2月5日 誤変換

時々話題にする日経夕刊「あすへの話題」でアルフィーの高見沢俊彦氏が面白いことを書いていました。彼は楽屋、移動の新幹線、車の中で小説や歌詞を書くとき特定のオフィスを持たないのでPCを使っているが非常に便利なツールである、ただ長年PCを使ってきたのでいつの間にか読めるのに書けない漢字が増えており先日スマホのアプリで漢字書き方検定を試したら散々だったという内容ですがまったく同感です。私はそのような検定をしたことはありませんが間違いなく書けない漢字が増えています。さらに電話番号も覚えなくなりました。最近では人の顔まで忘れてしまいます、おっとこれはただのボケですな。先日も毎日社長あてに提出している日報で五時を指摘されました。商談をした相手が上司に相談するといったのを上肢と変換しそのまま出してしまったところ普段は細かいところまでは読んでなさそうなのにしっかり赤線が引いていました。お恥ずかしい限り。

2月4日 とんでも発言

昨日東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森氏がまた飛んでもない発言をして物議を醸しています。内容は「女子は競争意識が強い。誰かが発言すると負けじとみんな発言するので時間がかかる」というものです。この方は以前からその低級な発言で知られているのですが今回のは相当に異常です。一つは「民主主義は時間がかかるのだ」ということが分かっていないのか否定したいのかもう一つは「女性が出席する会議は」と大変偏見に満ちた発言であることです。そもそも民主主義を標榜する政党のかつては代表だった方が意見を出し合う場で意見を言うのがけしからんとのですから恐れ入ります。さらに世の中男女が半々づつで成り立っているのに女性をある種の偏見で決めつけ締め出そうという愚かさ。多分自分が正しいと信じる主張を予め持っておりそれがすんなり通らないと気分を害する人なのでしょう。聞く耳持たずというのですね。マッチョは日本にもいました。

2月3日 立春

昨日が節分ということで今日は立春。手紙の挨拶では「暦の上ではようやく春になりましたが寒さはまだまだ続きます云々」というのでしょうね。もっとも最近こういう手紙を書く機会もなくなりましたが。私たちは毎朝「職場の教養」という倫理雑誌を輪読していますが今朝のテーマは予定通り「立春」で「袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」という紀貫之の歌を紹介していました。凍っていた水を立春の今日の風が吹き溶かしているのだろうかと解説していました。夏、冬、春を一つの歌に挿れていることでも有名らしいのですが、和歌が上手くなければ社会的地位も職業も得られず女性にも持てなかった時代の「強力武器」であったことを思えば当時の代表歌人貫之にはそう難しい技でもなかったのかもしれませんね。いずれにしても昔から伝わる年間行事はこの日から起算しており「夏も近づく八十八夜」は計算してみると五月の頭になります。

 

2月2日 節分

2月2日が節分の日になるのは124年ぶりなんだとか。地球の公転時間が365日丁度ではないので24節気、立春の前日と決まっている節分もいつもより1日早いというわけですね。我家では子供達が出て行ってからもずっと豆まきをしています。小さな声で「鬼は外、福は内」といいながら窓からガラス戸から豆をまき室内は後で探すのが面倒なのでパラパラとまきます。今はやりの「恵方巻」の習慣は夫婦ともないのでしません。ところで昨日の日経夕刊「あすへの話題」掲載、伊藤忠を日本一の商社にしたCEO岡藤正弘氏に感心しました。節分の時兄弟で豆の取りっこで負けると悔しいという話から「努力は必ず報われる」ことはない。失敗を受け入れそこから困難に打ち勝つチャレンジ精神が必要だ、難題への挑戦が人を成長させる。古今東西変わらぬ心理だろうと結ぶ。さすが鬼とも評される岡藤氏、豆まきから凄い話にもっていくもんだなと妙な所に感心した次第です。

2月1日 緊急事態宣言

先の週末県内に不要不急ではないお出かけをしました。そんなに遅くなる予定ではなかったのですがなにやかで結局家に帰ったのが7時半過ぎ。晩御飯の用意はしていないのでどこか近所で食事をと出かけましたが、これが甘かったのです。どこの店も8時近くなるともう閉店の準備、ラストオーダーも7時半とのこと。しょうがないのでお弁当屋さんに行きました。少々時間がかかりますとは言われましたが待っている人は2,3人で比較的早く弁当を受け取れました。ところが受注分の置き場所には大きな袋がたくさん並んでいます。遅くなるのが分かっている人達は電話注文をしておき取りに行くのですね。この店は大繁盛の様子。それにひかえ8時で閉めてしまう店は本当にかわいそうです。緊急事態宣言は一月延長されるようですが飲食店は堪え切れるのでしょうか。コロナの早い収束のためにはしょうがないとは分かりつつ何とか犠牲者が出ないことを祈るばかりです。

