8月3日 つけ込み契約

日経夕刊に「つけ込み契約 対策進まず」と出ていました。つけ込み契約とは消費者の加齢や知識・経験の不足など、合理的な判断ができない状況を不当に利用して契約を結ばせるもので有識者が長年こうした契約の取り消し権を求めるが実現していないという。例えば①認知症の兄嫁が勧誘されるまま複数の生命保険に加入し、生活に支障がでるほどの保険料を払い続けていた②スマホをあまり使わない高齢者が「セット販売が必要」と本来不要なタブレット端末などを渡され、通信料金を請求されたなど四つの相談事例がでていました。それでなくてもややこしい生命保険やスマホのこと、私も他人ごとではありません。消費者相は従来の取消権を超える側面があるとして「年齢・心身の状態」も考慮した情報を消費者に提供するよう事業者に努力義務として求めるにとどまったようですが、判断力の鈍い消費者の脆弱性につけ込む業者に対策すべきだとの声も高まっているようです。

8月2日 追伸

きのう近頃セミの声を全く聞かないと書いたのですが家に帰ってそれを話すと、いやいや家のそばにある森の方から物凄い合唱が聞こえてくると言われました。ということは単純に私が巡り合わないだけなのか鳴き声の周波数が私の耳と合わないのか(私は周波数の高い音が聞きづらい)ということなのでしょう。ところで通勤途中の畑には今ひまわりとまだ色づいていないコキアと吾亦紅と栗の実が一つ二つ落ちています。多分この畑は収穫用ではなく税金対策(?)なのでしょうかいわゆる食するものはあまり見ません。トウモロコシと豆が少し植わっているくらいです。それでも私にはありがたい場所で何となく季節が感じられる植物が植わっているからです。この畑の持ち主と思われる人の家には暖炉があり秋になるとどこから持ってくるのか手頃の長さになった薪が積み上げられています。暖炉のある家に住みあまり耕作していない畑があるあこがれの環境です。

8月1日 セミの鳴き声

最近セミの鳴き声を全く聞かなくなったように思います。、今日はいつものように柏にある代理店まで車で走ったのですが道中は牧の原団地から京成常盤平駅前のケヤキ並木、祖光院横の森と木が沢山生えているところを抜けるのですがその間まったくセミの声を聞きませんでした。少し前までは今時分アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシなどそしてツクツクホウシが夏の終わりを知らせてくれました。確か枕草子の中にも「すさまじきもの」として出てきたように覚えています。日本の夏の象徴でした。それがこのところ気候、環境の変化で住めなくなったのかはたまた居るのだが突然変異で声が出なくなったのかとにかくまったく鳴き声を聞きません。それでなくとも短い地上での生活、子孫を残すことができなくなったのでしょうか。あのうるさいほどの鳴き声が全く聞こえなくなってしまうとそれとセットになっていた夏休みもどこかに行ってしまったのではと心配になります。

7月29日 麦藁帽子

今朝通勤電車の中で時々睡眠薬代わりに使っている「折々のうた:大岡信」になんとも切ない寺山修司の作品が出てきました。「夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき」です。どこにも麦藁帽子とは書いていませんが私は勝手にそう思いました。放浪しているのだからカッコいいボルサリーノではないだろうし夏だからハンティングでもなかろうしということなのですが、多分相当汚い恰好をしている貧乏学生だと思います。センティメンタルジャーニー。どこかで素敵な人、素晴らしい事に出会える気がしてのバス旅。バス旅といえば先日亡くなった山本コータローの岬巡り、はたまた拓郎の「夏休み」の酸っぱさ加減にも似たどこかふわふわした先行きのなさが妙に心に沁みました。今でも時々あの頃、あの人達、あんな時代を懐かしく思いそしてもう一度希望と悲しみを一杯心に詰めどこかに何かを見つけに行く漠然とした旅に出てみたいとも思いました。

7月28日 津田沼のひまわり

京成津田沼駅からは25分、JR幕張本郷駅からは15,6分ほど歩く鷺沼4丁目にひまわり回廊があります。ここは織戸さんという若い方の農園で、秋冬作物の緑肥としてさらに土壌改良や害虫駆除かたがた皆さんにヒマワリを楽しんでもらおうということのようです。去年も驚いたのですが車で行くとこんなところに?というところに農地が広がっています。先週の日曜日の午後出かけたのですが先客は10名くらい。やがてどんどん家族連れが集まってきました。去年のは2mにもなる種類だったので今年は前方も見えるように1.5mの「サンマリノ」という品種なんだとか。花はみんな同じ方向を向いているので前面が見えるところに回り写真を撮りました。5,60cmの台が用意されており登ってから見ると周り一面に広がるヒマワリは壮観でした。風が吹いて「ウクライナのヒマワリ感」を狙ったのですがこちらのは底抜けに明るい景色。平和を存分に楽しみました。

