました。なんとも心細い限りです。

やれやれ、話がすっかり湿っぽくなってしまいました。そろそろ本の世界に戻ることにします。

どうぞ皆様良いお年をお迎えください。

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