1月17日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「原因は加齢と言われた帰り道きれいに終わる蔦の赤見ゆ:寺山 昭彦」まあ困った歌です。リアル過ぎます。最近妻がやれ目が悪い、腰が痛いのと病院にいくとまず最初に医者から言われるのが「お年ですから」だとこぼしています。誰も好き好んで年を取っているわけでなしよく診察もしないで取り敢えず「お年ですから」はないだろうというのです。そんな直截的にいわなくとも「目が随分疲れているようですね」とか「何か重いものを持ちましたか?腰がえらく張っていますよ」とかなんか言いようはあるでしょうにとは妻の弁。作者は散る前に真っ赤に染まりひと花咲かせている蔦に元気をもらったのでしょう。私だってこのまま年老いていくわけじゃない、ひと花咲かせるとは言わないがまだまだこの世を存分に楽しみたい気持ちはありますよとでも思ったのでしょうか。随分と身につまされる作品で「同士頑張ろうぜ!」とエールを送ろうと思います。

1月16日 義父

義父は今福岡で高齢者施設に入っています。義母は13年前に亡くなっており家には誰も住んでいず義弟が時々見に行っているようです。義弟は施設にも面会に行っているのですがコロナ禍でまた面会できなくなったとのこと。まあそこまではただの近況報告ですが最近いやな話が持ち上がっています。一つは義父が認知症気味になってきたこと。この間は家のリビングに紙に包んで置いてある200万円はどうなっているかなと義弟に聞いたとのこと。リビングにそんな大金を無造作に置いておくなどは義父の性格からしてあり得ない。勿論家にはそんなものはないので疑われるにはいやだなと義弟。もう一つはどうも家の中が怪しいんだとのこと。亡くなった義母の宝石類が見当たらない、また応接台がないというのです。どうも空き巣が入ったようです。昔の家なので鍵も簡単なのであり得るのですが気持ちが悪いなと義弟。私もそんなに遠くないのでボチボチ対策を練らなければ。

 

1月13日 エンニオ・モリコーネ

マカロニウェスタンの映画音楽で有名なオイタリア人音楽家エンニオ・モリコーネが2年前に亡くなったがそのドキュメンタリー映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」が新聞に紹介されていました。モリコーネといえば1960年代一世を風靡したマカロニウェスタンの挿入歌が思い浮かびます。どんなにクリント・イーストウッドがニヒルでもリー・ヴァン・クリーフが不敵でもジュリアーノ・ジェンマが格好よくてもエンニオ・モリコーネの音楽がなければあれほど流行りはしなかったでしょう。寂しげなそれでいて何かが起きそうな予感がする彼の音楽はとても魅力的でした。そして数年前先輩が送ってきた彼の音楽にまた驚きました。四季の移り変わり、風の流れに音楽を付けている画像です。映画音楽で大成功した彼の本質はこういった時間を超えた悠久の世界にあったのですね。生粋の芸術家が最高の職人でいられる奇跡、その生涯をかけた実践との推薦文。楽しみです。

1月12日 ほっこり話

昨日のことです。店のためにした仕事なのに事務員さんから剣突をくらい甚だ不愉快な気分で運転していた時に「ほっこり」に出会いいっぺんに気分がよくなりました。私が松戸中心部の細い路地を運転していたら右の方からまったく前を見ないでサッカーボールを抱えた幼稚園か小学1年ほどの少年が走ってきます。危ないのでその場に止まり待っていたら彼はボールを落としそれを拾うため必死です。幸い車までは来ないうちに拾い上げ、始めて前を向き私と目が合い恥ずかしそうにペコンと頭を下げました。なにしろボールを拾うのに夢中で何も目に入らなかった自分に気が付き我に返ったのでしょう。色の白いこの少年はホッペを赤く染めいかにもバツが悪そうに頭を下げています。私は思わず手を差し出しOKサインで返しました。二人の間になんとも言えない「ほっこり」を感じそれまで腹につかえていたものが一度にどこかに行ってしまい思わずにやついてしまいました。

