8月23日 死刑になりたかった

先日渋谷で女子中学生が知らない母娘を刺して重傷を負わせるという事件がありました。供述の中で「死刑になりたかった」とか憎い母親を殺す予行演習だったとか言っているとの報道がありました。これからはっきりとした動機が分かってくるのだとは思いますがどうもこの「死刑になりたかった」という言葉は流行り言葉なのでしょうか大きな事件があった際時々聞く言葉です。今回の場合は中学生でまだ判断がつかない年齢なのかもしれませんが、人には多かれ少なかれ悩みはあるものです。何とか自分なりに悩みを抑え込んだり人に聞いてもらったりあるいは文学に芸術に救いを求める人もいるのでしょう。悩みが解決できないからと言って他人を殺め死刑になりたいなどというのは悪魔の選択です。彼女も母も娘も人生は一度きりです。自分の都合で人の人生を終わらせるのだけはやめて欲しい、そんなことをすればきっと地獄にも迎えてはもらえないでしょう。

8月22日 一家陽性

月曜日恒例の読売歌壇(勝手に恒例にしましたが)私の好きな栗木京子さん選から。「家族みな陽性でしたと子のライン我ら今日からジーバーイーツ:後藤あゆみ」本当にもう大変なんですから(前代林家三平調で)声が聞こえてきそうです。少し成人した子供の役に立てることの喜び、大手を振って孫の世話を出来る楽しみをないまぜにしたオバアちゃんの歌。いいなア。こんな歌を選んでくれる栗木さん。実は福岡に住む私の義弟の一家が全く同じ状態でした。8人同居中7人が次々に感染したので陰性組と陽性組に分かれて生活したようですがたった一人の陰性者は普段したこともない「おさんどん」「掃除」「洗濯」と大変だったようです。症状はみな軽かったとのことですが一番酷かった義弟は喉が痛く食事が不自由だったようです。近ければこのおばあちゃんのようにジーバーイーツをしたのでしょうがまさか毎日飛行機便というわけにもいかず「がんばれ」のラインだけ。

8月19日 勘違い

またまた日経夕刊の話題ですが秋田麻早子氏という美術史家の方が子供のころの勘違いのことを書いており「あるある」と納得しました。彼女は「1部上場企業」の1部を「一部」と思い違いし全部上場するのはいつだろうと思いました。さらにシルクロード展に展示されていた絹織物がボロボロなのは映画祭でレッドカーペットの上をスターが歩くように絹が実際に交易路上に敷かれその上を商人が歩いていたからだと思いました。これは少々創作ポイのですが。そして止めはムンクの叫び。ムンクの残した文章では「自然を貫く果てしない叫びを聞いた」つまり叫んでいるのではなく叫びを聞いているというのです。これは作者の意図が分からなければ誰しもが間違えそうです。勿論私も叫んでいると思ってましたがね。「♪蛍の光窓の勇気」「♪子牛?咲くあの丘北国の、、」などなど耳で聞いただけで覚えている歌の歌詞にはいまだに間違えたままのものがあります。

8月18日 脱・昭和

「もはや昭和ではない」内閣府は6月に公表した男女共同参画白書にこんなフレーズを載せて「脱・昭和」を呼びかけた。これは今日の日経夕刊「生活」の書き出しです。働き方や女性活躍など昭和とはすっかり様相が変わっているのに「滅私奉公」「長時間労働で休みが取れない」「社内飲み会に参加が必須」といった価値観やシステムがそのまま残っており昭和の習慣や考え方をどのように乗り切ればいいのかという問題提起です。単身世帯の倍増などの図表を示しながら、「学び直しが一つの解になる」すなわちDXによる生産性向上、SDGsを意識した商品開発、多様性重視の組織作りなどの今日的な課題に向き合うことが結果として脱・昭和に結びつくというトレンド評論家氏の言葉で締め括っているのがいかにも日経らしいのですが、今の時代に企業が生き残っていく為には「考え方を変えられない人達」は経営者も含め速やかに退場した方がよろしいようですね。

8月17日 お盆は仏教

先日あるクイズ番組を見ていると「お盆に飾る花」だったかの話題で黒柳徹子さんが「うちはクリスチャンなのでお盆の行事はしたことがなく分かりません」とおっしゃっていました。確かにしたことがなければ見たこともないので分からないと思います。それにしても私とはえらい違いです。一応我が家は曹洞宗ということらしいのですが祖父母、父母の葬儀は祖父が友達になった坊様の真言宗で執り行いました。私の結婚式は母親のゆかりのある神社で挙式。子供たちは教会で結婚。年の初めは初日の出に行き太陽を拝み正月には近所の三社まいり。花の時期には寺院を廻りお盆には仏式の先祖供養。それを不思議とも思わず長年続けているのですがしっかりした宗教観をお持ちの人たちから見れば何と節操のないということなのでしょう。もともと自分で選んだ宗教はないので節操はなく「ありがたいものは何でも拝む」のですがただの儀式だと思っているので違和感はありません。

