5月6日 GW終わり?

私はカレンダー通りなので今日から出勤。昨晩のニュースを見ていると高速道路はどこも渋滞で夜中まで続いたとのこと。まだコロナが心配なので車で出かけるという人たちが多かったようです。GWの人出を当てにしていた観光地の皆さんは予定通りに稼げたのでしょうか。飲食、サービス業、観光などコロナ禍で大打撃を受け店じまいしたところも随分あると聞きます。何とか持ちこたえたお店はこれから大いに儲けて頂きたいものです。私は近場の公園や寺院に今が旬(の筈)の花を見に行ったのですがぼたん、藤は時すでに遅し、バラには早く、花しょうぶの時期にはあと一月くらいといったことで残念の連発。そんな中結婚記念日の食事会でいい場所をと探していましたら大ヒットのお店を発見。肩の凝らない洋風創作料理。和の出汁をしっかり収めた料理人は自家栽培の野菜を使い世界中の香辛料を操りそしてさりげなく洒落た食器を使うなどセンス抜群の店でした。

5月1日 土下座

先日知床沖で乗員乗客26人乗った観光船が沈没するというなんとも痛ましい事故が起きましたが、この会社の社長さんの記者会見には驚きました。どうも自分が、自分の会社が何をしたのかまるで分っていない会見内容でしたがそこでこの社長が土下座をしました。私はこの「土下座」というのが甚だ嫌いです。私にはこの社長の土下座はまったく遺族をなめ切った態度にしか見えませんでした。反省もお詫びも全く感じませんでした。「俺が土下座しているのだから勘弁してくれ」とでも言いたいのでしょうか。なんとも悲しい方です。政治家や企業経営者にもこの手の方がいますし、暴力を生業にしている方々やそれと同じような生活をしている人たちにも何かというと「土下座しろ」という人たちがいます。そうすることで最大限の侮辱を与えるということなのでしょうがそのような職業でない者にとってはただのパフォーマンス、猿芝居にしか見えません。不誠実そのものです。

4月28日 ゴールデンウィーク

明日からゴールデンウィークの会社も多いのでしょう。土曜日が休日の会社は5月2日と6日に休めば合計10日間の休みとなります。10日間だとちょっとした連休なのですが世の中が一斉にそうなると話は別でしょうね。どこにいっても人人人。コロナ禍が大分収まってきたので「リベンジ」というのでしょうか皆様外出なさるようです。私の会社はというより私はごくカレンダー通りの休みです。新聞配達の会社なので販売店の店員さんは休みなしです。職種によって休みの取り方が違いますので親が土日が休みでない会社に働いている子供たちには少々酷かもしれませんね。不動産屋は水曜日が休みだしサービス業全般に土日は忙しいので休みは取り辛いでしょうね。働いている人の大部分がG.Wということもないでしょうがマスコミは煽り立てます。何かで景気をつけないと世の中沈みっぱなしでも困るのでそこは上手に騒ぎ立ててほしいものです。G.Wの方はお楽しみを!

 

4月27日 勝利至上主義やめます

今日の日経夕刊に「勝利至上主義やめます」というタイトルの記事がありました。高校野球で神奈川の強豪慶応高が知的障害のある高校生も甲子園を目指せるようにしようという「甲子園夢プロジェクト」との合同練習を行い、「勝たないと意味がない」というスポーツはいろんな弊害も出てくるがこのプロジェクトとの連携は非常に大きな意味を持つものだったと宮原主将。また近隣の小中学校向けの野球教室を開いたり同じ流れで「脱トーナメント」の動きも出てきている。球数・球種制限バントは1試合二度までとルールも工夫されているとのこと。最近柔道でも小学生の全国大会をやめるなど勝ち負けだけに拘らずスポーツを楽しめるようにする動きが出てきており非常に結構なことだと思います。体がまだ出来上がっていない子供たちに勝利だけを目指しコーチが無理を強いたり時に暴力をふるったりというのは「楽しむ」というスポーツ本来の目的を見失っていると思います。

 

4月26日 知床の観光船遭難

23日に知床半島沖で観光船が遭難しました。出航当時網走地方の水温は2~3度、風速15m前後の強い風が吹いていたとみられ高さ2~3mの波も観測されていたとのこと。地元の漁船も戻ってくるような天候の中、運航会社の社長は出航に際して「大丈夫だと思った」と説明したとのこと。慣れた社員を全員辞めさせたとか現場に詳しい船員がいなかったとかの報道がなされていますが地元の漁協関係者は「この区域は地形や海流が複雑で慣れていないと航行は難しい」とも言っているようです。まさか他の船が出ないから儲けものだなどとは思っていないでしょうが。乗客乗員26人。現在発見されているのは11人。全員の死亡が確認されているようです。海上保安庁は事故の捜査に乗り出しているようですが残されたご遺族はたまりませんね。この事故の影響でようやくコロナ禍が収まりつつあり各地の観光スポットも予約が埋まっていると聞きますが知床は大打撃でしょう。

