8月31日 豚・牛盗難多発

以前山形県だったかで収穫時期で食べごろのさくらんぼ「佐藤錦」を夜中にすっかり持ち逃げした事件がありましたが、このところ似たような手口で豚や牛の盗難事件が北関東各地で相次いでいると報道されています。栃木、群馬、茨城で7月上旬から豚約680頭、子牛8頭、ニワトリ28羽の被害が確認されているとのこと。前橋の養豚場では一度に400頭が盗まれたとのことだが一体何を目的にしているのだろうか。県警によると「育てるにはえさ代がかかる。育てて親豚にして売るのではなく、肉として食べるのだろう」とする見方をしているようだがこんなに沢山を食べられるわけもなし処理の知識、場所、技術がないと無理だろう、また正規ルートで販売するのは難しいようなので畜産関係者はネットなどの闇ルートで売るのではないかと推測しているようだ。いづれにしても農家が一生懸命に育てているのをあっという間に持っていくというのはあまりに酷い事件です。

8月28日 電車を止めるな!

今日から銚子電鉄の映画「電車を止めるな!~呪いの6.4km~」が一般公開されます。先日もテレビで銚子電鉄と社長竹本勝紀さんの大奮闘記が紹介されていましたが何ともこの社長の銚子電鉄に掛ける情熱は凄まじいものがあります。そもそも瀕死の会社に顧問税理士として入ったのに何やらかんやらの事情で社長になってしまいこの会社の再生が始まる。銚子駅から外川駅までの6.4km区間には特に観光の目玉もなければ沿線は過疎地。どうするの!!そこで「ぬれ煎」の登場。経理課長の「ぬれ煎餅を買ってください。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです。」の名文句登場で虫の息の会社がほっと一息。その後も「まずい棒」のヒット等ありますが復活にまでは至らずついに社長が「何とかして状況を打開すべく売れるものは何でも売ってお金に変える、それが当社のモットーです」とぶち上げ細切れレールから線路の石まで。そして今日この映画が公開されるのです。

8月27日 警官の銃撃事件

数日前アメリカでまた警官が黒人を銃撃するという事件が起きた。たまたまそばにいた人が撮ったという動画を見ると危険なものを身に着けているとは思えない黒人男性が自分の車に近づきドアを開けると背後から一人の警官が数発発射している。詳しい状況は分からないが見る限り「人殺し警官の蛮行」のように見える。少なくともこの警官は撃った人のことを人間とは見ていないように思える。自分に歯向かってきて命の危険が生じた場合に発砲するのは何ら問題ないと思うがそのようには全く見えない。これはもう人種差別とか言った問題ではなくこの警察官個人の資質なのかもしれない。無暗に発砲するのはさすがに銃大国アメリカでも許されないだろう。マッチョ好きのアメリカ人ならなおさら後ろから無防備の人を撃つことを良しとはしないだろう。かの国の歴史をよく知らないで軽々に人種差別を論じるつもりはないが今回のは卑劣な警官のおぞましい事件だと思いたい。

 

8月26日 秋が見えた

松戸では数日前から小学生のランドセル姿を見受けます。コロナ禍で夏休みが短くなったのでしょう。今年はなんだか多い気がしますがアブラセミの死骸があちこちに転がりミンミンゼミが残り少ない夏を謳歌しています。昼間の気温は相変わらず35度付近にまで上がるものの自然界は着実に季節が移り替わっています。会社の行きかえりにはコスモスが揺れ、吾亦紅が咲いているのを見かけます。常盤平のけやき通りもぼちぼち落ち葉が目立ち始めました。人間界はコロナ禍で何とも季節感のない過ごし方をしていますが、自然界では立秋もとっくに過ぎ秋が「目にもさやかに」見えるようになってきました。海水温の上昇とかでサンマの初セリは、kg当たり1万1880円、魚屋では一匹1,200円だったとか。我が家の食卓に上ることはまずありませんがなあにサンマを食べなくても松茸が出なくてもいくらでも秋は味わえるのでここは我慢といきましょう。

8月25日 命も生活も(コロナ)

今朝の日経にコロナで冷え切る地方と題した記事が出ていました。中山石垣市長は「島で新型コロナウィルスが広がれば、手に負えなくなる」という理由で沖縄県の意向に反しクラスターが発生したキャバクラ店名の発表に踏み切ったという。県は「店の同意なしに公表すると今後の情報提供で協力が得られなくなる」といい中山は「接触が疑われる人を早期に医療機関へ受診させることが、感染拡大防止にどうしても必要」という。島内の感染症病床は9床のみだがすでに夜の街で感染拡大が疑われ始めているとのこと。観光収入で成り立っている南の島はこの時期を逃すと生活が成り立たなくなるので是非とも本土からの観光客を受け入れたいというのが本音でしょうが、さりとてそれでなくとも平均年齢が高い島でコロナが拡がるとどうにもならない。すでに沖縄県では圧倒的な陽性率になっています。何とも厄介な問題です。命も生活もどちらも同じくらい大事なんですが。

