3月24日 他山の石

自民党の二階堂幹事長が公判で選挙違反を認めた河合議員のことを聞かれ「本人も反省しているようだが党もこうしたことを他山の石としてしっかり対応していかなくてはならない」と発言したことに対し各方面からいろんな意見が出ているようです。自分の身内の話なのに「他山」とは何事ぞという内容が多いようですが、故事成語の使い方は余程気を付けないと誤解を生みます。この他山の石にしても文科省が行った世論調査では「他人の誤った言行も自分の行いの参考にしたい」と正しく意味をとらえている人は3割くらいで正反対の「他人の良いところは自分の行いの手本となる」と答えた人が2割近くいるとのことです。もしかしたら二階堂さんは人を食って生きている方ですから「河合議員のやったことは正しいので自分も見習いたい」とすっとぼけたというのは穿った見方でしょうが、言葉で人心をつかむのが政治家だとしたら少々誤用が過ぎたかもしれませんね。

3月23日 桜前線

昨晩のニュースで上野公園や目黒川の桜が映っていましたが当地は満開か、少し過ぎたくらいの花が多いようです。今日常盤平辺りを車で通ったのですが線路沿いの「桜通り」はもう葉が出ていました。ここの花はかなり濃い色なのでとても目立ちます。八柱霊園横の桜並木は最近随分切り倒され以前のようにマブチモーター方面に行く登りでは空一面に花が拡がっているといった光景ではなくなりましたがそれでも道の両側一杯の花は結構なものです。テレビで「日本人ならみんな桜の下で酒を飲みたいと思っているのに」と自粛の恨み節を語っているオヤジがいましたが下戸の私などは煩い調子者が騒いでいるところで花見はしたくありませんので今年は非常に具合がよろしい。さてこの桜、赤ちゃんのハイハイスピード大体時速1km1日に20kmほど北上していくようなので今年はGW前半頃津軽海峡に達するのでしょう。「押し合うて海を桜のこゑわたる:川崎展宏」

3月22日 緊急事態宣言解除

コロナによる緊急事態宣言が解除されました。具体的には飲食店の時短が1時間延び、イベント時の観客数制限が緩和される位だと思いますが新株陽性者が大分出始め陽性者数はここ数週間その前週より増えているので相変わらず三密を避け、マスク着用、うがい励行、手の消毒は必須でしょう。世の中には「もう我慢が出来ない」という人達で繁華街の人出が増え今後が心配です。ところで先日麻生大臣が記者会見の席で新聞記者に「いつまでマスクするの?何?新聞記者なのに分からないの!暑くなると口の周りがかゆくなり皮膚病が増えているらしい」趣旨の発言をしたと報じられていました。この方常識が通用せず放言、失言が得意なのでいちいち目くじらを立てることもないのですが随分とまた「おしゃれ」な発言です。百歩譲って職務柄早く経済が回るようになって欲しいという気持ちからの発言だとしても国全体で必死にコロナ対策をしているのに他人事みたいですね。

3月19日 地下鉄サリン事件

すっかり忘れていましたが明日3月20日であの忌まわしいサリン事件が起きて26年が経ったのですね。何が起きたのか?一体だれが何のために何をしたのか分からないことだらけの中でしかし直接あるいは救助しようとした駅員さんなど何の罪もない人々に多大な被害が出ました。捜査が進展していく中でとんでもないオカルト集団の存在が明らかになりそれまで聞いたこともなかった毒薬「サリン」が電車の中に置かれそれによる被害だということが分かってきました。これに関わった信徒の中には医者、科学者など世間的には信用のある職業従事者もおりそんな彼らが「どうして」大量殺人をするに至ったのか非常に不可解な事件でした。教祖と称する麻原何某の普通ではありえないような絵空事を信じ込んでしまったのですね。彼らのアジトに警察が乗り込んだ時の教祖の何ともみじめな姿、そして裁判の度に狂人のふりをして罪を逃れようとする姿。あきれ果てました。

 

3月18日 ザゼンソウ

すこし前になりますが栃木県大田原に「ザゼンソウ」を見に行きました。変わった名前ですがこの由来は仏像の後ろにある光背のようなもの(仏炎苞)が球形の花の上に伸びてきてさらに囲ってしまいその形が座禅を組んでいる僧のように見えるからで「ダルマソウ」ともいうそうです。高さは15cm、横幅は10cmほどで全体的に褐色で花の部分は黄色、ざっくり言えばミズバショウに似ています。咲いている場所は保護されており注意してみるとあちこちに鎮座しているという感じでした。1月から3月の寒い時期、湿地帯で見られ尾瀬や滋賀県の高島などが有名だとのこと。この花名前も変わっていますが生態も面白く、他の花が咲かない寒い時期、開花時に25度くらいに発熱し雪を溶かしさらに悪臭を発生させ昆虫をおびき寄せて受粉を手伝ってもらうということです。他に先駆け虫を呼び寄せるという生活の知恵なんですが虫の活動も鈍いため受粉率は低いようですが。

