6月16日 通勤電車の中で

今朝京成津田沼駅で新京成に乗ったら前の席に女の子が二人座っていました。どこだかの私立小学校1年生の様子。お揃いの真っ白いハットに一人は白いブラウス、もう一人は青いポロシャツ。白の子は膝の上にノートを広げお絵描きに夢中。青の子は何やら楽しそうに絵本を見ています。と電車がブレーキを掛けたので白い子の筆箱の中身が飛び散ってしまいました。小さな赤鉛筆が少し離れたドアの方まで転がってしまいました。膝が悪い私はとっさの動きができません。するとドアの横に座っていた男子高校生が慌ててその赤鉛筆を拾い白い子に渡しました。女の子は飛び散った文房具を一生懸命筆箱にしまっています。彼女は小さな声で礼を言ったように見えました。隣の青い子はその間中ズットニコニコしながら「♪フふふふ」と口ずさみながら絵本をめくっています。吊り下げ広告に「I am a child,I have a child」とあるのが目に入りました。

6月15日 陸自射撃場発砲事件

昨日岐阜市にある陸上自衛隊日野基本射撃場で実弾での訓練中に自衛官候補生の男が小銃を発射し隊員二人が死亡、一人が負傷という事件が起きました。自衛隊員の故意による発砲で死傷者が出たのは1984年以来50年ぶりとのことです。実弾での訓練をしないと戦力にはなれないのでごく当たり前の訓練なのでしょう。殺意はなかったと供述しているようですが、実弾の入った銃を人に向けて撃てば死ぬかもしれないというのは分かり切ったことです。人を殺すための道具なのですから。実弾の入った銃を取り扱うのですから細心の注意を払い教育するのでしょうし間違いや不正確な取り扱い方法には厳しい指導もあるのでしょう。またそうでないと困ります。何が気に入らなかったのか知りませんがあまりにも短絡すぎます。仲間が信じられなくなればこんな危ないことは出来ません。国を守るという同じ目標を持った人たちであると信じられなければ訓練は成り立ちません。

 

6月14日 最期は笑って

岐阜で「在宅ホスピスケア」を実践されている小笠原医師が最期は笑ってという題の文を今日の日経夕刊に載せています。大腸がら腸閉塞になり病院で緊急手術を受け2年後に在宅医療を受け始めた男性患者。医師が訪問診療を終え帰ろうとすると奥様から前日に夫から「明日旅に出るからいつものようにかばんと靴を用意して」といわれ「私も連れてって」というと彼は「遠いところだから、君は家で待ってなさい」というので枕元に置いた。医師が帰宅して2時間後奥さんから「主人が今旅立ちました」との連絡があった。医師が見た男性の顔は穏やかで、笑みを浮かべていたのに驚いた。今まで多くの患者の死を見てきて死ぬときは苦しむのが当たり前と思っていたのになぜ病院で苦しんでいた患者が家に帰ると笑顔を取り戻すのだろうか。もう治らないとわかっていたら闘病ではなく痛みと苦しみを取り除き生きる希望がわくケアが必要ではないか。医師が確信した瞬間ですね。

6月13日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「主脳らよ被爆写真を凝視せよ空から死が降ってきたのではない:若林明良」先日のG7サミットでは関係者の努力のおかげで首脳たちに平和資料館を見る機会が設けられました。こんな悍ましいことが我が身に起こるとしたら誰も原爆など持たないでしょう。核抑止力という大義名分で原爆を持ちたがる人たちはゆめゆめ自分たちには起こらない、自分たち一族は被害を避けられると思っているのでしょうか。「核も辞さない」という脅し文句は言われたほうもそれがチキンレースであり実際にあり得るとは信じてないから効果的なのであって、もし本当に使う可能性があればそれはすなわち人類の滅亡につながり、万が一生き残ったとしても戦争の勝者としてではなく「かつて地球上で反映していた人類の生き残り」と次の征服者に珍重されるだけです。地球を何回も破滅させるだけの原爆を持ちながらそれでもなお人類滅亡の終末時計を進ませるのでしょうか。

 

6月12日 散髪

昨日久しぶりに散髪に行ってきました。手術後20日ほどは液体の洗髪料を頭に振りかけ手でマッサージした後タオルで拭きとっていました。とても便利なもので大変重宝していたのですがそれでもいつもの様子とは随分違います。日曜日の朝散髪に行くため土曜日の夜いつものシャンプーを使い片手ではありますがゴシゴシ頭をもみシャワーできれいに洗い流した感触は格別でした。さていつも混んでいる散髪屋なので30分前に行き並びました。鏡の前に座り額にかかる少量の髪、耳たぶを隠すほつれ毛、後ろ首に巻きあがる髪を親父さんが切っていきます。終わってからエプロンを外しぼんやり目で見る鏡には心なしか若返った本人がいます。家に帰り妻が美容院に行ったとき必ずする動作、手の平を上に向け耳の下で髪を持ち上げるように上下し妻に見せました。ほんの少し笑いが取れました。頭を洗ったり散髪したりという何でもないことがこんなにイベントになるとは。

