1月17日 保田水仙ロード

昨日鋸南町保田の水仙ロードに行ってきました。前日観光協会に聞くと「満開は過ぎていますよ」とのことだったが毎年の恒例行事なのでダメ元で出かけました。最寄りの「道の駅保田小学校」から標高100mほどの山頂まで4kmくらいあるのでしょうか。道の両側に数百万本ともいわれる水仙がビッシリ咲き、途中の保田川沿いには頼朝桜と名付けられた河津桜が数弁フライイングで咲いている筈です。夫婦揃って足が悪いのでのんびり牛歩で散策フライイング桜は発見。ところが歩けど登れど群落は出て来ません。場所によってはまばらにあるいは葉が枯れていたりいつも写真を撮る場所もダメです。途中で出会った下山てくる人に聞くと「今年はずっとこんなものですよ。頂上付近に蝋梅と紅梅が数本咲いていますよ、それから頂上から今日は富士山が見えましたよ。」と教えてくれたのですが富士山は極うっすら花もわずかでした。今年はハズレということで散策終了。

 

1月14日 ohモーレツ!

今日はとんでもなく風が強く車に乗っていると時々揺れたり、降りるときはドアを抑えていないと接合部が外れそうになるほどでした。そんな中代理店に行き倉庫にチラシを搬入していた時のことです。代理店の事務員さんが一緒にいたのですが突風のため彼女のスカートがめくれ上がり慌てて前を押さえました。その時です。私には咄嗟に二つの画面が現れました。一つは「7年目の浮気」でマリリンモンローが見せたあの姿。マンホールから吹き上げる風でスカートがまくれ上がりあわやというところをモンローが前を抑え難(?)を逃れた場面。もう一つは高度成長真っただ中東京オリンピックの翌年当時丸善石油(現コスモ石油)の宣伝で小川ローザのスカートがひらっとなり発した言葉が「ohモーレツ」可愛い女性がヘルメット白いミニスカートであわや。当時大変話題になったテレビCMでした。事務員さんの方も事無きを得たのですが色々思い出させてくれた強風でした。

1月13日 蝋梅とジンチョウゲ

今朝家のそばの庭に蝋梅が蕾を付けているのを見つけました。毎年満開の時期には優しい香りに包まれて帰宅するのを楽しみにしているお家です。かなり大きくはなっていますが開くのにはもう少しかかりそうです。と気を付けて見ていると他にも花が蕾を付けています。あの、私を香りで悩殺する「ジンチョウゲ」です。蝋梅より後に咲き蝋梅よりはるかに強烈なにおいです。蝋梅がもしいるとして高貴で若い女性の香りとしたらジンチョウゲはもう少しお年を召したそして人生経験も踏まれた悪魔的な美女の香りとでも言えばいいのでしょうか。蝋梅はむせ返るということはありませんがジンチョウゲは花に近づいて嗅ぐと本当に脳髄をえぐります。花の香は昔の出来事と一緒なってある種の情景を浮かばせるのですがジンチョウゲの場合はそんな感傷とは無縁で只管の香りです。香りに包まれるというより香りが襲ってくるという感じです。是非二つの花を堪能してみてください。

1月12日 暖炉のある家

毎日寒い日が続いていますが、家から最寄りの駅に行く途中に暖炉が付いた家があり最近ここの近所を通ると木が燃える臭いがします。夜なので煙は見えませんが多分木を燃やす暖炉だと思われます。結構大きな家ではありますがド派手なつくりではなく玄関前の小道に拡がる畑の持ち主のようで木材を1mほどに切ったストックが置いてあります。暖炉がある家は映画などでは見たことがありますが実際には見たことがありません。畑の材木ストック、暖炉、木の匂いから推測するときっと木を燃料にした暖炉だと思うのですが一度中をのぞかせていただけないかな。囲炉裏がある家では中が煤けていますがどのように作っているのでしょうか。我が家の暖房はエアコンだけでこたつも火鉢も七輪も湯たんぽも(みんな小さいころに使っていた暖房器具)ありません。こたつの周りでみかんを食べながらといった絵もありません。この家の暖炉の前の光景を是非一度拝見したいものです。

 

