2月5日 新型コロナウィルス

新形コロナウィルスは当初の予想とは大きく異なり中国本土だけでなく世界中に広がってしまい経済にも影響が出始めました。日本を始め多くの国が中国に滞在中の自国民を引き揚げ中には中国からの渡航者入国拒否といった対策で何とか自国内での蔓延を防ごうとしています。日本ではまだマスクが店頭から消えたくらいでそれほど深刻な事態にはなっていないようですが中国ではニュースで見る限り大変なことになっていますね。患者数が多すぎて病院で対処しきれず病院内感染もありそうだし町には人がいないようです。流言飛語の類も多そうだしSNSでもあることないことが飛び交い本当の情報がなんだか分からない状態のようです。日本でも豪華クルーズ船内で感染者が出た為全員の検査が終了するまで乗客乗員3,700人が足止め。パニックにはなっていないとのことですがいくらホテルの様に設備が整っていてもあと数日は船内に閉じ込められそうだとのことで皆様ご辛抱を。

2月4日 フライング開花

昨日我が家の一輪咲きの鹿児島紅梅を紹介しましたが今日営業で車を走らせているとき八柱霊園そばでもっと面白いものを見つけました。八柱霊園入り口の信号辺りに7,80本もあるでしょうか梅林があります。背丈は概ね2、3m以内で結構密集して植わっており花の時期は遠くからでも目立ちます。今日そこに一本だけ満開の木を見つけました。車から見ているので隅から隅まで見たわけではありませんがざっと見た限り一本だけです。しかもぽつぽつではなく白い花がびっしり開いているのです。四角い土地の角でその縦列も横列も咲いている様子ではありませんでした。こういうのは何なんでしょう。日当たりとか土壌とかいろんな要素が絡んでいるのでしょうがお隣は3mと離れていないと思うのにまるで花は見えませんでした。うそつきだといけませんので今度裏側からじっくり確かめてみます。まあ花は「大きなお世話だ」というのでしょうが野次馬根性で。

2月3日 梅便り

「梅一輪一輪ほどの暖かさ:嵐雪」今日は節分ということで明日からは暦の上では春到来。もっとも旧暦ですから一月近く遅らすと今の感覚でしょうか。一昨日玄関脇に植えた鹿児島紅梅が一輪少しフライイング気味に咲いているのを見つけました。枝の上の方に咲いているので小さな花ですが青空にとても目立ちます。句の意味は寒さに耐えてきた梅がようやく一輪咲いたこれからどんどん咲開きいよいよ春になってくるのですねとでもいったところなのでしょうが、このところの陽気ではとても寒中に開き始めた一輪の梅という風情ではありませんで本当に少し早く開いてしまった皆さんごめんなさいといった感じです。ところでこの鹿児島紅梅は花びらが随分小さいのですがとても品のいい香りがします。枝も白梅などと違い曲がりくねってはなくまっすぐ上に伸びほっとくとどんどん大きくなってしまいます。今年も沢山花芽が見えますのでこれからが楽しみです。

1月31日 ジビエ料理

昨日久しぶりに長男が帰ってきたので予約してあった和食レストランに行きました。店主の「お任せ料理」ということで前菜から魚を中心に最後のうどんまでもう大満足でした。長男は日本酒、ハイボール、梅酒と次々に杯を重ねていましたが私たち夫婦は下戸ですのでもっぱらお茶け。中途でビーフステーキかなと思われるがさて?という肉が出てきましたので店主に「ビーフ?」と聞くと「鹿」ですとの答え。そういえばこの店主狩猟解禁の今の時期は山に入っているんだったことを思い出しました。しっかり血抜きをしてあり香辛料も強くないのにまったく臭みはなく、どこの部位かは知りませんが一口大に切った赤身は程よく引き締まっっており歯ごたえがありとても気に入りました。最近ジビエ料理が流行っているようですが何しろ慣れた人が素早く処理しないと臭みがとれないとのことなのでここの店主の様に自分で捕った獲物を提供するところだと安心して食べられます。

1月30日 募る募集

このところ安倍首相が国会での「桜の会」に対する追及に対し「幅広く募っているという認識でございまして、募集しているという認識ではございませんでした」と答えた所謂「募る募集」がツイッターのトレンドワードに選ばれているんだとか。昔から国会答弁には奇妙奇天烈な想像を絶する答弁が山ほどあるので驚きはしませんが2、3年前の「ご飯論法」と共に非常に面白く感じています。何も辞書を引くまでもなく募ると募集は同じ意味なので首相は多分別の意味を込めていったのだとは思いますが早くも今年の流行語大賞が出た感じです。「ご飯論法」もとても興味があります。小さい頃友達との会話で「今朝からご飯食べてないんだよ~パンは食べたけどね」などと他愛もない屁理屈をいって遊んでいたのを思い出します。国会の場ではもう少し意図的な言葉使いなのだと思いますのでよくよく注意しないといけませんね。何はともあれ話題に上るのはいいことなのかも?

