9月30日 更級日記と松戸

今日の日経朝刊の「文化」に千年前菅原孝標の娘が書いた「更級日記」に歴史研究の観点から光が当てられているとありました。この本は作者13歳から40年程の回想録で上洛の道中から始まり全体の1/5を占める「上洛の紀」と呼ばれる部分に研究者が注目しているという。当時の政治・文化の中心は京都で東国に関する文献は少ないが「上洛の紀」は当時の交通や地理などを知る資料となりえるという。例えば下総から武蔵への道中「太日川というが上の瀬、まつさとの渡りの津」に泊まり川を渡ったとあるがこの「まつさと」は松戸を指しその語源は馬の港を示す「馬津」とする解釈があり、国司の旅は荷物を運ぶ多くの馬を伴っていた事を示す文献から、馬が渡れる上流の瀬で一行が宿泊できる安定した低地というと、砂州が発達した松戸市松戸になるという。仮名日記という一つの表現世界で膨大な研究の蓄積がある古典でも歴史学のアプローチでまだまだ新しい姿を見せるという。

9月29日 正代優勝

先の日曜日で大相撲が終わり関脇正代が優勝しました。併せて大関昇進も明日の審判部の会議で発表されそうだとのことです。千秋楽の大一番は相手が平幕最下位小兵の翔猿ということでとても緊張したようで普段は勝っても負けてもそっけない顔をしている正代も土俵を降り花道で付き人と顔を合わせた途端号泣している姿がテレビに映っていました。うれしいのに決まっていますが表情に出すのをためらっていたのが一挙に爆発したという感じでした。明日大関昇進が決まるようですがあの使者への口上はいつのころからか変な言い回しが流行っていますね。普段使ったこともというより日常生活でまず使わないどこかのえらい先生から聞いてきたと思われる四字熟語。私はあまり好きではありません。短い言葉だからこそ自分の言葉でうれしさと昇進の決意を述べることが大切なんだろうと思うのですが。力士みんなが目指しているであろう貴重な大関昇進の伝達式なのですから。

9月28日 半沢直樹

我が家には連続テレビドラマを見る習慣はないのですが、先週初めて「半沢直樹」を見て出演者が思い切り派手に、けれんたっぷりに顔芸、大仰な身振り素振りをするのに感激し昨日が最終回というので楽しみに見ました。大体話の筋が分かっていないのでこのドラマを語る資格はないのですが最後もやはり皆様の熱演にしびれました。きっとこの視聴率は30%を超すぞと思っていましたがやはりすごい視聴率だったようです。歌舞伎役者が出ているからというわけではなく多分演出家が出演者のキャラを活かした内容にしようと思ったのでしょうが、それでも演技の端々に六法を踏んでいるようなあるいは見えを切っている場面がありました。普通なら時代ががった演技に違和感がありそうですがやり続けているので誰もが乗ってしまった、演出家が乗せてしまったということなのでしょう。さてこの手法で大成功したので次は何をするのかプロデユーサーもテレビ局も大変ですね。

松戸祖光院のヒガンバナ

連休の前には何もなかった松戸金ケ作にある祖光院のお庭にヒガンバナが咲いています。今日は車の中からですのでよくは見えませんでしたが7,8分咲きといったところでしょうか。毎年仕事途中に立ち寄っていますがこのお寺さんには赤だけでなく白、黄色の花も結構咲いており二か所に別れその数2万本ともいわれている花々が楽しめます。今日のように雨の日はしっとりと落ち着いた様子で、晴れた日は木漏れ日に映える赤、白、黄色がとても鮮やかです。花が咲いている区域には入れませんのでロープ越しに見ることになりますが造園屋さんが手入れしているので本当に立派に咲きます。今日はまだカメラマンも数名程度でしたが土日ともなれば花を狙ったカメラマンが沢山集まり大勢の見物人で賑わうことでしょう。今年は巾着田が花をみんな摘み見物できないようにしていますしあちこちのイベントが中止になっているようなのでここの「ヒガンバナ」は貴重な場所です。

台風12号

当初の予報では台風12号の進路はかなり関東地方に接近しかつ秋雨前線を刺激するので大雨になるとのことでしたが幸い大した風雨にならなくてほっとしています。去年の秋続けざまに房総半島を襲ってきた台風の爪痕はまだ完全には復旧していないのでこの台風がどうなることかと心配していましたがそれほど大きな被害はなさそうです。今年の春桜を見に行った鋸南町にはまだ青いブルーシートがかかっている屋根が随分見られました。昨日のテレビではこの地区の被害が多すぎてまだまだ手が届いてないところが結構ありこの台風が心配だといっていましたので地元の人たちもやれやれでしょう。最近の台風は従来の沖縄辺りから大きく北東に向かう進路とは異なり太平洋を北上し一直線に関東上陸という今までにないパターンです。普段台風に慣れていないところですので対策が十分ではないのでしょう。ともあれこの台風で気温が一挙に下がったのはありがたいことです。

9月23日 シルバーウイーク?

