5月31日 大失敗

今朝は大失敗をしました。いつもは5時40分に起き7時2,3分に家を出7時27分の電車に乗っています。ところが今朝目覚まし時計がいつまでもならないなと思い時計を見ると6時45分です。「ヤバッ」いつものペースでは絶対間に合わないので妻を起こし車で駅まで送ってもらうことにしました。勿論朝食はなし、顔を洗い服を着るまでで6時55分、いつもは新聞を読みながらゆっくりと用を足すのだが今朝は無理、途中でもよおすのは困るなと思いながら力むと彼(彼女)も私の緊急事態を悟ったのか一発快便。で腕時計を見ると7時半?掛け時計を見ると7時5分。何と腕時計も寝すぎたのか故障中(多分電池が切れかけなんだろう)もはや一刻の猶予もありません。慌てて家を飛び出しいつもは25分ほど歩いて行く最寄り駅まで外でエンジンを掛けスタンバっていた妻に送って貰いかろうじてセーフ。記憶にないほど昔一度経験していますが朝から疲れましたわ。

 

5がつ30日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「スーパー閉まるバスもないから一時間歩いていこうかこの街出ようか:前田佐和」何とも切実です。確かに人口が多く商売が成り立っていたからスーパーもあったのですが若い人は街に残らず人口は減るばかりなのでスーパーも閉店してしまったのですね。でも間違いなくここで生活している人はいるのですから困ってしまいます。テレビで巡回スーパーのことを取り上げていましたがやはり今までスーパーを利用していた方にとっては物足りません。しょうがないから一時間かけて最寄りのスーパーまで歩こうかと考えたものの帰りは荷物を持っています。再々行くのもかったるいので少しまとめて買おうかなどと想像するとげんなり。いっそのことこの街を出てしまおうかというのです。生まれ育った場所なのか少々遠くても我家が欲しいと買ったのか分かりませんが悩ましいことです。昨今空き家のことが話題になりますが住む人はいてもこんなことが起きるのですね。

5月29日 利き手の手術

先週の木曜日に「手根管症候群」の手術をしてきました。日帰りで1時間足らずのものでした。局所麻酔をしましたので痛くもなく多分軽い部類の手術なのでしょうが利き手が使えないので甚だ不自由です。箸はまったく使えません。風呂も手術箇所を水に濡らすなというのでほんの水浴び程度。何より小便をするのに肝心なものを引っ張り出すのに一苦労。ジッパーの付いたズボンは無理なのでジャージにし今日の出勤もその格好です。パソコンは左手で一字づつ拾いながら打っていますが何とかクリア。運転も左手中心で右手は添えるだけですが何とかこれもクリア。鉛筆はまったく持てません。シャツのボタンは便利な道具を娘から買ってもらったので可。ただしはずすのは難儀。家だと助けてくれる人がいますが外に出てしまうといないので昼めしはサンドイッチかおにぎりの生活があと一週間ほど。こうしてみると今まで何と利き手のお世話になっていたことかわかります。

5月22日 読売歌壇栗木京子

今週は彼女が選んだ3首からではないものに注目しました。「この先もつまづかぬため右左歯磨きしながら踏む青竹を:小野ひとみ」小野さんも健康を気に掛ける年齢なったのでしょう。一生自分の歯で食べたい、足が弱ってきたら歩けなくなったらどこにも行けなくなるということでしっかり歯磨きをし青竹を踏んでいるのですね。幸い私は歯が丈夫で虫歯はないのですが前歯を一本欠かせ今はブリッジが一本あります。膝と腰が悪く少々歩く格好は悪いのですが毎日通勤で1時間半ほど歩いています。歩く速度は甚だ遅く毎日会う若い女性からはスイスイおいて行かれます。家に帰ってからは自己流の体操をし固まった体をほぐしています。転んで骨折したとか頭を打ち、以来起き上がれなくなったなどという話を聞きますので身体が動く間は何とか自前で活動したいと思っています。同年代でホノルルマラソンを走ってきた人もいますがそんな大それた目標ではありません。

 

5月19日 中西さん逝去の報

昨日元西鉄ライオンズで大活躍した中西さんが亡くなったと報じられていました。今はなき「西鉄ライオンズ」。中西さんはその後いくつかの球団に行ったようですが私には西鉄ライオンズ時代の記憶が鮮明です。忘れもしない日本シリーズ巨人との一戦に三原監督率いる我がチームは3連敗ののち4連勝という神がかり的な逆転優勝をしました。優勝の凱旋パレードが北九州小倉を通るというので中西、豊田、仰木、大下、稲尾、高倉などなどの勇士達がオープンカーに乗っているのを見に行きました。その時のメンバーです。あのホームラン伝説は報道され中西さんの定番になりましたがバッターボックスに入ると巨大なお尻をひょこひょこ揺すってから構えます。それが何ともかっこよく少年野球チームには沢山のちびっこ中西がいました。長嶋さんや王さんのようにスマートな体形ではなくどちらかというと力士タイプ。そこから打ち出される強烈な打球。記憶に残る選手でした。