7月27日 小売業売上

今日日本の小売業売上高のランキングが出ていました。トップはセブン&アイHD、2位はイオンでともに8.7兆円。3位はアマゾンジャパンの2.5兆円。1&2位が逆転したのは11年ぶりだとのこと。セブン&アイやイオンは企業の複合体なのでスーパだけで見るとイオンが1兆8200億円、IYが1兆70億円、コンビの最大手7-11は8600億円となっています。アメリカでの売上高はもうすぐアマゾンが世界最大のスーパーであるウォルマートを抜くと言われていますが日本はいつの間にか上位に入っており売上高だけではスーパ部門でのトップであるイオンリテールの4割増しとなっています。日本もすっかり通販での買い物が一般的になったのですね。また上位にはユニクロ、ドンキ、ヤマダ、ニトリなどといった有名企業が入っています。総売上利益率でみるとスーパとCVS、ユニクロとでは物凄い差があり企業体質は非常に違うのが分かります。

7月26日 栗木京子

今朝新聞を読んでいたら読売歌壇という欄で栗木京子氏が選者をしていました。「三角の飛び石を踏み賀茂川を友らと渡るかつてのお転婆:松井美枝」を取り上げていました。私は栗木京子氏の学生時代の歌が大好きでこの春ブログにも取り上げたことがあります。「観覧車回れよ回れ想い出は君には一日我には一生」というのは学校の教科書にも出ているんですね。今回の選歌で思い出すのは前にも紹介した「春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る」です。どちらも京都の景色。方や賀茂川、方や大堰川と場所は違いますがなんの屈託もない青春の一コマ。もちろん悩みは一杯あったのですがそれを友と語り合いボートを漕ぎ、飛び石を踏む彼女たち。前途には明るい未来しかないように見えます。私の頭の中は数十年前で止まっており現在は現代歌人協会の理事長をしていることも知りませんでした。選評を読むとやはり飾らない素顔が見えとてもうれしく思いました。

7月25日 桂米團治

一昨日恒例の桂米團治独演会を聞きに銀座ブロッサムに行ってきました。正月と7月の年2回弟子を連れやってきます。私は彼が桂小米朝のころからもう数十年のファンです。人間国宝だった父桂米朝の芸風とは一味違い芝居噺や二代目の哀歓を偲ばせながらの若旦那を得意とし、オペラとの共演といった新しいことも取り入れ今や日本を代表する落語家の一人だと思います。で昨日の演題ですが一席新作を披露しました。直木三十五作の「増上寺期限一説」を元ネタにしたもので日本に上陸した象が時の将軍徳川秀忠と絡み大騒動をした末に今増上寺がある場所に葬られたという話ですが歴史的には増上寺は室町時代に建てられていたことを明かすので作り話なのだがまんざら荒唐無稽な話でもないと思わせるのが彼らしいところでしょうか。話としてはまだ練れていないし多少説明が多いのが気になりますがこれから何度も続けていくうちに古典になっていけばと期待します。

7月21日 コロナ第七波

コロナの陽性者が日毎に増え前週の倍とか過去最多とかと報じられています。一日の陽性者数が全国では18万人越え、東京は3万人越えと今日にちなんだシャレではありませんが「うなぎ登り」です。プロ野球、相撲など団体スポーツの選手を含めた関係者が軒並み感染し試合が中止になったり相撲では双方不戦敗などという現象がでています。会社の周りでも従業員、その家族など以前よりはるかに身近に感染者が出ています。ただ彼らは高熱などの症状がほとんどないようです。また不思議なのがアメリカで行われている陸上世界選手権でも少なからぬ日本人選手が罹患し出場できなくなっていますが報道によるとアメリカでは日本ほどの対策は取られていずマスクはなし、特別な制限なしなのだが陽性で出場できない選手の話は聞きません。体質の違い、コロナの中身など状況が異なるのでしょうがもしかしたら過剰な対策で免疫力が落ちているのかななどと思ってしまいます。

7月21日 修チャンカレー

昨晩弟からおばさんが亡くなったという知らせがありました。母親の姉で96歳。ここ2年ほどは認知症で施設に入っていたようです。小さい頃母親がときどき私を連れておばさんの家に遊びに行っていました。そしていつも「カレー」をごちそうしてくれました。「修チャンはカレーが好きだから」勿論当時はそして今でも私はカレーが大好きなので喜んで食べていたのですが後年カレーだと面倒くさくないなとか取り敢えず子供には喜ばれるなとか大人の事情も分かってきました。私の母親の方が先に亡くなりおばさんが葬儀に来てくれました。二人は小さい時からとても仲が良かったようで、おばさんがひどく落ち込んでいた記憶があります。葬儀は今日福岡でということなので出席できませんが私の親、親の兄弟など身辺の人たちがだんだんいなくなります。私の子供時代を知っている人たち「修ちゃん、修ちゃん」と呼んでくれた人達がいなくなるのは寂しいものです。