12月14日 米トルネード

10日米南部、中西部を襲った竜巻はとんでもない大きさで甚大な被害を出しているようです。竜巻が通過後は地上に立っているものすべてが上空に舞い上げられ建造物はバラバラになっています。竜巻常襲地帯に住む人達はシェルターに逃げ込むようだが今回のは想定をはるかに超えた威力だったようだ。米では近年竜巻が年間1000個以上発生するが通常は5~6月が多く12~2月は少ないのだが名大の坪木教授によると今回のは春に発生するのと同じようなパターンだという。直接の原因は12月としては異例の暖かく湿った空気が南から流れ込みそこに北からの寒気がぶつかり激しい上昇気流で巨大な雲の塊ができてスーパーセルとなり竜巻が発生しやすくなったとのことで竜巻の強さを示す「改良藤田スケール」では5段階の上から2か最大の可能性があるとのこと。ところでこの藤田とは元シカゴ大教授で高校の大先輩。在学中に母校で講演されたことを思い出しました。

12月13日 大失態やァ

先日いつものようにチャリ散歩に出かけた時のことです。最近チャリに乗る度に両手を離す誘惑に駆られ時々一瞬手を離すのですがおっかなびっくりですぐ止めていたのですが一昨日はとうとう本格的にトライし案の定ひっくり返り、しこたま膝をチャリにぶつけました。若い時は平気だったので今はどうなんだろうと試してみたのです。チャリがボロなせいもきっとあると思いますが(?)安定した姿勢がとれず敢無く落車。その時はなんてこともなく帰宅したのですが暫くしてからどうも上手く歩けません。妻に事情を話したら「大馬鹿野郎、年を考えなさい!」と強烈パンチ。「本当に歩けなくなったらどうするの!!」と第二弾。確かに大失敗なのですがそんな気持ちになることはありませんか?若い時普通にできていたことがまだ出来るかなと思いつつ多少の冒険をしてみる気になったりしませんか?今朝杖の用意までしました。人はそれを年寄りの冷や水と呼ぶようですが。

12月10日 旧松戸市立病院

今日久しぶりに旧松戸市立病院と運動公園の間の道を通りました。広い中央分離帯があるこの道の両側に植わったイチョウはもうほとんど落葉し道の側溝は真黄色になっています。市立病院は’17年にこの地から東に1km程のところに松戸市立総合医療センターとして移転し旧病院は取り壊されています。しばらく放置状態だったのですが数か月前から全面にカバーがかけられ取り壊し作業が行われています。今日カバーの隙間から重機が見えましたがもうほとんど更地になっているようです。この取り壊し作業ですがまったく音なしの構え。ビルの破壊でダイナマイトを使いドスンと崩れたり大型重機でバリバリ建物を剥がしていくのをテレビで見ますがこれとは全く違い大きな音もたてずひそかに行われていました。きっと市の建物を壊すのに近隣に迷惑をかけてはいけないということだったのでしょうがそれにしても驚きました。時間はかかりますがこのやり方いいですね。

12月9日 寒いねといったら、、、

「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ:俵万智」昨日は終日雨。風も強く帰宅途中ですっかり濡れてしまいコートの袖から染み込んだ雨はジャケットにまで届き手足が冷たくなりました。家に帰り玄関先で「今日は寒いね」と古女房に言うと「暖かい上着を出しといたから」と応えました。冒頭の短歌はきっとまだ彼氏彼女の時代もしかしたら同棲しているカップルの話かもしれませんがこちらはもう気合の入った古馴染み。「老いふたり互いに空気となりあひて有るには忘れ無きを思はず:窪田空穂」の世界に入りかけていますが暖かい部屋に入り用意された夕食を食べるとき何とも言えない暖かさを感じました。若い時のように空々しい睦言はありませんが生活感のある言葉にほっとします。二人生活にどっぷりはまっているので用でもない限り女房は帰宅する私を出迎えてくれるのが当たり前になっていますが気温だけではない「あたたかさ」は感じます。

12月8日 様々な日暮れ

先日帰りがけに同僚から最寄りの駅まで送ってもらったのですが、その彼が「日が暮れるのが早くなったな、もう4時半には暗くなってくる、早く暗くなるとなんだか仕事する気がなくなってしまうよな、気持ちも暗くなって。そういえばあと2週間もすれば冬至だな。」なんてことをいうのです。日頃快活で新しいことに積極的に取り組む姿を見ていると何となく似つかわしくないのですが。そういえば私のバア様も「秋はいやだね、寂しくて」などといっていました。確かに日中の時間が短くなり寒くなってくると気持ちも沈んできます。夜が大好きな人たちもいますが盛り場に出かけにくい状況なので彼らも別な意味で「寂しい」かもしれません。飲み事が極端に減ってき別に飲み会をしなくても構わないという人たちが増えているとのこと。「飲みニュケーション」といって説教を垂れたり自慢話をしていた人たちは寂しいでしょうね。様々な日暮れ。もう12月8日。