1月29日 マー君復帰

朝刊にヤンキースの田中将大(マー君)が今シーズン楽天でプレイすると報じられていました。マー君といえば楽天時代亡くなった野村監督が「マー君神の子不思議な子」と称え大活躍、特にヤンキース移籍の前年13年は24勝0敗と圧倒的な強さでした。今シーズン大リーグは昨年のコロナ禍でどの球団も資金不足の為オフの移籍市場は出足が遅く行き先がなかなか決まらないマー君もしびれを切らしたようだとのこと。大リーグが彼の選手としての価値を認めなくなったわけではないだろうから時期が来ればまた大リーグに戻るのかもしれない。それにしても野茂選手が大リーグへの道を切り開いて後日本人選手の挑戦が続いていますがその成績を見ると松井とイチローとマー君がダントツですね。日本で超ド級の選手は大リーグでも通用するということなんですね。かつて甲子園を沸かせたマー君が日本でアメリカで活躍し脂の乗りきっている今どんな活躍をするのか楽しみです。

 

1月28日 アマンダ・ゴーマン

先日のバイデン大統領の就任式での一人の少女の朗読が大変すばらしいものものなので紹介します。彼女はまだ大学生とのことですが既にその詩才を認められておりケネディー大統領以来伝わる大統領就任式での詩の朗読をしたのです。”The Hill We Climb”と題し彼女は静かに語り始めます。「日が昇ると我々は自問する。この終わりのない陰のどこに光を見つけることができるのだろうか」とアメリカがこれまで何回も困難に遭遇しながらそれに打ち克ってきたこと、我々は未来が最も大切だと知っているので分断を終わらせ我々の違いを脇に置く必要があるとも。そして最後に「日が昇れば我々は恐れることなく炎の陰から出ていく。恐れを解き放てば新しい夜明けが来る。我々がそれを見る勇気があれば、我々がそれをする勇気があれば、そこにはいつも光があるのだ」と結ぶ。彼女のしなやかで力強い声が終わった時、残された余韻と感銘が会場を包んだ。

1月27日 脳震盪

相撲協会が脳震盪について新たな見解を発表したと出ていました。過日の初場所幕下の相撲で激しくぶつかった力士の片方が脳震盪で倒れたが本人が大丈夫だというので仕切り直しということになったのだが、これについて脳震盪は決して軽いけがではない下手をすると力士生命を終わらせてしまうこともあるので本人の意思確認だけでなく審判の判断でダメな場合は不戦敗にするという内容のようです。確かラグビーでも脳震盪で倒れるとしばらく場外待機といったルールがあったように記憶しています。またボクシングでも「脳が揺れる」という表現がありますが立っていられなくなるようでパンチドラッカーなどの後遺症が出ることも聞く話です。日本伝統の相撲は他の競技とは違うのだスポーツではなく神事だなどという話もありますがやっているのは鍛えられ少々人間離れした体格ではありますが生身の体同士なので力士の健康を守る今回の措置は結構なことだと思います。

1月26日 虚構新聞

先日、時々話題にする福岡在住の先輩からまた面白いネタが入ってきました。ある日のNHKで「虚構新聞」というのを取り上げていたというのです。私はこの新聞のことを全く知らなかったので早速添付してあったURLを覗いてみました。これは面白い!初めから現実にはありえないフィクションのニュースを掲載するウェブサイトと宣言しさらにお願いとして取り上げるニュースはすべて虚構のものであり現実の人間 団体とは関係ありませんと謳い色んなウソ情報を流しているのです。中身は自分で確かめた方がより楽しいと思いますので引用はしませんが傑作なのは虚構だと報じたニュースが実際に起きてしまった場合の誤り方で例えばこんな具合です。「誠に申し訳ない、真実の情報を流してしまった」と謝罪しています。一時期世界中を席巻した「フェイクニュース」とウソ宣言した「ウソニュース」とさて「鷽」はどちらにそのユーモア度の軍配を上げるでしょうか。

大相撲初場所

大相撲初場所が平幕大栄翔の優勝で終わりました。といっても私は精々夜のスポーツニュースでその結果を見るくらいのファンなのですが。今場所は横綱が二人とも休場、綱への昇進チャンスだった貴景勝も途中から休場ということでさっぱり盛り上がらない出だしだったのですが大栄翔が三大関を倒し8日目迄自分より上の力士を総なめし俄然活気づいてきました。この力士立ち合いから真っ向勝負の突き押しで相手がだれであろうと委細構わず真一文字に突っ走る爽快極まりない相撲です。何となく経験を積んでくると馬力だけでは勝てないということで方針転換の力士が多いのですが大栄翔にはこのスタイルを貫いて欲しいものです。そして埼玉出身で初の優勝だとかで地元の喜びは大変なようですが優勝祝賀会はほどほどにして来場所に向けての稽古が十分出来るようにさせてあげて下さい。是非贔屓の引き倒しで次のチャンスを潰すことのないようにして欲しいものです。