1月11日 水仙ロード

先日千葉鋸南町の江月水仙ロードに行ってきました。もう20年以上ほぼ毎年見に行っていますがコロナ禍以来随分と花が寂しくなりました。密にさせてはいけないということなのか手入れが行届いておらず(もしかしたら集落の高齢化が理由かも)花が群生していません。ここの特徴は海抜10mくらいから100m超えの勾配で頂上まで登っていくその崖の両側2,3kmに同じ種類の和水仙がびっしりと咲いていることです。風の具合で上品な甘い香りがとても心地よく上りの傾斜を忘れるほどです。しかし今年は場所により雑草が結構生えており絶好の「映え」ポイントが残念な事になっています。今回は満開のカワズザクラを一本、5分咲きの蝋梅を2本と咲き始めの白梅を沢山みつけました。少々がっかり気味ではありますが絶好の青空と水仙はやはり気持ちのいいものです。帰りに恒例の「道の駅保田小学校」で食べたタコ入りとハムと野菜のピザは非常に結構でした。

1月10日 読売歌壇栗木京子

本年一回目の選。「職退きしメルケルさんもシュトレーンを焼く時ありやと粉量りつつ:新井美智子」言わずと知れたメルケル前ドイツ首相のことですね。4期16年の長きに亘りドイツ、ヨーロッパの政治をけん引し一昨年に引退した大政治家です。長かったにも拘わらず独善に陥らず常に最善を考え抜いてきた彼女のことは私も大好きでした。新井さんはそんな政治家も政界引退後はドイツでクリスマスケーキとして有名なシュトレーンを焼いていたのだろうかと粉を量りながら思ったのですね。物理学出身で博士号を持った頭脳明晰な彼女、実は家庭では料理が得意だと漏れ聞きます。忙しくてそんな暇もなかったかもしれないメルケルさんもようやく一家庭人に戻って伝統菓子を焼いているのかもしれませんね。こんな歌も選んでくれる栗木さんはすてきだなア。

1月6日 刷り込み

今朝出勤してスケジュールを見たら9日(月)が休みになっています。調べてみると「成人の日」なんですね。私の頭の中には「成人の日」は1月15日で止まっていましたのでいつから変わったのかまったく知りませんでした。迂闊です。毎週月曜日の午前中がポスティング申込の締めで、月曜日が休みの場合は前週の金曜日が締め切りになります。というわけで月曜日に商談をするつもりだったお客さんに事情を説明し注文を頂きました。気が付いたからよかったのですが危うく注文を取りそこなうところでした。西暦2000年の祝日法改正(ハッピーマンデー法)で連休になるように祝日を月曜日にしていることが多くこれはこれで結構なのですが何の祝日だったのか分からなくなりました。成人の日が元をたどると元服の儀に由来するなどに拘ってはいませんが一度刷り込んだものは簡単には変えられませんね。これも年のせいなのでしょうか。

1月5日 医者の入院

去年の12月に以前から悪かった腰がぶり返したので家の近所の整形外科に行ったら治療はなくリハビりということで時々マッサージをしてもらうことになった。いくつかの検査を受け痛くなった理由は分かったのだがその治療はなんとも頼りないものです。それでもしばらくは通ことにし年明けの予約も取っていましたが昨日病院から院長が入院したので予約はキャンセル。いつから開院するかわからないが分かり次第連絡するとのこと。確かに医者の指示がないとリハビリも出来ないのだろうからそちらも休むのは分かるが事務員、看護師、技師、リハビリ担当者と多分総勢10人近い人たちが休業になるのですね。院長の入院で休業になったら有給休暇をつかうのだろうかそれとも何か別な方法があるのだろうかと余計なことを考えてしまいました。新年早々つまらん話ですが。

1月4日 仕事始め

今日から出勤です。通勤電車は結構空いていましたので5日からの人も多いのでしょう。毎年九十九里で日の出を拝んでいますが今年は寒かったせいでしょう「けあらし」という現象を始めてみました。これは海水温のほうが気温より暖かい時に海水面から湯気がでるもので北国ではごく普通のことのようです。波が大分ありましたのでまにまに漂う湯気が日の光にあたりとても幻想的な景色でした。帰りにこれも恒例になっている稲毛海岸からの富士山はかろうじて輪郭がみえる程度でした。三社まいりは今年は一社だけ。他に特別なことはなくいつものお正月でしたがこのところ賀状交換はこれで最後にするという文面が増えてきました。一つにはラインの普及でわざわざ年賀状を書くこともないということでしょうがやはり年を取ってくると書くのが面倒くさいというのもあるのでしょう。私は彫るのも刷るのも楽しみなのでもう何十年も下手な干支の版画を出しています。