 

6月9日 抜糸

昨日手根管症候群の手術から2週間が経ち抜糸をしてきました。糸を切るときに肉を引っ張る感触が苦手でいやだったのですが泣かずに済みました。まだ急な動きには違和感がありますし、重たいものを持つのは怖いだけでなくひと月ほどのドクターストップもかかっています。ただ久しぶりに外の世界に触れた指、手のひらは随分うれしそうでした。手術してない方の片手でではありますが頭を洗いカミソリで髭を剃ったのですがやはり気持ちいものです。箸はまだ以前のようには動かせません、ちょっと練習が必要でしょう。シャツのボタンは便利な器具があるのでそれを使い、相変わらず小便がしにくいのでひも付きのズボンをはいているので抜糸前後でそんなに大きな変化はないのですがまず外見上包帯がないのがまるで違います。医者は指を動かしなさいといっているのでリハビリをしながら徐々に元に戻っていくのでしょう。抜糸後もしばらくは不自由な生活が続きます。

6月7日 少し早歩き、がん予防にも

今日の日経夕刊に東京大学中川恵一先生の表題の文が掲載されていました。マグロやカツオはエラに酸素を送り込むため一生泳ぎ続ける、人間は直立歩行を始めた時から長く歩くように進化してきた。そのため長く歩くことが健康維持に不可欠だといいます。ある米国の調査に依ると1日あたり4千歩のグループを基準にすると1.2万歩までは総死亡率が下がり、がんによる死亡では1.6万歩まで減少が続きそれ以上歩いてもプラスの効果は見られなかった。日本でも群馬県の「中之条研究」によると「1日8千歩、そのうち20分は早歩き」で健康を維持できることが分かった。「1日7千歩、うち15分は早歩き」でも大腸がん、乳がんなどを予防できることが確認されたそうです。私たちは歩かないと不健康になる進化上の宿命を負っていると結びます。私の場合は会社の通勤などで6千歩弱のとろとろ歩行。足腰が弱く早歩きは気分だけ。歩かないよりはいいのでしょうが。

6月6日 怒り

昨日の帰りに新京成みのり台駅で椅子に座り電車を待っていたらドーンそしてしばらくするとまたガシャーンと激しい音が聞こえてきました。音のする方を振りかえるとサラリーマン風の若い男性が壁を足でけり上げています。「憤懣やるかたない」「悔しくて仕方がない」理由はなんだか分かりませんが何しろ荒れている模様。私は足腰が悪くなり咄嗟の行動に対応できなくなっているので大人しく本を読んでいました。彼は来た電車には乗らず座り込んで携帯を操作しています。会社で上司に叱られたのか、営業先のお客さんから罵倒されたのか私にも経験があります。まったく肌が合わず、周りの人皆からも嫌われていた上司からほとんど毎日小さな事で難癖をつけられ人間性まで否定された時はさすがに落ち込みました。普段は相手構わず反論しけんか腰になるのですがこの人とは話もしたくなかったので必要な会話以外せずひたすら時が経つのを待っていた記憶があります。

6月5日 アジサイ

昨日手を手術してから久しぶりにアジサイ見物かたがたドライブをしました。手術したのが利き手の右だったのですが大分動かせるようになり車の運転に支障はありませんでした。いくつかの候補の中から宗吾霊堂に行くことにしました。ここだと平らな境内なので足腰が悪い夫婦にもちょうどいいかなということです。出発時ナビに「宗吾参道」と入れてしまったら京成の宗吾参道駅についてしまい慌てました。寺ではアジサイ祭りがおこなわれていましたがそんなに混んではなくゆっくり見物出来ました。ここは珍しく柏葉あじさいが多いのですがガクアジサイ、今流行りのアナベルなどもありましたが総じて少し時期が早いようで色づきが足りませんでした。案内板にアジサイと甘茶の違いを説明してありそのアジサイに似ているという甘茶の茎を煎じたのが「甘茶」ということですって。沢山写真を撮りましたがさて何枚が残るやら。PCのデスクトップ画面用に一枚選びました。

6月2日 台風2号

大型の台風2号が沖縄本島に接近し日本列島に接近する気配です。当地区でも今朝から断続的に相当の大雨が降っています。今5時過ぎですが外から激しい雨音が聞こえてきます。今日は先月のまとめをしようと思っていたのですが急遽やんごとなき事情が発生しほぼ終日とられてしまいましたので休む予定だった明日は出勤になりそうです。雨がない梅雨は水不足で困るし降りすぎると水害でもっと困ることになります。帰りはびしょぬれになりそうですが家の最寄り駅まで妻に迎えに来てもらいます。台風2号