1月11日 米團治

昨日恒例の桂米團治の「噺小屋新春スペシャル」に行ってきました。これは米團治が年2回銀座ブロッサムで開く独演会+弟子連れ公演です。私は多分この企画が始まった頃から行っています。亡くなった桂米朝が大好きでその息子小米朝(今の米團治)も追いかけることになりました。かれの芸風は持ち前の美声で明るくバカバカしくそれでいて親譲りの芝居噺は堂に入っています。モーツワルトが大好きで自分でもオペラをやりパリ公演ではフランス語で一席したそうです。今回は「三枚起請」という廓話を最後にしたのですが私には古今亭志ん朝の色っぽい艶のある話っぷりが頭に残っており米團治の話に少し違和感がありました。正月なので明るく陽気にガハハという意図だったのかもしれませんが廓の女性の手練手管、それに騙されてしまう男三人という筋立てなのでもう少し人情、お女郎さんのちょっとした寂しさ、意地みたいなものがでていればなどと講釈を垂れています。

1月7日 雪がらみ

昨日雪で車の運転に往生したことを書きましたが帰ってからも妻が翌朝車を使う用があったので家の周りを除雪しフロントガラスが凍り付かないようにし、さらに今朝起きたら出発少し前から車の暖機とフロントガラスの氷を溶かしておきました。とそこまでは自分のことではありませんが通勤には四苦八苦しました。膝が悪いのと凍り付いた道の為小股でチョコチョコ歩きしか出来なく、乗る予定の電車に間に合わない恐れが出て来ました。ところが具合のいいことに電車も遅れたのでセーフ。さらにさらに次の難関は新京成みのり台駅から会社まで。道は家の近所より凍っており雪も多いのです。親に手を引かれた子供が足を前後に動かし滑っています。転んでもキャッキャッいいながらすぐに立ち上がります。私はそうはいきません。恐る恐る一歩ずつ。滑らないように転ばないように。普段は22,3分で着くところ30分かかり無事到着。朝から大変な目に会いました。

1月6日 大雪

なんという雪だ。たった今柏にある代理店からたどり着きました。普段なら往復1時間半のところ2時間半かけ恐る恐る、出来るだけ坂道は避け、急発進急ブレーキはせずに車間距離を取り轍を後追いしながらの運転でした。雪国の人たちには当たり前のことかもしれませんがまず雪の降らない千葉では大事です。一緒に走っている車もみなさん「そろり、そろり」それでもカーブやシャーベット状になっているところでは車輪が空ふかしになります。最後の難関、会社のそばにある上り坂そして駐車場に入る急坂。無事に着きました。駐車場は一面真っ白、歩くたびにキュ、キュっとあの独特の音がします。会社から最寄り駅まで通常なら25分ほどの歩きですが少し雪も深くなっているし膝が悪い私には怖い感じです。もう今日は早じまいですね。

 

1月5日 箱根大学駅伝

旧聞ですが青学は強かったですね。一日中テレビを見ていたわけではありませんがスタートした時は中央大学が一番だったのに途中からずっとそして箱根のゴールまで青学が先頭でした。二日目は途中を見ただけで結果はニュースで知りましたがダントツだったようです。解説をしていたかつての名選手瀬古さんが「原監督は少しテレビ出演を控えたらもっと強くなるのに」といったとか。原監督が有名なのを妬んだのか監督がテレビに出るとかでないとかは駅伝の結果とはまるで関係ないと思うのですが。勿論あれだけ強いと全国から優秀な選手が集まる有利さもあるのでしょうが聞くところによると原監督はトレーニング方法、選手のコンディショニング、モチベーションの上げ方など従来の「頑張れ頑張れ」と只管追い込む練習とは一味違うようです。瀬古さんは超一流の選手でしたし社会人チームの監督でも実績がありますが「テレビ出演」の話は少々カッコ悪いですね。

1月4日 お年始

私は今日から出勤です。先月29日から6日間休みましたがその間結構忙しくしていました。狭いながらの我が家の大掃除、窓ふき、1日は恒例の初日の出を拝みに九十九里へ。そのあとは稲毛浅間神社、検見川神社、近所の春日神社と三社まいり。2日は稲毛浜で富士山撮影と折を見ながら箱根駅伝をテレビ桟敷で。3日は大学ラグビー観戦といった感じです。昨日は続けざまに久しぶりの知人から電話がかかってきました。一人は年賀状のやり取りはしていましたが思い出せばもう30年くらい会っていない後輩。聞けばまだ小学生だった子供が公認会計士になり今は香港で日本企業の手助けをしているとか。孫も全部で4人などと嬉しそうに話していました。もう一人は縁遠くなっている兄弟からで、施設に入っている親戚のおばさんが認知症気味でお見舞いに行ったが誰だか分かって貰えなかったとのこと。今年も宛先不明で年賀状が2枚返ってきました。無事だといいのですが。