8月27日 絵本

日経夕刊「あすへの話題」で中井貴恵さんが人生を変えた一冊を書いていました。子供を寝かせ付けるためにだけ読んであげていた絵本。ある時「つりばしゆらゆら」を読み終わったら何故か涙が一気にあふれ出た。長い谷川にかかる吊り橋を渡るきつねの子こんすけ。頑張れば渡れると信じて歩を進めるのだが意外な結末。この本のすばらしさを自分の声で伝えられないかと「大人と子供のための読みきかせ会」を立ち上げた。朗読、大型絵本、音楽という独自のスタイルで仲間と20年あまり公演を行ってきた。あのときこの本に出合ってなかったら。という内容だが私も子供たちに絵本を読んでいました。特に娘に読んであげてた「ずーとずっとだいすきだよ:ハンス・ウイルヘルム」が心に残っています。娘はどう聞いていたのか分かりませんが私は話の後半必ず涙声になりました。就職試験に落ち滅入っていた時「ずーとずっとだいすきだよ」と送ったら「こっぱずかしい」と返ってきました。

8月26日 メール不通

昨日の朝からパソコンのメールが不通です。社内の詳しい方に見てもらったらどうも一昨日入っていた大量の迷惑メールが原因ではなかろうか、このままでは復旧は出来ないのでサーヴァー会社と相談してパスワードの変更で対処するとの返事がありました。毎日そんなに沢山のメールがあるわけではないのですが週後半はオーダー申し込みがあり、これが入っているのかどうかが分からないのでお客様とも連絡が取れません。だいぶ前から日に4,5件同じような内容で迷惑メールが入っており添付は勿論開かずに、全部受信と同時に迷惑メールリストの中に仕分けするようにして問題はなかったのですが。内容は全部英語なのでうっかり開くということもなさそうですが困ったことをする人(組織)です。相手をしなかったので八つ当たりなのでしょうか。生きるの死ぬのといった切迫した内容ではありませんがそれでもメールは日常的に使っているので一時的とはいえ不便です。

8月25日 おかしな感覚

相変わらずコロナ陽性者はうなぎ上りで止む気配がありません。取り敢えず有効なのはワクチン接種ということで子供達にも積極的に勧め予約を手伝ったりしています。千葉市内追加分の予約開始が一昨日だったのでどうしても日程が合わない千葉在住の息子のために女房が電話をかけまくったようですが取れなかったようです。追加連絡が市からあるようなのでパソコンをしっかりチェックするように伝えました。ところで何とか予約を取ろうとする人もいれば怪しげなSNS情報や「強制されるのは嫌だ」とかの理由で接種しなかったり、あるいは出来るだけ外出を避けようという案内を屁理屈を付け無視している人達がいます。自分は掛かっても平気だといっても他人に移す危険がありますし万が一コロナに感染したら色んな人の助けがいります。自分の身をそして他人を巻き込まないようにするための注意なのに他人事でいる人達の感覚が分かりません。

8月24日 処暑

昨日23日は 二十四節季の「処暑」ということで夏が過ぎ去っていく頃。相変わらず毎日暑いには違いないのですが一時期の入道雲から少しぽっちゃり型あるいは薄い雲が出てきたように思います。古来季節を先取りした歌が沢山あります。まだ吹く風に驚かされるということはありませんが確かに自然界は着実に秋に向かっています。先週の日曜日も恒例のチャリ散歩をしたのですが花見川沿いの田圃はもう大分黄色く重くなっています。案山子もボチボチ稲の番をし始めました。そして昔清水が湧いていた里山を耕したあぜ道に二本のヒガンバナを見つけました。随分のフライイングのように思いますが今年もそんな時期が近くなったんだなと感じます。去年からのコロナ禍で毎年楽しみにしている信州赤そばの花も房総大山の千枚田も茨城大子町の紅葉寺(永源寺)にもお目にかかっれていません。赤そばは休耕のようですし千枚田もイベントはないようです。今年こそは!!

8月23日 今朝の雨

このところ家を出るときは晴れていても途中で急に雨が降り出すことがあるので、今朝も傘を持って出ました。会社到着まで雨の心配はなかったのでムダだったかなと思いながら恒例の朝礼に出ようとしたら来ました。「一転俄かに掻き曇り」あっという間に真っ暗になりバリバリ、ゴロゴロとやってきました。集合場所まではほんの少しの距離ですがすぐに道には水溜りができ傘を差してもズボンの裾が濡れる状態になりました。傘を持っていたのでよかったのですがタッチの差でえらいことになるところでした。暫くしてお客さんのところに営業の電話をしたら今朝雷が落ち電車がストップしたため従業員が出勤できなくなり社長が支店に応援にいったとのこと。短い時間ではありましたが確かに物凄い雨、雷でした。九州、中国方面はこのところ毎日こんな酷い雨が続き川の氾濫、山崩れが報じられています。やはり最近の激しい降りようは異常気象のせいなのでしょう。

