新聞は読むお茶 ~新任のご挨拶

読者の皆様、初めまして。前任より当ブログを引き継いだ新任者です。

私は……と言っても、前任者のように一人で当ブログを書き続けるわけではありません。

前任者は「私」という一人称で日常や周辺の事象に目を向け、些末なことの中から深淵を探りあてて淡々と語る、という手法をとっていました。

しかし新任の私にはそういう芸当はできません。また、ほとんど毎日のように書き続けるということもできそうにありません。時間も、話の種もそれほど持ち合わせがないのです。

とはいえ、せっかく前任者が遺してくれた心的財産であり、多くの読者の皆様もいらっしゃるブログをなおざりにするわけにもいきません。

そこで、年齢も性別もまちまちの数名がユニットを組んで、すべて「私」という一人称で好き勝手なテーマを書いていくという手法を思いつきました。

当分の間落ち着きのない、統一性もないブログになると思いますが、試行錯誤しながら皆様に可愛がっていただけるまでに成長させたいと思いますのでどうかよろしくお願いいたします。

 

さて、皆様は新聞をお読みでしょうか? 「新聞販売協議会」というくらいだからさぞや新聞を読んでいるのだろうと思われがちですが、実は私は先日まで自宅では新聞をとっていなかったのです。出社すればどの新聞も好きなだけ読める(時間があれば)。そういう環境では、家庭にまで仕事を持ち込みたくないという気持ちも働き、引っ越しを契機に新聞を購読する習慣をやめました。

別に新聞など購読しなくても、事務所では読めるわけですし最新情報はネットでいくらでも見ることができる。読むことが習慣だった頃は新聞がない朝夕は物足りない気がしたものですが、慣れてしまえばどうということはありません。

しかし先日、たまたまじっくり読みたい記事があって事務所の新聞を一部自宅に持ち帰りました。そしてその夜、リビングでゆっくりと新聞を読んでみると、これが「実に良い……」のです。いえ、新聞がではなく「新聞のある時間」が良かったのです。久しぶりにティーバッグではない茶葉と急須で煎茶を淹れました。

新聞を読みながらゆったりとお茶を飲む。これが朝であればアメリカンコーヒーなどもよく合いそうな気がします。

そうした心の余裕を持って、新聞を通じて世界や社会に出会う。新しい知識を得る。これは「無の充実」ともいうべき贅沢な時間の使い方でした。

手前味噌で恐縮ですが、もしも「あまり新聞を読む習慣がなくなった、あるいは購読をやめようと思っている」という方がいらっしゃいましたら、「新聞がある生活」が実は贅沢なものであることを今一度再認識していただきたいのです。

新聞は「心のお茶」のようなもの。なくても生きてはいけますが、やはりあったほうがよい。

そうは思いませんか?

12月20日 退職します

今日から会社の植栽に庭師が入り冬支度を始めていますが私も老後にむけての準備ということで今月一杯で退職します。有給休暇がありますので今日が最終日です。これからは尊敬する栗木京子さんのパクリ「退屈をかくも素直に愛しゐし日々を迎えてさよなら会社」といったわけで日々怠惰な生活を送ることになります。ある人は「酒も飲まず、女遊びもせず、バクチもしないでこれからどう生きていくのか!」と問うてきましたがまあ妻と仲良く静かな余生を過ごすつもりです。尊敬する山男の先輩からある程度のスケジュールは持ちながらそれには縛られないことだとの助言また「登りたい山から登れる山に」になってきたともいっていましたが年相応の過ごし方を考えています。栗木氏の最近の歌に「葉の間にいちやうの緑き実の見えて新しき過去かがやくごとし」というのがあります。毎日を新たな気持ちで迎えられるように心身を健やかにして過ごしていきます。

12月20日 慣習の廃れ方

今日の日経夕刊に掲載されていた林真理子氏に同感。「年賀状を控えさせていただく」という案内が今年はやたら多い。SDGsとか地球資源といった今迄なかった理由にも驚き。コロナの最中にはこんな動きはなかったのに収束したとたん何かが吹っ切れたということか。かくいう私(林氏)も年賀状を出すのをやめた。添え書きを書くのが大変で今年は忙しくてすっぱりやめた。慣習というのは、こういう風に廃れていくのだなとつくづく思う。実は徐々ではなく、ある年に劇的に減っていくのだ。さらに葬儀も「近親者のみで済ませました」というしらせがコロナ以降定着した。やめてもどうということもないと、あっという間に浸透したのだ。もう元に戻ることはないだろう。何十年後のグーグル(あるか?)では「年賀状、葬礼は、2020年代前半に大きな変化をとげた」と書かれるに違いないと思うとほんの少しワクワクすると結ぶ。さすが流行作家、オチが鋭い。

12月18日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「まだコロナが尾をひいている病院で自己紹介はカーテンごしに:竹下和江」本当に病院は気を使っています。先日亡くなった義父への面会も大変でして症状がだんだん悪くなり会いたくても病室には行けずカーテンごしまた義父が会いたがっていた孫娘にはまったく会うことが出来ませんでした。病院内から患者が出ると院内感染ということで大騒動になりますので病院は必要以上に気を使っていたのだとは思いますがそれにしても今日明日の命という非常時位規則を緩めてもよさそうなものですが。最近の電車内はマスク着用者とそうでない人の割合は3:7ほどでまだ着用者の方が多いようです。もうほとんど収束しており国も着用が必須だとは言っていませんがそれでも移されても移してもいやだということなのですね。かくいう私も電車内、お客様との面談時には必ずマスク着用で臨んでいます。一種それが礼儀のようになっていますね。