5月18日 宇品島

明日から主要7カ国首脳会議(G7サミット)が広島市の宇品島を中心に行われますがこの宇品島はかつて軍港広島のシンボルでした。数か月前友人が一冊の本を紹介してくれました。「暁の宇品:堀川惠子」です。私は全く知らなかったのですがここ宇品港(広島港)は明治以降日本軍隊の兵站基地として30万人、1,000隻を超える船が集積し戦場に物資を送り続けました。その活躍は「暁部隊」としてその名を轟かせていました。そもそも日本が第二次大戦で敗れたのは「兵站の重要性」に対する首脳部の認識の違いだとも言われています。敵の圧倒的な物対し現地調達などという前時代的な戦略で死者数は直接戦闘によるものより餓死者の方がずっと多かったなどともいわれています。戦争中には日本における数少ないそして最重要の役割を果たしてきた「兵站基地」としての歴史が書かれているのがこの本です。原爆投下後には一早く救助活動を開始したとも伝わります。

5月17日 気温急上昇

数日朝晩は少し涼しいかなと思う天気だったのですが昨日から気温が急上昇し高温というと必ず出てくる熊谷では35度近く前橋では超えるという異常な高温になりました。高気圧が日本中を覆いさらにフェーン現象も重なってのことのようです。さすがに冬服では大変だと昨晩急遽衣替えをしました。体形は変わってないので服に問題はないのですが嵩張る冬服の置き場所がありません。取り敢えず子供たちがいなくなって空いた部屋に投げ込んでおきました。今日も暑く、何度になったのかは知りませんが日差しが強く車の中は相当な暑さですぐにエアコンを入れ少し冷やしてから出発。仕事部屋もまだストーブを仕舞ってないのにエアコンをいれました。完全な夏型になるまで低気圧、高気圧のせめぎあいで暫くは寒暖差の激しい天気が続くのでしょうが、この天気年寄りには体がついていけません。また熱中症にも要注意。しっかり水分、ミネラルの補給をしましょう。

5月18日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「どくだみはてこずる草ぞ根気よく筍掘るがに根をたどりひく:多田郁子」これはもうこの時期庭では必ず見る光景です。とにかく強くどこにでも生え、抜いても切っても何度でも出てきます。可愛らしい白い花はなかなか捨てがたいのですが手に付いた臭いはいつまでも消えません。その臭さの成分が利尿作用をはじめとして色んな効能があり薬草として昔から使われてきたのですね。まず茎を抜きにかかったら手の力を抜きそろりそろりと引っ張ります。少し斜めにしながら出てくる茎の下の方を握り直し浅いところに根を張っている場合は根気よく元をたどっていきます。時には随分離れたところまでたどっていくと行き止まりになることがありますがこれでいっちょ上がり。深いところに入っている場合は茎の根元を掘って山芋を引っ張り出すように注意深く土を取り除きながら掘っていきます。除草剤は使わず苦労しながら抜いている作者の姿が目に浮かびます。

5月15日 小倉昭和館

日経夕刊に懐かしい名前が出ていました。北九州市小倉旦過市場にあった「小倉昭和館」という映画館です。ここは1939年創業といいますからもう85年近く経っている老舗劇場ですが昨年の二度の火災で全焼。私との縁はここが映画人気に陰りが出始め日活ポルノを上映していたときにお世話になりました。高校卒業後はほとんど帰省しなかったのでその後のことは知らなかったのですが昨年旦過市場が火事で壊滅的な被害を受けこの映画館も全焼したことを知りました。市民の後押し、小倉出身の映画人の応援、そして10年程前映画館閉鎖のニュースが頻繁に出始めた時に現館主が北九州出身の高倉健から貰った「夢を見ているだけではどうにもならない自分に嘘のない充実した時間を過ごしてください」という励ましの手紙を胸にクラウドファンディングを募り1億円近くが集まり今年12月の完成を目指し再建中という。早く旦過市場の名物劇場として復活しますように。

5月12日 ヘラルボニー

今日の日経夕刊に「ヘラルボニー」の紹介がありました。私も初めて聞く言葉で知的障害のある人が描いたアート作品を発掘し、ライセンス契約を結んで顧客に提供する会社とのこと。知的障害のある人を「支援対象」ではなく彼らが持つ「異彩」の力を求める企業と作家をつなぎ、コンテンツや企画を作る役割を果たしているという。現在作家や約30の福祉施設と契約を結んでおり150人超の作家が手掛ける約2,000点のアートデータを保管しており顧客企業の需要にたいして適切なアートを迅速に提案できる強みがあるとのこと。すでに資生堂などからの引き合いもあるという。27年には上場を見据えており当然一営利企業として収益を追い活動を継続していくことが「理念」の正しさの証明になると松田副社長はいう。以前彼らのアートを追いかけているTVディレクター伊勢朋矢氏のことを紹介しましたがこの会社が大きくなることは彼らの自立の大きな一歩です。