8月16日 送り火

我が家では8月13日の夜に「迎え火」をし15日に「送り火」をするのが習慣ですが今年は暴風雨ということで「迎え火」は14日にしました。ご先祖様がいる期間は三日間なので昨日「送り火」はどうすると妻に聞いたら出来なさそうなので「じゃあ明日でもいいか」ということで今晩「送り火」をすることにしました。随分いい加減な話だなと思ったのですが考えると祇園とともに京都の夏の風物詩「京都五山の送り火」は今晩ですよね。学生時代友達と一緒に見に行ったことを覚えています。我が故郷小倉には「小文字焼」というのがありましてこちらは13日の「迎え火」です。実家から少々離れていたので実物を見た記憶はありません。京都も小倉もいつから始まりどんないわれがあるのかは知りませんが小さい頃から盆には仏壇に飾り物をし「迎え火、送り火」をし宗派は違うのに祖父の友達だったという坊様がきてお参りしそのお寺であるお祭りに行くのが楽しみでした。

8月10日 ところてん

昨日の読売歌壇栗木京子氏の選に「酢醤油対妻の黒蜜ところてん味を譲らず早五十年:坪田勝彦」というのがありました。何とも仲のいいご夫婦で羨ましい限りです。栗木氏は一口か二口交換してみてはいかがでしょうとコメント。ところで私の記憶に残っているところてんは最初の赴任地福岡で出張先の久留米城址で頂いたものです。先輩から連れて行った貰ったのですがその時は酢醤油でした。またいつだったか兵庫県出身の同僚と千葉のゴルフ場に行ったとき茶屋でところてんが出たのですが「酢醤油にするそれとも黒蜜?」といい、こっちでは酢醤油なんだよなといいました。それまでところてんは酢醤油だろうと思っていましたので??と思ったのを覚えています。そこで初めて食文化の違いがところてんにもあり東は酢醤油、西は黒蜜だということを知りました。久留米のは東風だったのですね。日清ラーメンも静岡あたりで味を変えていると聞いたことがあります。

8月9日 原爆記念日

今日は長崎の原爆記念日です。もう77年間広島で長崎でこの日が来るたびにそして犠牲者の方々の献身的な活動で世界中に「NO MORE WAR」「NO MORE KAKUHEIKI」と訴えてきました。原爆のおかげでもっと悲惨な被害を阻止できたと考えている人たちもいますが、慰霊碑周辺の鎮魂の空気に触れた人々は資料館の惨たらしさを見るまでもなく「原爆は二度と使ってはいけない」と確信するようです。過去幾度となく非戦の誓いをしてきましたが人類は今日に至るまで戦争を止めることは出来ていません。もしかしたら我々の遺伝子の中に戦うことが刷り込まれているのかもしれません。しかし「原爆」はただの殺りく兵器ではありません。人間を影しか残らない程に高熱で焼き尽くし遺伝子を破壊し国土を激しく汚染してしまいます。戦争を理性で避けることができない人類は「核兵器廃絶」でしか途はありません。人類を自らの手で滅ぼしてはいけません。

8月8日 百日紅

「二十世紀ナシ」をその名前の由来にする松戸市二十世紀が丘の街路樹は「さるすべり」で今夏も立派に咲き続けています。ここはきれいに区画された町で40年位経つようですが百日紅は多分そこまで古くはないと思います。赤、白、紫があるのですが色使いには何となく括りがありそうです。「さるすべり」の名前はサルでも登れないほど木の肌がツルンとしているからとも聞きますが私は「百日紅」の方がピンときます。紅色だけではありませんが花の少ない夏、濃い緑の葉の中に咲くこの花はとても目立ちます。ボチボチ終盤戦に差し掛かっているのか木の根元に花弁が散らばっています。サンゴのかけらのような、ごく小さな縮れた花弁がついた小枝ごと落ちています。香りはまったくありません。金木犀のように騒々しくはなく桜のように妖艶でもありませんが確かに百日紅を主張しています。特別な思い出があるわけではありませんが私の夏の花は「百日紅」です。

8月5日 捨てられません

日経夕刊に劇作家の鄭義信氏があすへの話題に「祖母が残した端切れ」という題で書いている文章に共感。もう父母が亡くなって誰も住んでいない実家に帰りソファに腰をおろし部屋を見渡すとあちこちに母が残した物であふれていた。母は貧乏性なのかなかなか物を捨てられなかった。思い出すに祖母も実家から持ってきたのであろう布の端切れが入ったトランクを大事にしていた。脳を打ち一時錯乱したことがありその時端切れを裁断したが何故そうしたのかはわからない。私も還暦を過ぎそろそろ不要なものを整理しなければと思いながら「もったいない、いつか必要」と踏ん切りがつかないといいます。結構共感する人もいそうです。私の妻も数十年前子供たちが使ったタライをいまだに捨てずにいます。若い頃とはすっかり体形が変わったのに「もしかしたらまた着られるようになるかもしれない」と取ってあります。私は小さな声で「絶対にありません」というのですが。