12月14日 人への評価

今さら忠臣蔵でもないのですがつくづく人の評価は様々だなと思います。忠臣大石内蔵助も大勢の武士を死に引き入れたという悪い評価もあります。忠臣蔵そのものが芝居話なので正確さとは無縁ではありますがかつて武士の鑑のように言われていた人も実はこういう見方もあるのではないかと別の評価をされることもあります。吉良上野介は悪の権化のように描かれていますが私が中京地区で勤務していたころ吉良町では素晴らしい城主としてみんなに慕われていたと聞きました。時代時代により人への評価は変わります。ある分野では飛びぬけた評価を得ている人物が実はとんでもない女たらしだったとか、日々の生活を暮らしていけないとかの話はよくあります。スポーツの世界でもスーパースターではあるがお話をきくと訳が分からないとかその種の話はごまんとあります。人からの評価より毎日を自分に正直に精一杯生きていることこそが大切なんだろうと思います。

12月13日 小さな村の物語 イタリア

私は「小さな村の物語 イタリア」というテレビ番組が好きで毎週見ています。これはローマ、ベニス、ナポリといった有名どころではなく山間や海岸にある本当に小さな村で観光客もほとんど行かないような場所での生活ぶりを俳優の三上博史がナビゲートする番組です。観光客が押し寄せ町には外国人が溢れレストランでは地元の人が入れないという場所とは違い農業、漁業、酪農、石切といった昔から守ってきた仕事をしている人たちが主役です。派手さはなく朝から晩まで勤勉に働き昼休みは家族全員でマンマが作った料理を食べています。出てくる人々は映画で見たり伝え聞くイタリアのイメージとは随分違います。家族を愛し、村を愛し質素にしかし心豊かに暮らしています。流れる音楽と風景はきぜわしい日常から離れしばし別世界にいるような気分になります。一杯のコーヒーを飲みながら味わうのどかで平和なイタリアはゆったりとした時間が流れ楽しみにしています。

12月12日 読売歌壇栗木京子

今週は気になる作品が多かったのですが「反撃も攻撃も同じ弱者から死んでゆくのだ戦争よNO! 佐藤 勝美」確かに人類は戦争の歴史には違いないが最近はメディアが生々しい状況を生で伝えてくれるので悲惨さが一層際立ちます。イスラエルは病院や避難所まで攻撃し沢山の子供たちが死んでいます。町の面影はまるでなく見るも無残な姿になっています。イスラエルの連れ去られた人達はまだ多数が戻っていず不安な毎日を送っていることでしょう。ウクライナは最近メディアの露出が減っていますが時に出てくる情報では以前と何も変わっておらず世界の目がパレスティナを向きアメリカの援助が少なくなりウクライナの劣勢が伝わってきます。戦争は勝ったものが正義といいます。どんなに国際医療従事者が理不尽さを訴えようと他国の子供たちを連れ去り洗脳しようと結局「その正義」がまかり通ってしまいます。もはや何も彼らを成敗できるものはないのでしょうか。

12月11日 オータニさん

昨日は用があり朝からテレビを見ていなかったのでニュースを見ていなかったのですが夕方テレビをつけて驚きました。ニュースは「オータニさん」のドジャース移籍の話で持ち切り。「10年総額7億ドル1,015億円」、メジャー史上最高どころかサッカーのメッシ、NFLのマホームズの契約金を上回ってプロスポーツ界で最高の契約金額かもしてないとのこと。大谷選手は今回の移籍の基準として契約金額より優勝できるチームを望んでいたようなのでドジャースはその希望を叶えられるチームのようです。高校の時からドジャースは大谷選手にコンタクトしておりに卒業後は二刀流を認めてくれた日本ハムに入団したがそのときもアプローチしていたとのことで10年越しの契約ということなのでしょう。それにしてもこれほどプロ野球選手の移籍、契約金について話題になったことはかつてなかったでしょう。また投げて打って走ってと大活躍して欲しいですね。

12月7日 マック

今日のマックはマクドナルドのことです。私は安くて結構おいしいので週一くらいでマックを利用しています。日本には1971年銀座に出来たのが一号店だと記憶していますが今やアメリカに次ぐ世界第二位の店舗数で全都道府県に3,000店近くあるようです。少し前スタバはないが砂場があると自嘲気味にいった知事がいましたがそのスターバックスが1800店ほどです。一時期は安売り合戦でそのブランドイメージを壊してしまいましたがカナダからカサノバ氏が来てきっちりとしたマーケティング戦略で着実に回復していったのは周知の事実。子供たち向けに、新しいメニューの開発に、セットメニューで割安感を演出したりといった努力の積み重ねで安物商品のイメージを払拭しました。私はマックの伝道師ではありませんが外国から会社の立て直しに来てこれほど大きく変貌した例をあまり知りません。世にマーケティングをいう人は大勢いますがマックは凄い。

 

12月6日 アメリカで納豆?

今日の日経夕刊グローバルウオッチに「納豆党」が出現、独自進化もと出ていました。米国人の間で納豆やだしといった日本食の基本食材への関心が高まっているのだそうです。新型ウイルスの流行で自炊する人が増え発酵食品に注目が集まったとのことで米国ならではの食べ方も出てきているとのこと。私は納豆が好きで小パックを夕食時にタレだけ入れてよくかき混ぜそのまま食べていますが米国人も納豆を白米にかけて食べるのは少数派でピザにのせたり健康食として穀物のキアヌと混ぜたりして食べているようです。納豆だけでなく天然醸造の味噌やダシにも人気がありダシは料理に使うわけではなく、そのまま飲むという人たちが多かったのは想定外だったというのはだし専門「Dashi okume」ブルックリン店の宮島マネージャー。米国では鶏やなどの骨付き肉をじっくり煮込んで取ったダシを栄養補給や健康維持のために飲む人たちがいるがそんな感覚のようです。