3月17日 卒業

今日車で走っていたら着物に袴という卒業式スタイルの女性を見受けました。そんなシーズンなんですね。今年はコロナ禍で就職活動がとても大変だったと聞きましたが無事就職したのでしょうか。ところでこの袴スタイルはいつ頃から始まったのでしょうか?私の時代(大昔なので参考にもなりませんが)にはなかったと思いますが今やすっかり定番になっています。自分の卒業式には出なかった私も娘の卒業式には出席したのですが定番スタイルで赤ちゃんを抱っこしている学生さんがいたのには驚きました。学生結婚ですぐに子供が出来ればある話なのですが大学の卒業式に赤ちゃんというのは少々違和感もありました。いい加減なサラリーマン人生を送っている私に送る言葉などはありませんが「何があっても生きているうちが花、だから人生は面白い」慣れない仕事、人間関係と色んな事が待っていますが夢を持ちながらも今を思い切り楽しもうぜとお伝えしたいと思います。

3月16日 おバカな校則 

昨日の情報番組で、ある小学校に「体操服の下に肌着着用禁止」という校則があるということで話題になったとのこと。昔から校則にはくだらないもの、存在する理由がないものなどとても子供たちを教育する場所での決まり事とは思えないものが沢山ありいちいち取り上げるのもバカバカしいほどですが恐れ入りました。一応理由は「健康面や衛生管理面の配慮」だとか皮膚の鍛錬だとか訳の分からない「もっともらしい」くもない理由をいっていますがこの時代に信じられません。「担任が個別にチェックし二次性徴があった場合は着用を許可する」のだとも。これって「セクハラ」でしょう。透けて見えたら下着をつけてもいい。そんなアホナ!!今まで誰もこんな校則の存在を不思議に思わなかったのか、いうのが面倒くさいのか女性教師もいるだろうに。みんな一度は教育に情熱を持っていたのだろうに。まさか男性教師はニタニタしながら見ていることはないと思いますが?

3月15日 東大寺修二会

東大寺の修二会が今日で満行。一般にはお水取り、松明で有名ですが修二会は「十一面悔過」と言い、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔することを意味するのだとか。752年東大寺開山良弁僧正の高弟実忠が創始されて以来今年で1270回一度も絶えることなく引き継がれてきた法会で3月1日から2週間にわたって荒行が行われ12日深夜の「お水取り」と「籠松明」の儀式で最高潮に達する。この行を勤める練行衆の道明かりとして夜毎大きな松明に火がともされ毎年沢山の善男善女が集まるのだが今年はコロナ禍で信徒の集まりは中止になり練行衆も予防のため事前にPCR検査を受けるなどしたと報じられています。芭蕉もこの法会に参加し「水とりや氷の僧の沓の音」という句を残しています。私は一度も拝見したことはありませんが極寒の深夜「沓」の音が響くほどの荘厳の中行われる儀式のようです。

3月12日 震災の傷跡

「沈黙の心の海にうかまんとしてうかみあへずたゆたひてあり一つの言葉:窪田空穂」あの震災から10年が過ぎました。松戸で大きな揺れを感じただけの私は家族を亡くし家が壊れ故郷を喪失しひたすら耐えて生きている方々に掛ける言葉は思いつきません。彼らに心の滓となって沈殿している大きな塊はきっといつまで経っても消えることはないのでしょう。人は忘れることで生きています。しかしどうしても残っている得体のしれないものがきっと心の奥底に留まりもしかしたらそのことが彼らを黙らせているのかもしれません。彼らの沈黙の深さがいかほどなのか、そしていつになったら滓がほぐれてくるのか私には知りようもありません。出来ることは唯彼らが何とか重いものを背負いながらでも、心の奥底に横たわる深く長い沈黙が少しでも早く溶け流れ言葉になって出てくる日を待ち望むばかりです。そしてそのときになってようやく彼らと言葉が交わせるのでしょう。

 

3月11日 東京大空襲

昨日3月10日は76年前にアメリカ軍による東京大空襲があった日です。報道によるとこの日を忘れないための活動を長年続けている海老名香葉子さんにアメリカ大使館のヤング臨時代理大使からメッセージが届いたということです。内容は第二次大戦で亡くなられた方に対する追悼の言葉で私信とはいえアメリカからこのような手紙が届くのは珍しいようです。海老名さんは一世を風靡した林家三平さんの奥様になった方で12歳の時に空襲で一家6人を失い学校にもほとんど行けず孤児となり食うや食わずの生活の中で成長したと伝え聞きます。後年海老名さんは東京大空襲の追悼活動を今に至るまで続けています。いくら戦争中とはいえ日本に厭戦気分を起こすのには十分過ぎる徹底した空襲の事は忘れてはいけないと思います。しかしそれまでアメリカを憎んでいた彼女は真珠湾を見て被害者も加害者も苦しんでいる戦争の悲惨さを訴え始めるようになったとも。重い言葉です。