12月27日 サンマ不漁

新聞に銚子でサンマの水揚げ、初のゼロとでていました。かつてはサンマの水揚げ量日本一を記録したこともある銚子漁港で今年のサンマの水揚げがゼロだったことが銚子漁協への取材でわかったとのこと。サンマは秋以降北海道や三陸沖を南下していたのだが現在は北太平洋の公海にとどまることが多く国内各地で記録的な不漁が続いているようだ。他の地域からの漁船も水揚げするが遠い北の海でしか取れないので燃料費を考えると銚子まで運びに来る漁船がない状態ということで自前も他人さまのもないということです。我が家で最後にサンマを食べたのはいつだっただろうか。もう記憶の隅にもありません。私は子供の頃からあの苦いところが大好きで頭から尻尾までそれはきれいに食べていました。生きている間にまた安いサンマが食べられることもないでしょうから精々「昔サンマという旨いサカナがいたんだ」ということを記憶に留めておくことにしましょう。

12月26日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「種なしのぶどうにときおりある種を愛しきものの一つに数う:原田りえ子」この歌に栗木氏は種無しブドウは食べやすいが人間は少し横着になりすぎたかもしれない。種にはぶどうの命が凝縮されている、命の源の愛しさに気付かせてくれる一首との評。はなはだ勝手な解釈をすると3年前にご母堂を失くした栗木氏には命の繋がりが特に深く沁みているのではないだろうか。直近の歌集「新しき過去」にはそんな彼女の母親に対する愛憎、惜別、無念、開放感に満たされており種無しブドウの歌を見た瞬間そんなないまぜになった感情が噴出したのではないだろうか。深読みすぎることは承知でたかが種無しブドウを食べたということから命の大切さそして人間があまりに便利さに慣れてしまったため植物が自らのDNAを伝えようとすることを断ち切ってしまった身勝手さにまで言及している。きっと栗木氏はこの歌に様々な感情を持ったのだろうと想像します。

12月23日 ゼレンスキー訪米

昨日のニュースには驚きました。戦争真っただ中のウクライナ ゼレンスキー大統領がアメリカを訪問しバイデン大統領と会談し議会で演説をしたというのです。まさに映画の世界です。もしかしたら懸賞金がかかっているかもしれない重要人物で戦争相手国はきっと命を狙っているのでしょう。それが国外に出たというのですから。勿論周到な準備と必要な警備と秘密厳守で行ったことでしょうがそれでもアメリカの手助けが大いにあったことは間違いないでしょう。以前日産の元社長が日本での懲罰を逃れるためスパイ映画でも見ているような脱出劇をしましたが今回のも結構凄いものです。会談の内容はこれからも武器調達をはじめ絶大な援助を期待するゼレンスキーにアメリカが答えたものでしたが俳優出身だと聞くゼレンスキー大統領の面目躍如とでもいうのでしょうか。悲惨な戦争をおちゃらかす意図は全くありませんでただただ驚いた次第です。

12月22日 日本海側の豪雪

少し収まってきたようですが日本海側にとんでもない量の雪が降り数百台の車が立ち往生していました。丸二日動けなかったという車もいたようです。気象予報士によると今回の豪雪には二つの理由があった。一つは海面水温と上空の寒気。日本海の水温は例年に比べ2,3度高くなっておりそれが上空の寒気とぶつかり非常に不安定になっていること。もう一つは最近出てくるようになったJPCZ(日本海寒気団収束帯)。これは北からの寒気団が朝鮮半島中央部の高山により東西に分かれ日本海で合流するときに激しい上昇気流をつくるんだとか。何はともあれ豪雪に慣れている筈の現地の人も驚く量だったようです。数時間のうちに50cm積もったとか雪の経験がない私には恐ろしい限りです。立ち往生した人達は食事、トイレ、寒さ対策はどうしたのでしょうか。また長い時間停電しているようですが日常生活を電気に依存しているのですから一刻も早い復旧が待たれます。

12月21日 年賀状

私はもう40年以上版画を刷って年賀状を出しています。先の日曜日に刷り終わりもう乾いているのでこの土曜日に宛名書きです。といっても絵の素養が全くないのでどこからかデザインを拝借してきて彫と刷りだけなのですが。大体干支と一文字入れ簡単な近況報告が出来るくらいのスペースを空けています。現役時代は100枚を超える賀状を書いていましたが段々もう賀詞交換はやめようと言ってくる人、亡くなった人などが出始め半分くらいになりました。確かに日頃はメールのやり取りをしており元旦には必ず写真付きで新年のあいさつが来るのですから賀状の必要はありません。私の趣味みたいなものでこれをやらないとどうも年を越す気がしません。それにしても先頃まではご両親、ご家族の逝去による欠礼挨拶が多かったのですがこのところご本人あるいは連れ合いの忌中はがきが目立ってきました。まだまだ若いつもりですがボチボチそんな年頃になってきたのですね。

