4月25日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「諸事情が卵の価値を上げてゆく変わらぬものは卵の重さ:杉山 太郎」女性の作品かと思ったら男性でした。多分お一人か退職後で奥様から買い物を言いつけられている方とお見受けしました。そうなんです卵はずっと物価の優等生といわれており価格の上下がほとんどなかったのですが、このところ急激に値上がりしています。餌代、電気代の高騰、病気による殺処分で卵を産める鳥の数が少なくなったなどが理由のようですが何しろ卵は必需品です。料理にもケーキにも使います。さすがに養鶏場も価格転嫁をせざるを得ないし、普通は中々値上げを認めないスーパーも今回はすんなり値上げしました。卵掛けご飯はぜいたく品、朝食の目玉焼きはなしなんてことになってしまいました。作者の表現とは違い私には一個の卵が随分重く感じられます。そういえば毎度昼食でお世話になっている「親子どんぶり」も値上げしました。これは非常に痛いのであります。

4月24日 たけのこ料理

店から今年は生育が早いとの連絡で29日の予約を一週間早め昨日大多喜にたけのこ料理を食べに行きました。行く所は決まっていてもうかれこれ10年ほど通っています。大多喜にはたけのこを食べさせる店は沢山ありますが私が行くのは大将が地元産、無農薬に拘っており普段なかなかお目にかかれない食べ物がぞろぞろ出てきます。昨日は主役のたけのこ以外「こごみ、せり、うど、雪うるい」などが脇役として出演しておりさらに勝浦産のわかめ、ひじきなど6,7品が出てきます。いずれも大将の創作料理におかみさんの好みだという地元の作家が作った器に盛られてきます。ちょっと変わった味がするときおかみさん経由で何が入っているのかどのように作るのか聞くと忙しい中必ず答えが返ってきます。最後のごはんには赤大根と菊芋の糠漬け、そしてデザートはヨモギで作ったソースがかかったプリン(みたいなもの)まで全く肉魚がないのにお腹いっぱいになりました。

4月21日 藤満開

ニュースで銚子にある妙福寺の藤が満開だと報じていました。京都御所から移植したといわれており樹齢75年だとか。私も見に行ったことがありますが結構房が長く香りも強かったのを覚えています。例年より2週間から10日早く23日頃まで見ごろは続くとの事。GWにいろんなイベントあるとのことですがそのころにはもう時期が終わっていることになりますが大丈夫なのでしょうか。私は結構藤も見に行ってますが春日部の牛島の藤は圧倒的でした。樹齢千二百年というが手入れが非常に行届いており、枝の張り具合、花のつき方、写真撮影用の適度な広さなど実に結構なものです。よく宣伝している足利の藤は確かに豪華で鑑賞用には素晴らしいのですが人出が多すぎるのとあんまりに香りが強すぎて匂いに敏感な私は少々へきへきです。匝瑳市にある木積の藤はまったく飾り気がなく畑や丘に無造作に咲いていますがうまく咲いたときは花吹雪につつまれ楽しめます。

4月20日 新緑

車で走っていると道路の植栽はどこもつつじとハナミズキが満開です。生垣や植栽のツツジは真紅、ピンクなどとても派手な色が多く明るくなります。また木々も芽を吹きだしています。「新緑」などといいますが古来、和の色には本当にたくさんの緑色があります。濃いのには「深緑」「木賊色」「常盤緑」といったもの、薄いのには「浅緑」「若緑」「薄緑」「萌黄色」など数十種類あります。これらの色が辞典に載っているということはこの色を出せる、作れるということなのですね。絵具などでは2,3種類しかしりませんがもしかしたら日本人は「緑色」には大変興味があったのではないでしょうか。好きな画家の一人、東山魁夷さんは青(緑)にとても神経を使っていたように思います。水辺に佇む白馬のバックの緑などは一筋縄ではいかない色です。同系統の色ですがそのグラヂュエーション、微妙な違いは絵に深みを与え私たちの心に染み込んでき、落ち着かせます。

4月19日 G.W

あと10日ほどでゴールデンウィークに入ります。今年はコロナが一段落したので行楽地はどこも予約で一杯のようですね。まあいつも通り近場の公園か美術館巡りでもしようと思っています。毎年G.Wの少し前に行っている大多喜の筍料理店から今年はいつもより生育が早いので一週間前倒ししてくださいとの連絡が入り今週の日曜日に行きます。もう恒例の行事になっていますがいつ行っても少しづつ嗜好を変えているので毎年楽しめます。ここの亭主と奥様は若い頃ニューヨークの和食レストランで働いていたとかで外国人客に流暢な英語で料理の説明をしています。因みにタケノコは英語で”BAMBOO SHOOTS”または”BAMBOO SPROUTS”というそうです。どちらも竹の新芽ということなのですがSHOOTSはサッカーのシュートや鉄砲を撃つという意味ですが何となく筍が弾丸のような形をしているのも関係あるのかななどと想像しています。

 

