9月14日 金木犀

このところ通勤途中にどこからともなく金木犀の香りが漂ってきます。まだ本当に鼻をかすめるくらいの匂いですが今朝香りの元を発見しました。匂いの場所でふと頭をあげたらあの金色の花が数かたまり見えたのです。山口青邨の俳句に「そこはかとなく木犀の香と人歩き」その人が歩くと懐かしい香りが付いてくるというのでしょうか。家のチェリーセージが出しゃばっており時々玄関の中まで香りを持って入ることがありますがそんな状態なのでしょう。金木犀の香りはとても強いのであちらもこちらも花いっぱいになると少々閉口しますが、今のようにどこからともなく漂ってくるというのが好きです。特に夜、花は見えないのに香りだけがあるというのは一層艶っぽいですね。花の香りは思い出もつれてきます。学生時代校門を入ったすぐのところに大きな金木犀があり毎年この香をかぐと一瞬にして甘美な思い出が蘇ります。春は沈丁花に秋は金木犀に過ぎ去りし日を見ます。

9月13日 祖光院のヒガンバナ

今日代理店の帰りによく通る松戸祖光院の庭に赤いものが見えました。庭の反対車線だったのではっきりとは分かりませんでしたがあれはきっとヒガンバナです。時期的にも間違いありません。まだ走りでしょうからあと1週間くらいで満開になるのでしょう。2万本ほどあるようです。以前は赤い花だけだったように記憶していますが最近は白や少しだけ黄色もあります。ここは庭屋さんが管理しているせいでしょうか本当に毎年きれいな花を咲かせます。背の高い樹々の間、日陰に咲きそろった花。時間帯により陽の光が差し込み花の表情も変わります。私は仕事途中ですので混雑に会ったことはありませんが土日はかなり密になるようです。巾着田のミニ版といういわれ方もするようですが去年も今年も本家日高の巾着田は花を全部切ってしまいました。関東一円にヒガンバナの名所として知られており咲いているとどうしても人が集まるので全部切ってしまうのですね。残念です。

9月10日 夏目雅子

日経夕刊に中井貴恵さんが夏目雅子の思い出を書いていました。自分の乗った車の前でタクシーに乗り込もうとした夏目雅子がハンドバッグを落とし中身が道路に散らばった。中井貴恵は、終始笑顔でそれを拾い集める雅子の一部始終を見ていた。少し前に共演し意気投合していた二人の偶然の出会い。の話なのだがどうして突然夏目雅子なんだと思って読み進めると明日9月11日が命日だったのですね。死因は水泳の池江里佳子さんと同じ白血病。というか私は池江選手が白血病と報じられた時咄嗟に「ヤベエ」夏目雅子と同じ病気だと思いました。カネボウ化粧品の水着のポスターは鮮烈だったなア。健康色に日焼けした彼女は真っ白の網目の水着でこぼれるような笑顔。いかにもお嬢さんの雰囲気で天真爛漫で見事に均整の取れた姿態に「世の中にこんな素敵な女性がいるんだ」と一目ぼれでした。亡くなって36年。生きていたらどんな年の取り方をしていたのだろう。

9月9日 町の本屋

先日女優の中井貴恵さんが子育ての真っ最中子供に本を読んであげていた。いつも早く寝かしつけるだけの目的で読んでいたがある時「つりばしゆらゆら」という本を読み号泣してしまった。これがきっかけで子供たちに本を読むイベントを立ち上げたという話を紹介しました。私も号泣しようと思い本屋に行きましたが店頭には見当たらなかったので店員さんに調べてもらったら随分前の本ですので取り扱っていませんとの答え。家まで配達してくれるしと思いアマゾンに頼むことにしました。目的の絵本は少々遅れるので発送が決まったらメールするとのこと。連絡から数日以内に振り込まないとキャンセルされるので時々パソコンを覗いていたら昨日連絡がありました。早速代金を振り込んできたのでまもなく絵本に出会えることでしょう。客が望むすべての在庫を持つことは出来ないのだからその対策を考えないとアマゾンに負けます。本当は町の本屋で買いたいのですが。

9月8日 イグ・ノーベル賞

日経朝刊にイグ・ノーベル賞の話が出ていました。この賞は本家ノーベル賞に笑いで対抗しようとしている(?)賞で受賞内容はいづれ劣らぬ傑作ぞろいです。2018年には長野県の消化器病センター堀内医師が受賞しましたがその題名は「セルフ内視鏡検査」。これを実演すると会場は爆笑の渦。「プット!プット!(こうしてお尻にいれるんだ!)」排便と同じ座った姿勢で大腸の内視鏡を入れると、不快感が少ない。自ら試すことでそれを発見し論文にした研究が「医学教育賞」の受賞につながった。というのです。実は私もあの肛門から内視鏡を入れる作業は苦手です。少し痔の化があるのでかなり違和感があります。以前は数年おきに検査していたのですがそんなこともあり暫くご無沙汰です。あの検査がすんなり出来るのならまた復活しようかなと思います。「健康を維持するためには多少の痛さも我慢しろ」といわれてもね。やはり痛いのはごめんです。

