6月30日 車椅子ドレス

日経夕刊掲載プロムナードの桜木柴乃氏の話が胸を打つ。服装オンチと自覚している彼女は写真撮影の際スタイリストの「サチコ」さんに相談するようになった。そのサチコさんが教えてくれたYouTube動画「車椅子ドレス」。普段着でインタビューを受けている車椅子ユーザの若い女の子達はとてもおしゃれで前向き。「車椅子だからこそ、おしゃれをしたい」と答える彼女達が動画の途中でしっかりとヘアメイクを整え、色とりどりのドレスを着てチャペルを一周するところで紫乃さんの涙腺が崩壊した。サチコさんの胸に「特別ではない」ということがあるのに気付いてはっとした。腹筋の弱い人のために、座ったままの着付けができるように、車輪にドレスが絡まないように沢山の心尽くしの仕掛け。病気でウエディグドレスをあきらめたくなかった女性が一世一代の笑顔をしているその陰でひんひんと泣いているサチコさん。ビバ、人生と結ぶ。私の涙腺も崩壊状態。

6月29日 梅雨明け

2,3日前に関東地方の梅雨明けが宣言されました。とてつもなく早くまた梅雨明け後は異常な気温続きです。当地も33,34度とか報じられています。さらに最高気温の話に必ず出てくる埼玉、群馬地方では40度超えとも。これは大体風呂の適温が38~40位と言われていますからそれより少し高めの温度です。最近はカラスの行水で湯船にはせいぜい5分くらいしか浸かっていませんがそれでも上がるころには結構体は温まっていますがその温度の中に数時間いるということになるのですからなにおかいわんや。私は出来るだけ室内で電話、メールを使い用のある時はガンガン冷房を利かせて走りますので偉そうなことは言えませんが外での仕事の人たちは大変でしょうね。警備の人、道路工事の人たち、バイクで走る新聞配達屋さん、、、空梅雨で水の心配、電力供給不足など心配事も出てきます。無理しない程度の節電と小まめな水分補給で何とか暑さを乗り切りましょう。

6月28日 夫婦仲

今日の日経夕刊「こころの玉手箱」という読み物に、三井物産会長の安永竜夫がご自分の両親が仲がとても良かったことを書いていた。彼の父親が亡くなったとき、母親は位牌の片側に戒名を寄せ、もう片側を空欄にした。いつか自分の戒名も共に記して「一緒にいようね」ということだ。このことは母親が亡くなるまで彼は知らなかった。彼も同じようにしたいと妻に提案しているがいまのところ異論は出ていないと結んでいる。私は今日明日お迎えが来るほどの年ではないと思っているのだがこればかりは自分では決められない。何十年も一緒に住んでおり今や二人きりの生活ですが「老いふたり互いに空気となり合ひて有るには忘れ無きを思はず:空穂」ほど枯れてはいませんでいまだにいがみ合っています。今度私も同じように位牌の片側を空けといてと言ってみようかしらん。「なんじゃそれは?」というのか「もう片側はどうするの?」というのか。自分用に空けとくとは??

6月27日 大リーグの乱闘

大リーグでは相変わらず「ショーヘイ・オータニ」の大活躍が報じられています。そんな中昨晩のエンゼルスとマリナーズの試合中で双方入り乱れての大乱闘が報じられていました。動画では大谷選手の通訳水原氏がマッチョ集団の中にあって必死で大谷選手を守っている姿が賞賛されていました。ところでこの乱闘ですが日本では滅多にお目にかかれません。暴力はいけませんし、子供達も見ているのですから社会人としての分別も示す必要がありそれを肯定するものではありませんが、あの乱闘で選手生命を脅かすような被害があったりするのでしょうか?もしかしたらあの体ですから少々の攻撃ではそんなことにはならないのかもしれませんが。「やったらやり返す」という国と「それでも暴力はいけない」という日本とは土壌が違うのでしょうがそれにしてもまともにやりあって怪我でもすれば元も子もないので少々の演出もあるのではないかと思っているのですがさて?

6月24日 USB紛失

尼崎市全市民の情報が入ったUSBメモリーを業務委託先の社員が紛失したという事件が昨日ありました。その社員は情報をメモリーに複製しデータ移管作業をした後居酒屋で飲酒し酔って記憶をなくし、路上で眠り込み目が覚め紛失に気付いたというのです。夕刊によるとそのUSBが入ったカバンは社員が立ち寄ったとみられるマンションの敷地内に無事あったと出ていました。人騒がせなことで尼崎市のずさんな情報管理が浮き彫りになってしまいました。これにつけて大昔食品問屋の社員とマージャンをした時彼が「今日は大型の小切手をもっているのでカバンを手放せない」といっていたのを思い出しました。彼は出張で得意先から小切手を回収していたのです。具体的な金額はもう忘れましたが非常に神経を使っていたのを覚えています。小切手といい出張ベースの代金回収といい、その途中でのマージャンといい昔のこととはいえ呑気な話です。USB管理には注意を!。

