7月13日 徘徊者

昨日も市が近所に設置してあるマイクで徘徊老人を探していました。「本日朝3時ころから新松戸方面で90歳の男性が行方不明になっています。身長は165cmくらい、やせ型、白髪。上はワイシャツで下は黒いズボン、赤いサンダルを履いています。お心当たりの方は最寄りの警察署にご連絡ください」などといった内容です。その話を妻にしたら家の近所でも同様のアナウンスがあったそうです。この暑さの中一体どうしているのだろう。お金は持っているのかしら、そのお金で冷たいものを買えるのかしら、どこか日陰で休んでいるのかしら、行き倒れになってないかしらなどと心配です。徘徊するからといって ベッドに結わえ付ける訳にもいかず、カギは締めても開けるんでしょうか。ご家族は見つかるまで心配でしょうね。こればっかりは私の意思とは無関係に起こりうる、そして現在ではまだ治療薬は開発されていない病気ですから困ったものです。

7月12日 九州北部の水害

このところ北部九州で線状降水帯が発生し大変な被害が出ています。特に筑後川流域の地帯では川の氾濫、山崩れ、地滑り、土石流と様々な災害が発生しているようです。土石流で山から流れてきた大木が家に突き刺さっているのはぞっとしました。子供たちと三連水車を見に行った朝倉、巨砲ブドウ狩りに行った浮羽、体に青い絵が描いてある男の人に風呂で遭遇し子供たちが指さすので早々に上がった原鶴温泉など福岡に住んでいた当時出かけた地名が沢山出てきます。久留米市田主丸町とアナウンサーがいうので旧浮羽郡田主丸町は久留米市と合併したことも知りました。当時久留米から大分県の日田に通じる道は田園、果樹園が広がり筑後川沿いには沢山の温泉があり、わき道にそれると小石原焼という知る人ぞ知る窯がありました。日田は川沿いの街でその昔は天領として材木の集散地、そして朝霧でも有名です。報道に聞き覚えがある町名が出るたびに心配になります。

7月11日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「遠花火音だけ聞こゆる「港の日」コレヒドールに父は戦死す」こんな思いを残す人はもう随分減ってしまったことでしょう。私は小さい頃母親から「爺ちゃんはフィリピンのルソン島バギオで戦死した。戦後当時部下だった人が亡くなった場所の石を持ち帰ってくれた」と聞きました。勿論その爺ちゃんは見たことがありませんが40年近く前会社の出張でバギオに行く機会があり大勢の日本兵が亡くなった場所だというところで手を合わせてきました。その後祖母ちゃんと母親たちは長い間心に引っかかっていた爺ちゃんに会いにバギオまで行ったと聞きました。女手一つで5人の子供を育て上げた祖母ちゃんの気持ちはどんなだったか、亡き爺ちゃんに子供たちの成長と必死に頑張ってきたことの報告をしたのでしょう。こんな経験をして来た世代の人たちがいなくなり、最近何となくきな臭い花火の音が遠くでなり始めた気配がするのを苦々しく思っています。

 

7月10日 マティス展

昨日ようやく上野の東京都美術館で開催されているアンリ・マティス展に行ってきました。4月後半から始まったのですが日時指定予約のためタイミングが合わずに来ていました。大々的な展覧会は20年ぶりだとかで今回はポンピドゥー・センターのコレクションの中から150点ほど。私は特に美術に造詣が深いわけでもなくマティスをよく知っているのでもありませんがいつだったか「ダンス」を見てあの色とシンプルな形に魅了されました。彼の表現の移り変わりが時代順にならべてあり点描からキュービズム、切り絵、彫刻と試行を重ねているのがよくわかります。代表作「赤の大きな室内」は全体が赤で中の調度品も赤、何という配色かと驚きますが決して奇を衒っているようには見えません。最晩年には思うがままに原色の紙を切り抜き無造作に貼り付けた作品群が出てきますが彼が修正追い続けた「線」と「色」の行きついたところがここなんですね。感激しました。

