10月14日 樂家歴代展

日経夕刊に「樂家歴代展」が京都市の樂美術館で開催されていると出ていました。私は焼き物にも茶道にも全くの門外漢ですのでただ自分の目で見たものが気に入るかそうでないかだけが判断基準です。数年前上野で同じように樂の歴代展がありその作品集をみたのですが感動しました。まず初代長次郎の「赤楽茶碗 つつみ柿」と「黒楽 無一物」です。ド素人の私でも静かに収まっている赤楽の中に秘めたエネルギーとでもいいますか今にもあふれ出んばかりの力が漲っているのを感じます。また黒楽はすべての色を吸収して出来上がった恐ろしいほどの沈黙で圧倒されました。「歴代は代々一子相伝といいつつ、初代の精神性を己の中に据え、それぞれの茶碗を作った。作品と向き合えばその人柄と時代が見えてくる」と昨年襲名した第16第樂吉右衛門はいいます。15代がとても奇抜な作品の中に初代を意識しているのを見て楽家の怖さと凄さを見たのを覚えています。

 

10月13日 紅葉

台風14号から一挙に気温が低くなり過ごしやすくなってきました。これからも暑い日はあるのでしょうがそれでもだんだん秋らしくなっていくのでしょう。紅葉の時期は最近遅くなり市部では12月になってからようやくですが私は例年奥日光、福島、赤城山、秩父などと渓谷、山の紅葉を楽しんでいます。今日営業で走っているとハナミズキの葉が大分色を付け赤い実がなっているのを見つけました。葉はどちらかというと鮮やかというよりは枯葉色ですが実はとてもかわいらしいのが三つ四つかたまって付いています。以前秋になると赤い実を付ける木の名前がわからなかったのですがよく考えるとここは春ハナミズキがふわふわした花をつけるのを思い出し赤い実と花がつながりました。小鳥が啄み冬の準備をするのに役立ち食べられた実から種が落ちといったやり取りがあるのですね。常盤平のケヤキ並木はほんの少し色づき始めたところですがボチボチ落葉が始まています。

 

10月12日 新聞休刊日

毎月第二月曜日は新聞休刊日ということで今日の朝刊はなしです。私は朝起きて顔を洗ったら郵便ポストに直行し新聞を取り出します。そして朝食の間とトイレタイムで概ね読んでしまいます。時々は気になる記事を切り取ったりもします。ということで私は新聞の愛好家なのかもしれません。字が読めるようになった時から父親が新聞を読んでいたのでそれが当たり前だと思っていました。そして私も子供たちが物心ついた時からずっと新聞を読んでいます。なのに4人いる子供たちは誰一人新聞を購読していません。不自由も感じていないようです。多分世の中の出来事はスマホでチェックしているのでしょう。スマホと新聞の違いの一つはニュースの優先順位付けだと思います。スマホは時間の経過通りなのに対し新聞は好きなページから読めます。また新聞はデパートみたいなものでイベント、新刊本、生活の知恵など雑多な情報が取れるのも気に入っています。

10月9日 経年劣化

今日の日経夕刊に美術家の森村泰昌氏があすへの話題というコラムに「経年美化」と題し書いていました。内容は経年劣化という言葉が新旧の世代交代が激しくなりだした2000年代以降使われだしたように思う。一方最近「経年美化」という言い回しを初めて知った。これはペルシャ絨毯の価格は新品よりも人が足で踏んで使いこなされた品物の方が価値があり値段も上がり、これをある番組で「経年美化」と呼んでいたというのです。彼はそこからデータは不死だと展開するのですが私は経年劣化の方に引っ掛かりました。最近病院に行くとさしてよく診察もしないで「お年ですからね」と言われる。私はまだ少し頭の回転が悪く、動作が鈍いくらいで「老年:経年劣化」と言われるほど衰えていないと思うのだが。女房も先日医者から病名より先に「だんだん衰えてきますからね」といわれたと憤慨していました。まだ腰と肩と膝を除けばピンピンしているのに経年劣化とは。

10月8日 金木犀が散った

今日の松戸最高気温は16度。なんとも低くなったものです。そのうえ終日雨。長袖のシャツにジャケットでも少し涼しいくらいです。台風とその影響による秋雨前線のせいなのでしょう。先日散っても風情があるといった金木犀があちらでもこちらでも散り、木の根元がオレンジ色に染まっています。以前は気が付かなかった樹の下が金色の花で一杯になりここにも金木犀があったことがわかります。桜が雨に打たれ散ったさまは少し色っぽいのですが金木犀はやや地味で重たいものがあります。加藤楸邨の句に「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」というのがあります。多少とぼけた表現の中に自分に対する気持ちも込めているのか、秋が行ってしまうのを惜しんでいるのか寂しさがありますが今日の金木犀を見たとき同じ様な感情を持ってしまいました。香りが強いだけに雨で散ってしまった花が何となく愛しくもう少し楽しませてほしかったな、嫌な雨だなと思いました。