8月20日 市役所の百日紅

今日久しぶりに松戸市役所に行きました。本館の前に車を止めたのですが立派な百日紅を見つけました。小根本神社側の階段を上ると左側。市役所入り口を真っ直ぐ見ていると見逃すかもしれませんが、背は2mくらい幅も同じくらいですが幹がうねっており太さも4,50cmはありそうです。只今ピンクの花が満開です。辺りに花はありませんので結構目立っています。この百日紅は排気ガスに強いのか街路樹によく植わっています。松戸では二十世紀が丘に数百メートルにわたり高さ3mくらいの百日紅が植わっており今ちょうど見頃です。サルスベリと言えばコロナ禍でしばらく行けてないのですが鎌倉極楽寺のものは特に印象に残っています。本堂の左側に植わっている樹齢200年というこの木は街路樹のとは違いほとんど剪定はしていないだろうと思えるほどこんもりと茂っており、少し離れると頂上付近の花も見え濃い緑との対比がとても立派です。門脇の芙蓉もお勧め。

8月19日 隣の一星君

このところお父さんと早朝ランニングをしているお隣の子供によく会います。お父さんは結構しんどそうですが子供は元気です。この子は小学2年で一星君と言います。色が白く背は低い小太りで目が細いとてもかわいい子です。回覧板を持ってくる度に妻がお菓子をあげ、会うたびに声をかけているうちに段々挨拶をしてくれるようになりました。以前同じようにしていた子供たちはもう中学生になり大人び、くせ毛でやんごとなき方のように手を振っていた女の子はもう多分会っても分からないでしょう。この一星君が大勢の友達を連れ自分家の玄関先で遊んでいます。子供たちは何が面白いのか不明ですがきゃあきゃあ笑い合っています。何時の頃からかラジオ体操がなくなり今年は神社の夏祭りも中止のようです。それでもこの暑さの中子供たちはひたすら一生懸命に遊んでいます。あと数年は声をかけると返事をしてくれるのでしょう。すくすく丈夫に育って欲しいものです。

 

8月18日 家系図

以前娘が「我が家の家系図」はないの?と言っていたのを思い出し盆中にまとめてみました。「家系図」といったそんな大層なものは我が家にはないので思い出せる限りの人をつなげ紙に書く作業です。とはいっても結局祖父の代までしか分かりませんでした。小さい頃当時既に亡くなっていた祖父の妹が居候しており、彼女が祖父の話を私の母親にしていたようですが詳細は聞いていませんでしたし母親もなくなった今ほとんど分かりません。祖父も祖母も明治の初め位の生まれだったと覚えているので精々150年ほどの歴史ということになります。子供たちみんなにメールしたのですが応答があったのはリクエストした本人だけ。皆さんあまり興味がない様子。どこかのTV番組で「ファミリーヒストリー」というのがあり有名人家族の歴史を拾い上げていますが、我が家は祖父の代から転勤族なのでたまたま必要があって取った戸籍を見て初めて祖父の本籍が分かったくらいです。

 

8月17日 佐賀での水害

このところ線状降水帯が北部九州、中国地方から離れずとんでもない量の雨が降っています。雲仙では盆中の総雨量が800mm(80cm:子供背丈です)を超えるという異常な降り方です。佐賀県でも嬉野では1000mm佐賀市内でも800mmを超え山崩れ、がけ崩れ、川の氾濫など大災害が発生しています。佐賀市は元々土地が低くクリークがあり水害があるところなのですが私は前職の最初の赴任地が佐賀で、行ったその年に大水害に会いました。酷い降りようだなと思う間もなく水が溜まり始めあと10cmも高ければ畳に上がってくるほどの床下浸水。平屋だったので新婚だった女房と「どうするどうする」状態になりました。新聞には地元の百貨店「玉屋」の周辺が水浸しで消防士がボートで救助に向かっている様子が出ていました。翌日心配して駆けつけた父親と一緒に市から配布された消毒薬を家中に撒き、床にたまった泥を掻き出したことを思い出しました。

8月16日 白洲次郎

雨続きとコロナ禍で盆中外出はほとんどしなかったので今朝はすんなり仕事に入りました。さて日経の「私の履歴書」は現在永山治氏。この方中外製薬名誉会長という肩書がついていますがまったく存じ上げません。ただ掲載し始めのころ「白洲次郎」という名前を見つけました。なんでもこの方の父上は、当時吉田首相の片腕として貿易庁(後の通産省)の代表を務めていた白洲次郎の部下として大活躍されたかたとのことで、小さい頃から白洲次郎にかわいがってもらい後年留学したときにも次郎の友達を紹介して貰ったのだとか。白洲次郎といえばイギリス留学時から吉田駐英大使と交流し帰国後首相になった吉田の盟友として、連合国占領下のGHQから「従順ならざる唯一の日本人」といわれマッカーサーに対しても対等に渡り合ったなど数々のエピソードを持つ人です。また次郎の奥方は「白洲正子」といい私の大好きな物書きの一人です。本で知る世界が蘇ってきました。