1月29日 クリント最新作映画

先日クリントイーストウッド監督の「リチャード・ジュエル」を見てきました。この映画はアトランタ五輪で盛り上がっている時にある公園のベンチ下に仕掛けられた爆弾を発見したリチャードという警備員が、第一発見者ということで犯人と疑われそれがだんだん本気モードに成ってき始め英雄から犯罪者にされそうになる。彼は前職時代にふとした縁で知り合った弁護士に叱咤激励されながらそれまでひたすら警察官に憧れ彼らに盲従していたのがこの事件の潔白を証明するため自己主張をし始め無罪を勝ち取るという内容です。英雄から一転犯罪者にでっち上げられ警察から追及されマスコミから追い回され監視されるシーンは非常に怖いものがありました。実話に基づいているだけに迫力がありデブで気の弱かったリチャードが最後にはとても頼もしい男になっていきます。そしてワトソン弁護士のクールで熱血漢でちょっとはみ出した感じはまさにはまり役でした。

1月28日 新型肺炎感染拡大

中国武漢で発生した新型コロイナウイルスによる肺炎の拡大は当初の予想を大きく越えているようです。28日中国メディアの発表では日本時間午前10時現在累計患者数4,428人死者数106人とのこと。中国以外にも日本の4人を含め17か国に患者がでているとのこと。私も成田空港からの観光客が使う京成電鉄で通勤しているので今日から電車内ではマスクを着用しています。そして私がブツ飛んだのは武漢市1,100万人のうち既に500万人が市外に出ているとの報道です。今は市外への移動が制限されているのでそれ以前つまり当局者がまだその被害を詳らかにしていない時に脱出したと思われます。その民間情報の速さと素早い脱出、更に当局がどういう方法でその実態を知ったのかなど本当にびっくりすることばかりです。仮に東京の場合を考えると自分たちの判断だけで短い期間に人口の半分がいなくなるなど考えられません。これも中国の奥深さなんでしょうか。

1月27日 徳勝龍優勝

「やはらかに人分けゆくや勝角力:几董」昨日大相撲で幕尻の徳勝龍が優勝しました。大関貴景勝を寄り切った瞬間顔をくしゃくしゃにし泣き顔に。そして付け人や部屋関係者大勢が待ち受けている花道を引き上げるときにはもう手で顔を拭いこの句の様にやはらかではありませんでしたがこちらにもその感激が伝わってくるようなとてもいい光景でした。何しろ幕内の一番下、しかもいくら横綱が二人とも休場しているとはいえこのところ十両と幕内を上下している力士が優勝したのですから驚きです。インタビューでは笑顔で「自分なんかが優勝していいのでしょうか」と本人もびっくりのコメントでしたが学生時代の恩師が場所中に急逝しそのことを聞かれると辺りを憚らずの泣き顔になりました。圧倒的に強い横綱白鵬の力に陰りが見えてきており若い力士の台頭が待たれますが一方で引退した元横綱稀勢の里と同期という33歳の力士が優勝というのも相撲の面白さなのかもしれませんね。

1月24日 東松戸の野菜 

弊社から松戸南高校を通り東松戸駅に抜ける道はここ数年でどんどん宅地に代わっているのですがそれでもまだ畑が残っています。今日もあの辺りを通っていたら道端で軽トラの荷台に蕪をたくさん積んでいるのを見たと思ったら少し先では同じように大根を収穫していました。その先にはネギ畑が広がっています。どれも冬の野菜で私はみんな好きです。蕪はお漬物にまた葉、ニンジン、油揚げなどと炒めてもさらにひき肉で餡かけにしてもどれも箸が進むメニューです。大根は何でもありですね。少し薄く切って鍋の中に入れてもいけます。しっかり味の滲みたおでんはこの時期最高ですね。ネギはシンプルに醤油だけの味付けで油いためは結構うまいのです。これは父親が好きで料理などしない人が自分で食べる分を作っていました。すき焼きもどちらかというとネギの方が好きなくらいです。中からジューと汁が出てくるのをふわふわ言いながら食べるのはたまりませんね。

1月23日 八甲田山死の彷徨

今日は久しぶりに寒くなりました。ふと思い出したのですが1902年の1月23日200人近くの犠牲者が出た類を見ない悲惨な八甲田山雪中行軍遭難事件がまさに起きようとしていた日なんですね。新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を映画化した「八甲田山」では高倉健、緒形拳、北大路欣也、など錚錚たるスター達が出演し話題になりました。-20度という極寒の中で二つの連隊が雪中での訓練を行いその生と死に大きく異なった結果が出てしまったこの事件はビジネススクールの教材にもよく取り上げられています。つまり組織論、リーダーシップ、作戦の立て方、遂行方法、修羅場での対応などもうビジネススクールのケーススタディーとしてはこの上ない事象が詰まっているからなのですね。状況が良くわかっている人達からは無謀だと思われていたこの作戦の遂行とその結果を見るにつけ、わが国の歴史の中にも随所で同様なことが起きたことを忘れてはいけませんね。