テレビで19日から22日まで(私は20日から22日まででしたが)の4連休をシルバーウイークと呼んでいました。今回初めて聞いた言葉のように思います。確かに4月末から5月にかけての長い連休をゴールデンウイークと呼んでいるのですからそれより少し短いのでシルバーウイークというのは分かります。ぱっと聞いてそれとわかる言葉ですがよく考え付くものです。これから定着していくと新しい言葉として辞書にも載るようになるのですね。年寄りのことを「シルバー」というのはどうなのでしょうか。辞書には「silver age」もありましたが実際に通じるのかどうかは知りません。まあ「銀髪:silver hair」から年寄りという発想だと英語でも通じるかも?昔野球の「ホームラン」は和製英語なので英語圏では通用しないと聞いたことがありますが最近のニュースをみていると使っているように思います。和製英語が英語になったのでしょうか。

9月18日 子規の命日

明日は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名な正岡子規の命日です。1902年35歳でその有り余る才能を全部使い切った感のある子規は亡くなる前日「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」を含む絶筆三句を残しています。脊椎カリエスなどで若い頃から病床にあり晩年はほとんど寝たきりで絶筆は本人が仰向けに筆を走らせたものだという。もうこの世に未練はないのか彼岸から死の間際まで病に苦しんでいる自分を冷静に見ている。この自己客観と胆力に彼の生涯が要約されていると大岡信はいう。学生時代からの親友夏目漱石はイギリスに留学する際多分子規とは生きて再び会えることはないだろうと覚悟を決めていたがそれでも虚子から受けた死去の報に「筒袖や秋の柩にしたがわず」など五句を手向けている。子規は俳句、短歌の作者として一時代を築きまた後世に影響を与えただけでなくアンソロジストとして万葉集以来の莫大な量の作品を系統立てる大仕事もしている。

9月17日 巾着田の曼珠沙華

先日「巾着田の曼珠沙華」を開花前に全部切ってしまうと報道されていました。「巾着田」は埼玉県の西部、日高市を流れる高麗川が蛇行して出来た景勝地でその形が巾着に似ていることからこう呼ばれているんだとのこと。ここに群生している曼珠沙華は500万本ともいわれ最盛期には辺り一面が真っ赤に染まりそれは見事な光景です。私は数年おきに通っていますがこれほどの壮観な曼珠沙華の群生は他で見たことがありません。しかし今年はコロナ禍を防ぐため例年行われるイベントは中止そしてどうしても見物客が集まってしまうので開花前にすべての花を切ってしまったのですね。毎年花見客が全国から集まってくるようなので確かに今の状況ではやむを得ない苦渋の決断だということはよく理解できます。イベントが中止で残念という気持ちのこともありますが経済効果もあるでしょうから大変な痛手だと思います。全国各地でも同様のことが起きているのでしょうね。

9月16日 大相撲秋場所

今場所は白鵬、鶴竜の両横綱が休場のため大関二場所目の朝乃山にとって横綱への足掛かりとなる大事な場所なのに初日から3連敗。実際の勝負は見ていないので様子は分かりませんがいけませんね。横綱不在によるプレッシャーがかかっているとかいないとか。ここ2,3場所の相撲がよかっただけにどうしたのでしょうか。私は大昔「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたころは相撲が大好きでした。柏戸のファンそして千代の富士。特に体は大きくないのに鍛えぬいた体は鋼のようで精悍な顔とも相まって大きな相手をぶん投げる相撲は何とも小気味よかったですね。最近はあんなにカッコイイ力士はいないように思いますが知らないだけかな。今は特にどの力士がすきだということはないのですがやはりぐんぐん力を付け勢いのある力士、将来を嘱望されている力士には興味があります。また大きな力士の中にあって飛び回り何をしでかすかわからない力士も面白いですね。

9月16日 前はなんだったっけ?

日経夕刊のプロムナードという小欄にとり・みき(マンガ家:私は名前を存じ上げません)さんが「時計をとめて」と題し書いていた文に共感しました。内容は「毎日のように通っていた道であっても、ある日建物が取り壊され空き地になってしばらく経つと、人はたやすく前の景色を忘れてしまうものだ。、、、時間はどこもかしこもすべて同じ速度で経過しているのではなく、土地のスポットによって進み方が違う」と展開していくのですが私が共感したのは前段です。私が今の住所に越してきたのはおよそ30年前でその頃は結構空き地があり夏には盆踊りがあるという長閑な町でした。ところがここ数年あっという間に畑や空き地が住宅に変わってしまいました。そうするともう以前の様子をまったく思い出さず女房と「前ここはなんだったけ」という会話をよく交わします。かろうじて目印になる建物を見つけ当時の景色を思い出しますがいまだに??のところもあります。