4月14日 聖徳太子が消えた

昨日の日経夕刊の「あすへの話題」というコラムに文化人類学者の上田紀行氏が面白いことを書いていました。娘さんが高校の日本史から聖徳太子という名前が消え厩戸王になり彼の業績とされる「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「遣隋使の派遣」も政策チームの一人にすぎないというのです。厩戸皇子が登場する「日本書紀」は当時の政変を反映したもので、滅ぼされた蘇我馬子の功績を厩戸皇子に付け替え聖人化し後世「聖徳太子」という名で太子信仰が盛り上がったのであり信仰対象の聖徳太子と実際の厩戸皇子は別存在だといいます。そして小学校と高校で記述が違うのも「歴史は後世の人の意図によって創られたものだ」という大切な事実を学ぶことができるからありだとも。さらにフィクションの聖徳太子を1万円のお札にしたのも原価20円ほどのお札が1万円の価値をもつのは「信用」であり、信用もフィクションで太子の「信用」は絶大、不滅なのだと結ぶ。

4月13日 小平奈緒

私は冬のスポーツは出来ないせいもあり興味はなく選手名もあまり知りません。先日の冬季五輪もほとんど見ていません。そんな中スケートの小平奈緒さんだけは例外です。選手としても金メダリストなのですからとてつもない方なのですがそれより彼女の生き方、考え方、言葉使いが何とも言えず素晴らしいのです。彼女が昨晩、10月に長野で行われる開幕戦を最後のレースにすると発表しました。地元でもう一度レースをしたい。最後に自分のスケートを表現したいとう言葉で。「記録を目指す過程が私を成長させてくれた。スケートを通じて体を面白く使いこなす楽しさは、すごく価値のあるものだった」自分の生き方をたくさんの人に方に届けられ、スケートをやってよかったとも。厳しい練習からようやく解放されるとか一番輝いた場所を振り返ったりするのが普通なのでしょうがスケートだけが人生ではないので新な道を探したいというのです。彼女の今後も楽しみです。

4月12日 春浅き大堰の水に 

もう少し浅い頃の春の歌ですが陽気がよくなってくるといつも思い出す歌があります。「春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る:栗木京子」私より少し後の世代のかたで京都での学生生活を歌っているのですが、ようやく少しづつ世の中も穏やかになってき始めた時代で水ぬるむころ京都の大堰川に船を出し友達と少し背伸びをした未来を語り合っているのですね。また「退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らず さよなら京都」と青春の一コマも歌っています。心に余裕がなく世の中を斜交いに見ていた当時の私から見るとなんとも羨ましいほどの心根です。希望にあふれ生きていること自身がうれしくてしょうがないといった気持ちが素直に出た作品は面と向かうと「センティメンタル」と馬鹿にしていたであろう当時の私とそれを思い出しながらそんなにしかめっ面しなくてもと苦笑してしまう今の私がどこかで絡み合いなんとも不思議な感覚に陥ります。

4月11日 陽水

このところ忙しくてメールを開けていなかったので昨日久しぶりに見たら前職時代の会社の先輩から便りが入っていました。ウクライナの惨事を悼む文に続き井上陽水の「最後のニュース」とジョン・レノンの「IMAGINE」のYou Tubeが入っていました。「最後のニュース」では「忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの 、、、今あなたにGood night  ただ あなたにgood bye」と陽水は歌います。彼の歌詞は哲学的だとか文学的だとか言われたようですが四畳半時代の「私&私たち」が主題の曲全盛時代にこんな反戦歌を作っていたのですね。朝起きたときに愛する人がまだ生きているのかさえ危ない状況下「Good night  Good bye」がどんなに重く悲しい言葉なのかウクライナの人たちの絶望が浮かんできます。何とか早く「IMAGINE」の世界が戻ってくることを改めて祈りました。

 

4月8日 入学式

今日4月8日は松戸市内公立小中学校の入学式なんですね。車で走っているとあちこちの学校からチビちゃんとお母さんが手をつなぎ、着慣れないセーラー服、少々大き気味の学生服を着こみ胸にはバラの花を付けた中学生。こちらはさすがに手はつないでいませんが。ほとんどがお母さん連れでお父さんはごく稀です。桜は盛りは過ぎていますがまだ残っており快晴で陽気もよく絵にかいたような入学式日和です。自分のことは覚えていませんし子供たちの入学式には多分出席してないと記憶しています。とにかく生意気だったので親が来るなどというのはとても恥ずかしかったように思います。それにしてもお母さんの若いこと。改まった装いをしていなければ本当にお姉さんたちばかりです。小学校は6年間と長くその間に身長も体重もそして行動もどんどん変わっていくのですね。ここで出会った友達、先生は時に一生ものです。うまく学校になじんで成長して欲しいものです。

