4月14日 行く花
今年の桜はもうかなり北の方に行ってしまいました。何となく寂しくもあり夏がやってくる嬉しさと入り混じった感じです。今朝電車の中で睡眠用の新書を読んでいたらなかなか深い桜賛歌の短歌が出ていました。「さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり:馬場あきこ」最近私は樹齢数百年の一本桜を追いかけておりこの歌がとても心に来ます。本の作者永田和宏氏は「花は毎年違うことなく咲きみちるのであるが、しかし、この季節のめぐり、その円環時間には、一方で、行って帰らぬ直線的な時間の流れが交差する。」といかにも理系の説明をしていますが確かにこの円環と直線という表現は言い得て妙です。「次の花の季節には、直線時間の住人である我々人間は、一年分だけ歳をとっているのである。来年の桜はまちがいなく螺旋の一つのピッチ分だけずれた花の季なのである」とも。人の一生と桜の年輪が違う歳を経ながら毎年春にはめぐり合うのですね。