12月20日 材木座海岸命名権

数日前俳人長谷川櫂氏が日経夕刊に「変幻する海」という題で寄稿している中に初めて知ったことが書いていました。全体的には海は変幻自在に変化する。青い砂漠と表現されたりあるいは彼は意識がなく荒れたり凪いだりするのだから「青い無」ではないのかなど非常に面白い内容なのだが、その中で10年前に鎌倉市が材木座、由比ガ浜の命名権を売り出したが由緒ある名前が変わることを憂えた鳩サブレの老舗豊島屋が年間千二百万円、十年間契約で命名権を買い取りもとの名前のままにすると決めた。十年が過ぎ契約は終了したが市は今後別の方策を考えるということだが驚きました。金になる木を埋もらすのは勿体ないとばかり「命名権」を売りものにする風潮がありますが、さすがにこの由緒ある名前が訳の分からないものに変わるのには抵抗があります。歴史的な名前が陳腐なもの、その場所とは何の関係もないものに変わっていますがもっと歴史を大事にしたいものです。

12月19日 読売歌壇栗木京子

今週の選も面白い作品群でした。「われひとりしゃべって答えて頷いて夫との散歩口も疲れる:堤美枝子」ほのぼのとしていいなア。私はことさら妻と散歩することはありませんが長距離ドライブをよくするので車中ではとりとめのない話をしています。作者の方は旦那が聞き役のようですが我が家では私のほうがよくしゃべっています。長距離だと眠くなるのを防ぐためというのもありますがああでもないこうでもないと勝手にしゃべっています。時々横を見ると白川夜船のことが多いのですが。栗木さんの選ぶ作品は日常生活から社会時評まで本当にいろんな話題があります。ことばを飾らず心のままを歌っているような作品がよく選ばれています。こんなのもあります「眠そうな顔がそれでも嬉しそう強敵ドイツに勝った翌朝:吉田哲弥」そのまんまですね。情景がすぐに浮かんできます。そして作者の感情が溢れているのでとても共感出来ます。小難しい歌ではないのですね。

12月16日 コロナ感染者の葬儀緩和

今日の日経夕刊に「コロナ感染者の葬儀緩和:遺体包む袋不要」と出ていました。新型コロナウイルス感染者の遺体の搬送や葬儀に関する国の指針の見直しを巡り厚生労働省が遺体を包む「納体袋」の使用を不要とするなど制限緩和の改正案をまとめたことが取材で分かったというものです。改正案では接触感染には注意が必要とした上で、原則として納体袋の使用を求めない、通夜や葬儀も執り行うとしたとのこと。現行では葬儀や火葬への参列を見送るよう勧められている濃厚接触者にあたる遺族についても感染対策を条件に出席を認めるとなっている。コロナ感染者の死亡には家族が病室で遺体と対面できなかったり火葬場に入れてもらえなかったりするケースがあり制限を緩和を要望する声にこたえたもの。肉親との最後の別れに立ち会えないのは家族としては何ともやりきれない気持ちだったでしょう。コロナ対策も立てやすくなった今不必要な制限撤廃はありがたい。

12月15日 ゼロコロナ対策

中国の事なのであまり情報がなく私の分かっている限りでの話ですが非常におもしろい現象が起きているようです。中国はコロナ発生以来陽性者を徹底的に隔離し他にうつらないようにしてきました。多分それで爆発的な蔓延を防ぐことができていたのでしょう。国はそれを大いに誇っていました。しかしあまりに長い間隔離政策が行われてきた為もう我慢の限界ということで民衆の間に不満が爆発し始めました。中国のことですからまた力で押さえつけるのかなとみていると今回はそれまでの政策を変更したようです。中央の意向だけでまだ地方には徹底されていないようですが。それで何が起きているかというと、この状態で外に出ると一発でコロナにかかってしまうという恐怖から町は以前にもまして閑散としており食堂などもお客さんが来なくなったとのこと。以前より自由に外出をどうぞということになったら反って街に灯が消えてしまったというなんとも皮肉な現象です。