4月25日 新聞折込

先日のことです。新聞折込を使い始め急激に実績が上がってきたのでもう少し対象区域を広げたいというお客様と商談をしました。新聞折込はこのところ絶不調です。新聞購読者数が激減し今や全世帯の半分を切っている、購読者の年齢層が高齢化している、SNSという強烈なライバルの出現でお客様の予算を取られているなどがその理由です。多くの企業が折込予算を減らしている中一体どういうことだろうと耳を傾けました。このお客さんは「なんでも屋さん」つまり電球の取り換えから水道の蛇口修理、ゴミ屋敷の整理など家庭で困ったことが起きたら何でも引き受ける仕事をしています。お年寄りが増えちょっとしたことでも自分でできなくなり頼んでくるというのです。彼らの情報源はやはりSNSよりテレビか新聞でしょう。となると新聞折込は有効なのですね。対象を高齢者に絞った商売ではまだまだ新聞折込の出番はありそうだと感じました。少し元気が出ました。

4月22日 タケノコ三昧

明日は大多喜にたけのこを食べに行きます。ここ10年程毎年今の時期、GW前に房総の中央部大多喜にある「蔵精:クラショウ」という名の和食屋さんです。おやじさんはその昔ニューヨークの和食レストランで働いていたとのことですがいわゆる見掛け倒し、映えるメニューではありません。一つ一つの料理が実に丁寧で自然の味を活かした料理ばかりです。名物たけのこのステーキは「今年はいいのが取れた」時でないとお勧めしていないようです。日増しに大きくなるのですから本当に賞味期間は限られています。今年も予約したとき「今年は大丈夫ですよ!」といってくれたおかみさん。この方のお話がまたお上手。外国人なら英語で料理の説明をしっかりしてくれます。一度飲んべの息子と一緒に行ったとき料理ごとに変わった酒を注文するので最後には秘伝?の30年物とかいう梅酒がサービスで出てきました。吟味された材料とアイデアに溢れたメニューが楽しみです。

4月21日 電車で席を譲られたら?

今日の日経夕刊に作家の逢坂剛氏が「電車に乗ったら乗ったで・・・」と題し書いていたのが。平日私鉄と都営地下鉄を乗り継いで仕事場に通っているが赤と白のヘルプマークを付けた人、赤ちゃんマークを付けた妊婦たちなどハンディーを持つ人たちに迷わず席を譲る。しかるに優先席に座りスマホに熱中する若者が多く目の前に優先されるべき人がいても見向きもしないとぼやいた後、時に私に席を譲ってくれる若者がたまにいるがその時はありがたく座らせてもらう。ときどき固辞する高齢者を見かけるがひと様の親切を無にすることだけは避けたいものだとおっしゃる。先日帰宅途中の電車で前に座っている若者がさっと立ち上がり席を譲ろうとした際咄嗟に「結構です」と言ってしまいました。帰って妻に話すと「次ですので結構です」くらいいえばと言われました。膝が悪い私にとって席を譲ってくれるのは本当にありがたいのですがつまらない意地が邪魔をします。

4月20日 驚き発言 

いやー 驚きました。早稲田大学の「デジタル時代のマーケティング総合講座」という社会人向けの講座で吉野家のマーケティング担当役員がとんでも発言をしました。普通の社会では使わない言葉の羅列。かつてのやくざか警察物の映画などで出てきそうな言葉のオンパレード。趣旨としては若い人たちに牛丼の味を覚えてもらい末永い愛用者になってもらうための戦略を説明したかったようですがとてもマーケティングの講座で使うような比喩ではないし会社内でも許される内容ではありません。この方P&Gというマーケティングで有名なアメリカの会社で成功したとのことですがこういった発言に厳しいアメリカでは決して使わないだろうと思います。インパクトのある言葉を使いたかったのか受けを狙ったのか。きっと男性の受講生が多く咄嗟にしゃべったのだろうと推測しますが誰が聞いても愉快なものではありません。受講者にも吉野家にもその店員にも「アウト」です。

4月19日 あらたうと青葉若葉

桜さくらと言っているうちに景色はもうすっかり初夏。今日の午前中真っ青な空の下新京成常盤平駅前のケヤキ通りを車で走っていたのですが、毎年のこととはいえこの時期は道の両側に植えられたケヤキ並木がとてもきれいです。つい先ごろまでは落葉して空がスカスカに見えていたのですが今は青葉若葉が出揃い枝の間から輝く木漏れ日がとてもまぶしくなりました。自然の摂理ではあるのですが春から初夏にかけ花が一斉に開き若葉が噴き出し生命の息吹を感じます。「あらたうと青葉若葉の日の光:芭蕉」とは大げさですが特に今時分、自然界にはエネルギーが満ち満ちそれを身に浴びて私も新老人のような気分で心が沸き立ちます。町には新入生、新入社員が溢れて活気にみちていますがそれにつけても明日が多分間違いなくやってきて今日とおなじように自然界の一員でいられる喜びは何事にも代えがたい幸せなことなんだとつくずく気が付きます。