6月23日 沖縄慰霊の日

今日6月23日は沖縄の「慰霊の日」です。77回目。当時の日本軍司令官らが自決して事実上の降伏をした日だとのこと。米兵も含め20万人もの犠牲者がでたとされそのうちの半数以上が一般人だといいます。平和記念公園の「平和の礎」には米兵も含めた犠牲者の名前が刻まれており全員の名前を11日間かけて読み上げたと報じられていました。本土決戦の砦として徹底的な猛攻撃を受けここでの敗北が最終的な降伏につながったとも。戦争経験者がどんどんなくなりこの戦争の悲惨さが忘れられようとしています。目の前で親兄弟知人が惨たらしい死に方をした人々。どんなに想像力を膨らましても彼らの悲しみを追体験することは出来ません。子供に孫に二度と同じような目に合わせたくはありません。威勢のいい掛け声が出始めている昨今沖縄であったことに目を背けず、家族を国を守るため何が必要なのかもう一度沖縄をそして戦争を家族と語り合おうと思います。

6月23日 今時の花

会社の行き帰りに咲く色んな花を楽しんでいます。この時分だとアジサイですが昔とは随分違います。流行りなのでしょうか「柏葉アジサイ」をよく見かけます。円錐形の白い花で大きいものは30cmくらいありそれが外に向かってはちきれんばかりに飛び出しています。なんだかとても元気になる花です。可愛らしい色の「山アジサイ」もよく見ます。また洒落たところでは「ユリ」です。大量に咲いてはいませんが赤、ピンク、黄色とさまざまの色が混じり合い貴婦人のそろい踏みといった風情です。さらに最近目立つのが「アガパンサス」です。以前千葉公園に大賀ハスを見に行ったとき公園内に妙な花が咲いているのを見たのが最初です。高さ7,80cmの茎の先に円形に紫の花が咲いています。葉は地べたにはありますがすっと伸びた茎の途中にはまったくありません。イメージ的には彼岸花に似ていますがあの長い髭はありません。色も薄い紫で梅雨時にぴったりです。

6月21日 棺にすがる母親 

先日の「朝日歌壇」馬場あき子氏の選に「若者の棺にすがる母親よ麦の畑に十字架並ぶ:川西敦子」というのがありました。いつまで続くのかどれだけの犠牲者が出ればいいのか。ウクライナの戦争に勝者はいるのだろうか。もちろん戦争を仕掛けた為政者は敵が降伏すれば目標を達成できるのだから勝者なのだろう。しかし実際に戦場で戦っている兵士に勝者はいるのだろうか。命令に従っているだけ、あるいは従わなければ自分が甚だ不利な状況になってしまうからというのであれば敵を何人殺しても自国防衛のためでもなし家族を守るためでもなし勝者にはならない。そこには死者を悼む母親たちと地に埋められた屍だけしか残らない。同じ選に「地獄から地獄へ移る」と泣く妻よ地下壕出でて捕虜となる夫:伊藤紀美子」というのもありました。自国が侵略されるのを許すことは出来ません。しかし自分の子供には戦場には行って欲しくありません。棺にすがりたくはありません。

6月20日 若大将の引退

昨晩若大将加山雄三が9月9日の東京国際フォーラムでの公演を最後のコンサートにすると発表しました。85歳。「歌えなくなってやめるのではなくまだ歌えるうちに止めたい 最後までいつも通りにやる」とのコメント。85歳にはとても思えない顔のつやをしていますがやはり永遠の若大将加山雄三にもそんな時がきたのですね。それにつけても芸人の引退時はそれぞれです。その昔落語界の名人と呼ばれた桂文楽は口座で一か所しくじったのを最後に二度と口座に上ることはなかった。一方その奔放な芸風で知られた古今亭志ん生は口座で寝てしまった。しかし観客は志ん生をそのまま寝かせて置き起き上がった時に拍手喝采。志ん生と同じ空気を吸えたということだけで喜んだというのだ。どちらがいいとかいうものではないのだが一世を風靡した人達の引き際にはそれぞれの思いが籠っておりとても面白く感じます。ところで小田和正のコンサート抽選は外れました。

6月17日 父親の死

日経夕刊「あすへの話題」に劇作家渡辺えりさんが父親の死を語っています。親の介護についてテレビで語ったのが縁で故郷の秋田から依頼を受け「認知症の親を喜ばせたい」という演題で講演をすることになった。しかし彼女が喜ばせたかった父親はひと月ほど前に亡くなっており何を話したらいいのか悩んだ。講演前秋田名物稲庭うどんを食べるとおいしさに涙し、父の好物だったと思い出し食べさせたかったと後悔の念に駆られた。そして今の気持ちを正直に語ろうと決意した。病院での父の様子、葬儀の準備 とめどもなく涙が流れるがみんな介護の経験で一喜一憂しながら人生を歩んできた人たち。隠す必要もない。手放しで彼女を愛し、その作品も愛してくれた父がもういない。しかしそういった孤独に向き合い生き続ける人達の支えのためにアート、芸術があると結ぶ。私のことをどんなに深く愛しているかを知りながら最後まで不器用な生き方を軽蔑してしまった私。