7月7日 朝から感動

今読売新聞朝刊の「時代の証言者」に加藤登紀子さんの事が載っています。今朝の内容は学生運動で3年8か月の実刑判決を受けた彼に結婚を求めたが3年もいなくなる男が君を束縛することは出来ないと断られた。彼が下獄してまもなく妊娠していることに気付き誰にも知らせず中絶することを決意し知り合いの産婦人科を訪ねたら医師の父親から「結婚できなくてもいいじゃないか。彼のために産みなさい」と諭されその瞬間「その通りです」と泣き崩れた。真っ暗だった心の中に光が差し込んだような感覚だった。面会は厳しく制限されていたので妊娠は手紙で伝え後面会が叶った。彼は後日この日を官式の愉快な結婚式だったと手紙に書いてきた。家族と所属事務所社長に結婚と出産の決意を伝えると反対はなく皆に喜んでもらえた。父親から「苦労するとわかっている男と一緒になるのか。お母ちゃんとそっくりやな」の言葉が心に残っていると加藤。感動の一コマ、台詞。

7月6日 信楽たぬき

日経夕刊に信楽高原鉄道の信楽駅に置いてある100体ほどのたぬきのことがでていました。ここ信楽は文化庁が日本遺産に認定した六か所」の焼き物の産地「日本六古窯」のひとつ。などといわなくてもあのたぬきは全国どこにでもいるのでは?この駅には1998年頃から置き始めたとのことですが我が家の次男坊が生まれたのは1982年。生まれた時から縦横とも大きくお腹が膨らみ足首や手首に割れ目ができそこにごみが溜まるほどでした。その彼がボチボチ歩き始めた頃兵庫県宝塚に住んでいたのですが我が家のすぐそばにあった家の玄関先に大きな「信楽たぬき」が置いてあり「あ 僕がいる」といってました。いつも「ソーチンぽんぽん大きい」といっていたのでお腹の大きなタヌキを見て友達だと思ったのでしょう。少し上を向き真っ白なお腹に徳利をぶら下げている何とも愛らしい姿です。今度次男に会ったら信楽駅に君の友達が大勢いるそうだと教えてあげよう。

7月5日 天の助け

天の助けというと大げさですが昨日は本当に助かりました。ポスティングの注文を頂いたお客様の所にチラシを取りに行きました。必要枚数は3.5万枚。全部で12,3箱あったので一箱3,000枚で11箱と2,000枚。それでなくとも紙は重いのに手が悪いので甚だ難儀しながら積み込んでいたら丁度客の知人らしき人が来たので助っ人を頼んだら快く引き受けてくれました。とまもなく彼が「ところで一箱何枚入っているのでしょう?」といいながら箱を開けたところ500枚束が8個つまり一箱4,000枚。さらに伝票に13箱5万枚とも書いてあります。つまり一箱4,000枚入りが12箱と2,000枚の合計5万枚。ということは8箱と2,000枚積めばいいのです。とんでもない間違いをしていました。積込み過ぎた分を元に戻し終了。彼が来なかったら5万枚を積込み後で1.5万枚を返しにこなければなりません。思わず涙目になってお礼を言いました。

7月4日 読売歌壇栗木京子

昨日はここにもこれないほど多忙でした。今週の選は栗木氏お勧め3首とは違い「遣られても仕返ししてはならないと中村哲氏はことば遺せり」2019年12月4日タリバンにより取り返しのつかないその命を奪われた中村哲さん。アフガニスタンでの地道なそして具体的な活動はアフガニスタンの人たちのみならずただ憧れしか持ちえない私の心も震わせました。なんで、どうして彼が、彼の命が。と惜しむ気持ちは何年経っても消えません。危険極まりない当時のアフガニスタンで一方的に与えるのではなく彼らと一緒になって自らの体を動かし生きるすべを開拓していったのですね。現地の人たちに溶け込み一歩ずつ夢を実現していったのですね。彼の命を奪うのにどんな理由もありえません。きっと殺人犯も今頃は「とんでもないことをしてしまった」と悔やんでいることでしょう。こんな日本人がいたんだと過去形で語ることの悲し、虚しさ。この作者と同じ思いです。