12月7日 写真データの復活

昨日折角映した紅葉の写真データをパソコンに移す前に飛ばしてしまったことを書きましたが、娘の気に入った写真があったようでどこからかアプリを探してきてデータを復活してくれました。大変ありがたいことなのですがチップに入っている情報を飛ばしてしまっても復活できる技があるとは夢にも思っていませんでした。もう現像とかネガを取っておくなどとは無縁のデジタルカメラを使い始めてから本当に一枚一枚を大切にしなくなりました。取り敢えず撮っておき後で要らないものは消去すればいいやと思うからワンショットが雑になります。同じような写真がいっぱいあるので消去するですが時にはあまりたくさん消すので必要なものまでうっかり捨ててしまうこともあります。今までだと「しょうがない」で終わっていたのですがこれからは復活もあるということになりますがそれより撮るときもパソコンに保存するときももう少し慎重にやった方がよさそうです。

12月6日 紅葉狩り

一昨日県内の紅葉スポットに行ってきました。富津の紅葉ロード、亀山湖、養老渓谷というルートです。紅葉ロードは初めてなので期待していたのですが少々時期が遅すぎたようで葉先が縮れ色もくすんでいました。さらに亀山湖は毎年使っていた駐車場がなくなっており東大演習林の黒滝方向に車を走らせたのですがどうもいいスポットがなく退散。最後の養老渓谷は関東でも紅葉が遅くまで見られるせいもあり夕方になっても行楽客は多く観光バスも数台来ていました。日暮れで華やかな色はありませんがそれでも滝を背に残照に映える紅葉は見ごたえがありました。更にいくつかの場所では「ライトアップ」がありすっかり暗くなった星空の下鮮やかに照らし出された紅葉を堪能しました。スマホ撮影をしているバイクの若い男性が多いのに驚きました。私も一眼レフを抱えパチパチと写真を撮りさて家のパソコンにコピーしようとしてチップの情報を飛ばしてしまいました。残念。

12月3日 感動ポルノ

日経夕刊に五輪女子マラソンンのメダリスト有森裕子さんが「社会との伴走問い続け」と題した文章に感動しました。内容は知的障害者のスポーツ大会に「ナンバーワンにならなくてもいいもともと特別なオンリーワン」の曲が象徴的に流れる。曲は素敵なのだが「一番にならなくてもいい」というのは他人が決めることではないだろう。「スペシャルオリンピックに勝ち負けは関係ない」が決まり文句で「彼らは天使だ」と特別視する風潮があるがそれは「ポルノ感動」だ。障害者は人を感動させる存在ではないと彼女は言います。少なくとも彼女は「参加するためにだけ」ではなく勝つためにオリンピックにでた。それは障害者スポーツ選手でも同じだ。勝利を目指す中で人として成長し負けても社会で生きていく自信を育む。大会後もどのレガシーを社会でどう生かすのかちゃんと考えていきたい。障害があろうとなかろうとスポーツは社会で生きていく手段にすぎないのだと。

12月2日 オミクロン型

新型コロナウイルスの新たな変異型である「オミクロン型」というのが南アフリカで発見されこれが世界中に広まる恐れがありそうだ。日本政府はいち早く全国際線の新規予約停止を要請し空港での水際対策を強化しているが早くもこの変異型の陽性者が入国しており同じ飛行機に乗っていた人達は濃厚接触者ということで隔離されています。ウイルスは単純な構造で、増殖や感染を繰り返す中で少しづつ変異し新型コロナは2週間で一か所程度の速度で変異しているのだとか。自分自身で増殖能力はなく生きた細胞の中でしか増殖出来ないので他の生物を利用して自己を複製することでのみ増殖する。その過程で「変異」を繰り返しより環境に適応しやすいように姿を変えていくと説明されています。敵の事情は理解できますが我々人間には困ったものです。まだ詳細は分かっていないようですが症状は、後遺症はなど早くその全貌をつかみ対策を取っていただきたいものです。

12月1日 冬到来

昨晩からの暴風雨は通勤時間帯も続き今朝は大変でした。このところ寒い日が多かったので薄手のコートは着ていましたがその袖とさらに中のジャケット、またズボンの裾もびしょ濡れ。靴も水が入り難いものにしていたのですがそれでもズブズブになっていました。まず仕事場にヒーターを入れ、ジャンバーに着替え靴を脱ぎ新聞紙で足の水気を吸わせ靴の中に丸めた新聞紙を入れ暫くは机の下で足踏みして靴下を乾かしました。何とか大体乾いたところで集金に出かけたのですがあちこちの街路樹は落葉し裸ん坊になり道路の側溝は葉だらけ。まもなく青空が出始め気温もだんだん上がってきました。結構風も吹いていたのですが木枯には該当しないそうで結局本年の「木枯一号」はなしとのこと。歳時記をめくると木枯は俳人の興をそそるらしく名句が沢山ありますが「もしジャズが止めば木枯ばかりの夜」という寺山修司作の句を見つけました。木枯はなくとも冬到来ですね。