8月24日 オオカミの知恵

先週の土曜日日経夕刊の「あすへの話題」に山下洋輔が執筆した内容をご紹介します。大抵の動物は強い子孫を残すためにメスを争ってオス同士が戦う。オオカミの例では戦っているうちにどちらかが「負けた」と分かるらしい。すると負けた方は地面に横たわって自分の喉首を相手に差し出す。勿論そこを狙われたら終わりなのだがそうはならず、そのポーズをとられた途端に勝った方はそれ以上の攻撃をせず勝利のオシッコの儀式などをしているうちに負けた方は退散するのだという。別な場所で新たな可能性を追求できるわけだ。動物行動学者の日高敏隆さんによるとこういった行動様式はほとんどの動物に刷り込まれており遺伝的にそのような仕組みが備わっているようだという。同じ種族同士で殺し合いをすれば当然種の保存が出来なくなるからなのだろう。翻って人間はというと。極限の武器を手にした人間は今滅亡の淵に立っている。オオカミさん助けてくれと結ぶ。

8月21日 モーリシャスの重油流出事故

モーリシャスで貨物船「わかしお」が座礁し大量の重油を流出させてからほどなく一か月が立ちます。インド洋の西に浮かぶモーリシャスは英ブライトン大学のコリーナ・チョカン博士曰く「これだけ豊かな生物多様性のある海はもうほとんど地球上に残っていない」という国でヨーロッパからの観光客が沢山長期滞在する楽園として有名です。原因はまだ究明中ですがこの被害がどれほどのものになるのか空恐ろしく思います。1989年エクソン社のタンカーがアラスカ プリンス・ウィリアム湾で起こした石油流出事故は湾内に生息する海鳥、魚、海洋哺乳類に多大な被害を与え北米2,400kmに及ぶ海岸を汚染し結局3年の歳月と25億ドルの金を費やし何とか終息しました。当時べったりと油がついた海鳥や海洋生物の死骸、分厚く溜まった重油の報道を見るにつけその被害の甚大さに胸が痛くなった記憶があります。今回も希少な動植物にどれだけの被害が出るのやら。

8月20日 8月のカレンダー

私の机の前は壁ですがそこに某飲料会社作成のカレンダーが貼ってあります。自社の美術館でコレクションしている作品群の中から毎年異なったテーマで12か月を飾っているのですが今年は浮世絵、屏風など富士山を描いたものです。8月は歌川広重の「東海道五十三次<隷書版>のうち原」です。「原宿」は日本橋から13番目沼津と吉原の間の宿。東海道の中でも、最も近くで富士山を眺望できた場所だとか。富士山が作品の中央、縦6割、横7割くらいを占め頂上は画面に入り切れていません。近距離から見上げるとこうなるのでしょうか何とも大胆な構図です。ごく手前には馬に乗った米粒大の旅人が3人、そこから正面の富士山迄田んぼ、山が続きます。53次の中で10枚近く富士山が描かれていますがいづれも広重のアイデア一杯の構図です。富士山の大きさだったり雄大な形だったり季節ごとにその表現は一つとして同じものはなく独創的なものばかりです。

8月19日 平和の句

日経夕刊に作家の川上弘美氏が戦時の俳句を取り上げていたので私もいくつかご紹介します。「戦争が廊下の奥に立ってゐた:渡辺白泉」これは昭和14年の作。心ある人たちはそして冷静に世の動きを見ていた人は見通していたのですね。「いっせいに柱の燃ゆる都かな:三橋敏夫」昭和20年3月20日の東京大空襲。この夜だけで死者は10万人、罹災者は100万人を超すという。アメリカ軍の綿密な殺人計画が大成功した瞬間だった。木と紙でできた家々をいかに効率的に燃やすかという実験を重ねて遂行された作戦はものの見事に大東京を焼き尽くした。「おそるべき君等の乳房夏来る:西東三鬼」昭和21年の作。すっからかんになった東京にようやく生活の動きが出始め戦争で多くの男達が亡くなった今、これからの世の中を立ち上げるのは私達だ!とでもいうようにそしてそれまでおしゃれをすることもままならなかった女性達が誇らかに歩いている。平和の喜び。

 

8月18日 NO ART,NO LIFE

昨晩表題のテレビ番組がありました。友人の娘婿がプロデュースしているので見てくれとのことでした。このプロデューサーはフリーのようですが時々「イタリアの小さな村」といった番組も作っているなかなか骨のある方のようです。今回は知的障害者の方々が描く絵を紹介しておりそれら独創的な作品は世界中で非常に注目されているとのことです。とても考えさせられました。人間は何のために「絵」を描くのだろうか。もちろん描きたいから描くのだろうがたいていの画家には自分を認められたいとか評価されたいとかといった気持ちもあるのだろうと思います。そして売れればもっといいという気持ちも。ただ今回彼らの作品群を見ているとそんなこととは無関係に本当に何のけれんもなく、ひたすら何かを描かずにはいられない気落ちが溢れています。まるで健常者が言葉を発するように絵で発信しているのです。自分の感性のままに本能的に色で形で何のてらいもなく。