4月18日 読売歌壇栗木京子

遅まきながら今週の選にはWBCの話題が多く入っていました。大谷選手、村上選手を扱った作品が多かったのですが私は「国中が侍ジャパンに歓喜してペッパーミルのポーズあちこちに:遠山 敏子」に注目しました。このポーズの発信人である大リーガーのヌートバー選手がヒットやホームランを打った時にするパフォーマンスだったのが侍ジャパンの選手たちにも伝染してしまったものですね。栗山監督がどんな情報源で彼を選んだのか知りませんが国内ではまったく知られてない日系大リーガー。最初は彼がヒットを打って塁上でこのポーズを決めたのち、大谷選手が塁に出た時まねそれがきっかけだったように思います。コツコツやってれば上手くいくという意味らしいのですが日本ではまあ老若男女だれもかれも、まったくのにわかファンまで一緒になってペッパーを挽きました。ヌートバー選手の愛くるしい容姿と元気なお母さんと一緒になって日本中が盛り上がりました。

4月17日 富田望生の「日日是芸術」

先日表現者としての知的障碍者をテーマにして過去何回か放映している伊勢朋矢という人の「富田望生の日日是芸術」というテレビ番組がありました。今回は富田望生という女優が案内人になっています。とある見慣れぬ喫茶店に彼女が入るとセロハンテープで作ったメガネが釣るしてあり勧められるままにそれを付けると突然非日常の世界が広がります。細かい文様を書きつらねる画家、音楽に合わせ体を揺らすダンサー、それを一心に撮影するカメラマンなど何とも不思議な光景に出会います。その表現者達はみな生き生きとひたすら感情の赴くままに溢れるエネルギーをぶつけています。メガネを付けた富田もその輪の中に加わります。やがてメガネを外した富田の目の前にはそのままの光景が残っています。感情の発露が芸術の源でありそこには健常者も障碍者も、観客もないあるのは表現者の感覚だけ。白い闇の向こうにあるのは異形ではなく一人の人間の感情とその表現だけ。

 

4月14日 手根管症候群

このところ両手、特に右手の動きが非常に悪く箸がうまく持てない、シャツのボタンがとまらない、ペンが持ちずらく字がゆがむなどの症状が出ていたので会社の近くの町医者に行ったら「手根管症候群」だろうといわれ再診断をするようにと大学病院を紹介され昨日行ってきました。担当医は非常に熱心に診察して下さいましたが、所見が典型的な「手根管症候群」と少し違う。脳の異常だと運動機能と感覚機能が同時に悪くなるのはまずないので違う、首の神経からだと指一本一本が別々にしびれるので違う。腱鞘炎の可能性もありえるので神経伝達の検査をしてみよう。ここの病院には設備がないのでと別な病院を紹介してくれその後もう一度診断しましょうということになった。レントゲン結果も専門用語を使わず素人にも分り易く説明してくれました。治療はこれからですが私の頭に刷り込まれている「いわゆる大学病院」とは違いとても信頼できそうな医師だなと思いました。

 

 

4月12日 黄砂の襲来

気象庁は今日から明日にかけて北日本から西日本の広い範囲で黄砂の飛来が予想されるとして注意を呼び掛けています。この黄砂なるものは日経新聞夕刊の説明によると中国大陸の砂漠地帯で雪解けが進み露出した地面が乾燥し、風によって砂が巻き上げられやすくなることで起き、舞い上がった砂が偏西風に乗って数千キロ離れた日本列島まで運ばれてくるのだとのこと。車のフロントガラスに着いた黄砂はワイパーを使うとガラスに傷が入るので洗い流した方がよさそうです。さすがに日本では中国のように空が黒くなったり視界が悪くなったり環境悪化に伴い外出を控えるほどの影響はなさそうですが、何しろ何千キロの飛行で空気中の浮遊物を一杯くっつけてくるのですから知らない間に例えばウイルスとか花粉とか動植物なども運んでくるのでしょう。人間が交流を始めるはるか昔からの自然現象で誰も止めることは出来ないのですからこちらから気を付けるしかありませんね。

4月11日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「うつむいてふたの開いたランドセルこぼれた夢はひろえばいいよ:桃原 晴美」これはもう新一年生でしょう。一年生にはランドセルはとても大きく見えます。なにか落としたのか珍しいものをみつけたのかとっさにうつむいたのですがランドセルの留め金が外れていたのですね。なかの本やノートがダーと飛び出してしまいました。そのとき夢まで一緒に飛び出してしまいました。大慌てでノートも本も拾いあげさっき落としてしまった夢も丸めてポイとランドセルの中に突っ込みました。もしかしたら落としたのとは違う夢を拾い上げたのかのかもしれません。この作者は同年代かそれより少し大きめの孫がいる「おばあちゃん」なのかもしれません。なんとも優しい目でこの情景を見ています。大きくなれよ、元気に育てよ、友達できたか、給食はおいしかったかなど一杯の言葉と愛情がこの歌の中には詰まっています。お隣の「一星君」は4年生になりました。