9月7日 ひつじ雲

今日は朝からバタバタ忙しく駆けずり回り今ようやく一息ついたところです。久しぶりに天気が良く湿度も低くとても気持ちのいい天気でした。空を見上げるとひつじ雲(いわし雲・うろこ雲?)今日の雲はどの呼び名が正しいのかは知りませんが何しろ「うろこ状」の雲が空を覆っていました。夏の高く上っている元気の良さそうな入道雲とはまるで違います。これは秋に特有の雲のようですがまだまだ一挙に涼しくなるわけではないのでたまたま天気図がそうなったということでしょう。それでも今日の天気だと明らかに目に見えるような秋の気配です。いつものチャリ散歩コースの田圃はもうすっかり頭を下げすぐにでも刈り取りが始まりそうです。長くうっとうしい、またコロナ禍で外出もままならない状況だった今年の夏もようやく終わろうとしています。今年も秋を探しに予定だけは組んでありますのでコロナ禍が下火になり何とか実現できるといいのですが。

9月6日 パラリンピック閉幕

昨日でパラリンピックの全競技が終了し閉会式が行われました。私はパラリンピックをいくつかとはいえ熱を入れて見たのは始めてです。多分テレビもなかったと思います。コロナ禍で開催も危ぶまれていましたが無観客での実施は正解だったと思います。人間の体はあそこまで不自由さを克服するために各器官を総動員することができ、強い意志があればそれを使いこなすことができるのだと思い知らされました。腕がないのに体のバランスを取りながら速く泳ぐ、目が見えないのに長距離を走る(私は目をつぶると2,3mも歩けません)、サッカーではドリブルで相手をかわしシュートする。もう自分のこととして考えたらあり得ないことだらけ。義足の走り幅跳選手は健常者の記録を破っています。彼の脳は義足に対応できるようにその働きが変化していることも分かっています。「可哀そうだ」という感情は五体満足なのに何もできない自分への叱咤になりました。

9月3日 情状酌量

今日介護施設の方と商談をしながら色んな事を教わりました。かつて日本で一番大きかった介護施設の会社が所内で起きた殺人事件を機に倒産してしまった。殺人の内容は職員が入居者を殺めてしまったというものです。私は「なんと職員が!会社まで潰してしまって、何という人なんだ!」と単純に怒りました。そこで商談相手の方が「介護施設入居者にはいろんな人がいる。認知症で何を言っても通じず自分の言いたいことだけを言う人、感情の起伏が激しく時に掴みかかってくる人、粗相をしてしまう人など。勿論たとえそんなことがあっても手をあげたり、まして殺人など許されるものではありませんが」といいました。自分の単純極まりない発言が恥ずかしくなりました。人のことを貶すのは簡単だがそこには複雑な事情もあるんだということ。殺人そしてその所為で会社まで潰してしまった罪はあまりにも大きいのだがそれでも情状酌量の余地はありそうな気がします。

 

 

9月2日 コロナ接種と治療を!

東京のコロナ陽性者数が少し減る傾向にありますが全国的にはまだまだです。特にワクチン接種が本当に進みません。松戸は比較的接種率が高いようですが千葉、柏などはなかなか予約が取れないようです。集団接種は予約開始が始まると同時に終了で、ひたすら「混みあっています」のアナウンスを聞き続けることになります。市はかかりつけの医者に相談しろと言いますが元気な人に「かかりつけ医」はいません。またひとたび感染してしまうと入院はまずできなく自宅放置。これは大変です。寝ているだけならいいのですがコロナの怖いのは急変することで、何の治療もせず定期的に保健所と連絡を取っていた人と不通になったので調べてみたら既に亡くなっていた例も報道されています。とにかく早くワクチン接種を!そして早期治療が出来るような環境作り。政治家さんお願いしますよ。チリ、インドなどのように莫大な犠牲者を出してようやく収まるなんてごめんです。

9月1日 パラリンピック

パラリンピックを見ているともう信じられないような光景をたくさん見ます。卓球では腕が使えない選手が足指でボールをあげ口に咥えたラケットで打っていました。なんてこった!昨日自転車女子個人ロードタイムトライアルで優勝した杉浦佳子選手はそのガッツと全てにチェレンジングな姿勢に思わずわが身を振り返ってしまいました。薬科大に通っていたが子供が出来中退、子育てをしながら薬科大学に再挑戦、見事入学その後薬剤師として働きながらトライアスロンに挑戦、競技中自転車が転倒し頭蓋骨、鎖骨を骨折し記憶障害、生命の危機にあい退院時医者からもう自転車は無理と言われたがその自転車でリハビリ。50歳での優勝。最年少記録は更新できないが最年長記録は更新できるとおしゃれななコメント。「気持ちが落ち込んでいる人達に少しでも「希望はまた見えることがある」と思ってもらえたら」とも。怠惰で目的意識のない人生を送ってきたわが身が情けない。