10月7日 秋の七草

秋の七草は万葉集の中で山上憶良が「萩の花尾花葛花撫子の花また藤袴朝貌の花」(朝貌は今の桔梗との説有力)と詠んだのが始まりとされているそうです。私はどこでみたのか「萩桔梗尾花葛花女郎花藤袴また撫子の花」と覚えています。いずれにしても秋の七草は風情のある花ばかりです。公園などでは万葉の花々とか秋の七草などとまとめて植えているところもあります。我が家にも萩を植えていたのですがあまりに伸びすぎ広がりすぎ猫の額を占めてしまったのでクレマチスに植え替えました。尾花を花といえるのか分かりませんが飯田蛇笏の名句「をりとりてはらりとおもきすゝきかな」のようにずっしりと白い穂をつけた薄はいかにも秋の象徴です。それぞれの花色は今主流の少し派手目とは違いくすみ気味です。桔梗色は平安の昔から青紫の代表色として伝わる優雅な色で私の大好きな色の一つです。この季節山野に入って七草を探すのもうれしいものですね。

10月6日 金木犀

ここ数日のうち急に金木犀の香りが立ち始めました。台風以降気温が下がり始め金木犀開花の適温になってきたということなのでしょう。特に暗くなり始めてから香るので帰宅途中空気の流れのように濃くなったり薄くなったりします。翌朝前日の香りの主を確かめなるほどと一人合点しています。我が家のは「銀木犀」で金ほど香りは強くありません。私はこちらのにおいの方が品がいいなと思い植えたのですが時期が重なり遠くからの金木犀の香りに侵略されています。金木犀の原種は中国の丹桂と呼ばれ沢山の種類があるようですがこれにも異説がありもしかしたら日本固有の花かもしれないとも言われているようです。すくなくと日本の風土にはとてもあっているのでしょう日本各地どこでもこの時期は金木犀香りに包まれます。学生時代は関西にいたのですがその香りは辺りを席巻していました。この花は散ると根元がオレンジ色に染まり桜とはまた違った風情があります。

 

 

10月5日 秩父の今

昨日秩父に「そばの花」と寺坂棚田のヒガンバナを見に行きました。今年は信州箕輪の赤そばがないので同じくそばの名所秩父荒川上田野と、日高市高麗の巾着田のヒガンバナ祭りが中止(花を切ったようだ)なので以前行ってよかった寺坂棚田のあぜ道に咲く花を楽しみに行きました。上田野の辺りにあるそば畑はちょうど満開で真っ白い花が武甲山のバックに咲いているのはとても結構な眺めでした。白い花の中に赤いのを数本見つけました。ただ寺坂棚田のヒガンバナはみんな根元から切ってあり多分コロナ禍を避けるためにそうしたのだと思いますが残念でした。傑作ぞろいの案山子が迎えてくれましたがお花の方は刈漏らしたのがあるばかりでした。それでも残っている花と棚田ごとに段々になっている稲架掛けそして武甲山を後ろに素人カメラマンは張り切りました。女房が前に買って気に入っている「黒米」の購入先を農作業をしていた人に教わり買って帰りました。

 

10月2日 ヒガンバナ

昨日営業途中にある松戸祖光院のヒガンバナを見てきました。ここは造園業者が入っておりびっしりとそして赤だけでなく白、黄色よピンクをうまく組み合わせとても見栄えがします。また庭園内には入れないのでどこからみても大体花で一杯です。お寺でヒガンバナとくれば何となく抹香臭い隠微なイメージがありますがこれほど沢山の花が咲いていると壮観としか言いようがありません。毎年楽しみにしている花ですが私は畑の高台、棚田などで天に向かって咲いているヒガンバナが大好きです。「つきぬけて天上の紺曼珠沙華:山口誓子」あるいは金子兜太の「曼珠沙華どれも腹だし秩父の子」の情景です。誓子の方はあくまで高い空に向かって孤高の花が咲いているさまを兜太のは無邪気な子供たちの元気いっぱいの姿を真っ赤なヒガンバナと対比させておりどちらも群花ではないように思います。少ないヒガンバナが凛として咲いている姿にはまぶしいほどの感動があります。

10月1日 中秋の名月

今日10月1日は旧暦でいうと8月15日ということで中秋なんですね。午前中は曇っていましたが夕方の天気を見ると大分晴れてきましたので今夜はお月さんが見えるかもしれません。我が家では子供がいたころから満月にお供え物をするといった習慣はありませんが適当に饅頭を買ってきたりということで月より団子の口です。それでも「今日の月はきれいだね」程度の会話はしております。名月をとってくれろと泣く子供はいませんし、この世をばわが世とぞ思うほど満足しているわけでもありませんが、それでも帰社途中に空を見上げ何となく気分がよくなり晩飯が旨いなどということは結構あります。西行に「面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月に留めて」というのがあります。西行が若いころに思いを寄せたやんごとなき人の思い出なのでしょうかとてもしっとりとした歌ですがそれほどまでに心に留めている女人もいませんので平和なお月見が楽しめます。