4月7日 戦争犯罪

ロシアの一方的なウクライナへの侵攻はただただ恐ろしくニュースを見るのも辛く出来るだけ避けているのですがロシアが占領していた地域での無差別攻撃、一般市民への容赦ない残虐の限りを尽くした行為はもう信じられない気持ちで一杯です。戦争(といっても今回は侵略ですが)は相手の兵力を削ぎ戦意をなくさせるのも一つの戦法なのでしょが今回の報道はそれとは別物の「ジェノサイド」無差別殺人です。報道ではロシアは正規軍の損失を少なくするために傭兵を使っているようですが特に残虐行為をする汚れ仕事専門の傭兵がいるとも報道されています。今回は双方ありとあるゆる手段を使っており情報戦も激しいのですが自国民を大量に殺し相手がしたように見せかけるというのはいくら何でもないでしょう。過去の歴史では戦勝国が敗れた方を裁くという図式になっていますが今回はどのような結末になろうとも徹底的にロシアの行為を検証して欲しいものです。

4月6日 花も団子も

この時期になると桜餅が恋しくなります。今時分向島百花園に行ったあとかならず寄るのが長命寺です。といっても隅田川七福神の弁財天を拝みに行くのではなく狙いはここの桜餅です。しっかり浸かった桜葉が三枚使ってあり漉し餡を少し大きめの餅をくるんでいるのですが口に入れたとたん桜の香りが一杯に広がり何とも言えません。三枚の桜葉を全部食べるのは少々きついのですが私は必ず2枚は頂きます。お茶と二個の長命寺はたまりません。ところで桜餅には長命寺流の桜餅と道明寺流というのがあり関東では長命寺、関西では道明寺が食べられているようです。この違いは長命寺が小麦粉を薄いクレープ状にした皮で餡を包んでいるのに対し道明寺は水に浸したもち米を干して粗目に引いたいわゆる道明寺粉を蒸した生地で餡を包んでいることです。私はどちらも捨てがたいのですが妻は長命寺派のようです。桜は花も結構ですが桜餅もまた結構でございます。

4月5日 落花

「春風の花を散すと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり:西行」昨日の雨と風で心配したのですがまだ花はだいぶ残っているようです。そんな中市内の街路樹として植わっている桜がぼちぼち散り始めました。今日は夕方近くになって晴れてきましたが丁度そのころ花が散る中を走る八柱霊園脇の通り、新京成沿線のさくら通りは何とも華やかでした。もう少し散ってくると今年も花の時期が終わるのだなと寂しくなりますが今はその境目あたり。これほどまでに花を愛し咲く前から気もそぞろ、そして咲けば今度は散ってしまうのが怖いとなんとも桜狂いの西行さんですがこの歌には隠された意味もあるともいいます。彼が出家した一つの原因ともいわれている待賢門院へのあこがれが吐露した歌だというのですが、、。私は下種の勘繰りよりひたすら桜に焦がれている西行の気持ちを歌ったものだととっています。何はともあれ後しばらくの桜を存分に楽しもうと思います。

 

4月4日 一本桜

桜が大好きなのでこの時期の週末は出来るだけ一本桜詣でをしたいと思っています。ですがこのところ仕事が立て込んでいまして先週は土曜日だけのお出かけで日曜日は仕事をしてしまいました。行ったのは八王子、青梅方面。お寺さんが多いので大概土壁の中に鎮座しているのですが八王子にある梅岩寺はちょっとした崖に枝垂れが覆いかぶさりそれは見事でした。毎年どなたかが作った一本桜のリストを関東地方中心に一本ずつ征服しています。ソメイヨシノも華やかではありますが山桜の重厚さ枝垂桜の艶やかさには叶いません。枝垂れ桜は「・・・姫」とか「姫桜」と呼ばれることもあり今回行った高楽寺にはその姿がお姫様が傘をかぶっているようだということから「姫桜」とよばれているとのことでした。これから桜前線は北上していきます。そいれを追いかける私も北上していきますが福島あたりでストップ。退職したら関東以外の桜も攻略するのを楽しみにしています。

4月1日 昨日の地震

昨晩8時52分 夕食中にドーンと来てゆさゆさ揺れ始めました。やば! デカイゾ とテーブルのうえの味噌汁椀を持ち上げ食器棚から中のものが飛び出さないように戸を押さえ身構えました。ほどなく揺れはおさまりテレビの地震速報を見ると震源地は「千葉市花見川区 震度4 震源の深さは70km」と出ました。地元も地元まさに私の家の住所です。娘はすぐその画面をスマホに撮り友達に送っていました。何しろ今まで花見川区などという名前は多分関東でも知られていないと思います。まもなく子供たちからもテレビ見た 大丈夫?とメールが入ってきました。まったく被害はありませんでしたがテレビに地元の名前が出たことで我が家はしばらく盛り上がりました。因みに花見川区は東京大学の検見川グランドで大賀ハスが発見されたことぐらいしか知られていません。たまたま花見川という名前でその両岸には今桜が満開ですが名前の由来はそれとは無関係のようです。