2月20日 池江璃花子さん

昨日の夜たまたまニュース番組を見ていたら松岡修三さんが水泳選手池江璃花子にインタビューしていました。池江さんは東京オリンピックでの活躍が期待されていたのに昨年2月突然白血病と診断され12月に退院し今リハビリ中だとのこと。私も白血病があの夏目雅子を死に至らしめた非常に重篤な病気だということは知っています。泳ぐたびに記録を更新し正に心身共に充実しきっていた絶頂からどん底に突き落とされた彼女の心痛は如何ばかりか。拝見すると顔も少しほっそりとしているように見受けましたが2024年パリ五輪を目指すのだ、たとえここで夢がかなわなくても次もあるまだ28歳だとおっしゃっていました。私は特別なアスリートでもないしましてや彼女の様に五輪の重圧と闘うといった経験もありませんが彼女の忍耐力、前向きな姿勢に心打たれました。「ここにいることが奇跡だし、生きていることが奇跡というふうに気持ちが変わりました」と。

2月19日 米ボーイスカウト破産

昨日何かのニュースでアメリカボーイスカウト連盟が破産したというのを見ました。甚だ分かり辛い話だなと思ったのですが設立110年を迎えるこの伝統ある組織で一体何が起きているのか?性的虐待を巡る裁判で負け続け資産が減っておりさらに隊員も減ってきているのが要因だとか。それでもイマイチよくわからなないのですが私も幼少の頃下部組織の「カブスカウト」に入っていました。時にお兄さんたちのボーイスカウトと一緒にキャンプをしたり今思いだせばちょうどそのころ「世界ジャンボリー」という大会もありました。ロープの結び方を習ったのもこの場でした。ブルーのベレー帽、制服に黄色いネッカチーフはとてもかっこよかったのを覚えています。いまだにその時習ったジャンボリーの歌を覚えています「ジャンボリー ジャンボリ ジャンボリー」今でも時々この制服を見かけますがまさか日本への影響はないのでしょうね。

2月18日 後日談

昨日通勤途中に歩道を歩いていて自転車にぶつけられました。タイヤが当たったので圧力はありましたがさほど痛くはなかったのですが膝が悪いのでよろけ鉄柵につかまりました。振り返ると若い女性が何も言わず立っており暫らくして「大丈夫ですか」と聞きました。「大丈夫ですよ」と答えたものの変な人だな、「済みません」が先だろうと思い家でも話題になりました。お詫びも出来ない人なんだね」などと」いいながら。そして今朝同じような場所で後ろから「昨日は済みませんでした、何ともなかったでしょうか、今日からちゃんと車道を走るようにします」と昨日の女性が声を掛けてきました。「大丈夫ですよ」と答えると頭をぺこんと下げ走り去っていきました。とすると昨日は咄嗟のことで対応がうまくできなかったのだな、物事を知らないおバカチャンではなかったのだなと思いすこしホッとしました。

2月17日 春めき

「白梅のあと紅梅の深山あり:飯田龍太」甲州の山々は白梅が咲いた後紅梅が咲き遅い春ももうすぐという何とも春めいた句ですが、我が家の鹿児島紅梅はようやく満開になったと思ったら昨日の雨でかなり地面に花模様を作ってしまいました。折角なので雨だれがキラキラと輝き紅色の花と競い合っている写真を撮りました。帰宅途中家が見える角を曲がると何より先に花の香りが漂っています。我が家はすぐそこです。これから日一日と花びらが少なくなっていくのでしょうが、代わりにお向かいの白梅が五分咲きくらいになりました。家のとは違いここのは樹を刈り込んであり目線より少し上に花を付けるのでより近くでまた花も少し大きめなのでまた違った楽しみ方が出来ます。近所の庭には紅梅、白梅さらに枝垂れといろんな梅が植わっているのでしばらくは色香に刺激される毎日になります。そしていよいよ春めいてきたなという実感が出てきました。

2月14日 商談

今日馴染のお客さんと商談(といっても大部分は雑談なのだが)をしているときそこの社長が「求人が大変なんだよ、いくらでもお金を出せば人は来るかもしれないがそういう訳にもいかないのでね」などと話しているときに「ところで色んな人間が車の運転をしているのによく事故が起きないものだな」と言い出した。機械ではなく違う考えを持った人間が法律に則るとは言いながらいわば勝手に運転しているのによく今ぐらいの事故で収まっているよなということのようだ。確かにいわれてみればおっしゃる通り。ほぼ毎日車の運転をしている身からすれば「あッ危ない!」と思う場面は本当によくあります。なんであんな曲がり方をするのだろう、なんで狭い道をあんなに飛ばすのだろうと思うことはしょっちゅうです。でもそこら中に事故が起きているわけではありません。めちゃする人がいれば冷静に運転している人もいるから事故が防げているのですね。今更ながら。

2月13日 社長交代

社長交代といっても前職の話しです。今朝日経を開くと社長交代の記事が出ており間もなく友達からもメールが入りました。私は前職を辞めてもう10年過ぎておりOB会などにも好んで出席することはないので後輩から入ってくる人事情報にも全く興味はありません。ただ今回の社長交代を見ると驚きました。現社長は60歳、新社長は46歳と書いています。現社長も確か50歳での就任だったと記憶していますが新社長はそれよりもっと若くしての就任です。マーケットが全く読めない今経験や勘だけで会社を持続的に発展させていくことは出来ないでしょう。かつて大企業として世間から羨望の目で見られていた会社がつぶれ他国の資本が入り再建しているといったニュースも耳にします。昔の様に社長は行き着く先ではなくこれからどうしていくのか非常に困難な立ち位置になります。若くて有能で体も元気な人がトップになり益々繁栄して欲しくエールを送りたいと思います。

2月12日 ノムさん死去

ノムさんが昨日亡くなりました。私が一番印象に残っているのは且つての南海ホークス時代に打者としてホームラン王を何度も取り、戦後初の三冠王も取り後半は監督兼捕手兼4番打者として7年間もプレーした、そんな人が監督との確執からチームを追われた時「生涯一捕手」として野球を続けたことです。あれだけの素晴らしい成績を残した選手なら名誉ある、惜しまれての引退ということも出来たでしょうに45歳まで選手としてプレーし続けることを選びました。多分野球が大好きだったことが一番でしょうがもしかしたらそんな栄誉は俺には向いていないという彼独特の哲学だったのかもしれません。理論家とか理知的といった雰囲気が先行していますが内心は負けん気の強い、コンプレックスの塊、なにくそ魂そのものの性格だったのではないでしょうか。ただ監督になってからはそれを直接には出さず言葉を操っていたのだと思います。素晴らしい人生を送ったノムさんでした。

2月10日 暖炉

今朝通勤途中、毎日通る家で薪が燃える匂いがしました。この家は最近帰宅途中でも同じ匂いがするのですが時々うっすらと煙が立つのも見えます。今どき珍しい暖炉があるのですね。屋根には立派な煙突もあります。寒い時に暖炉というのはとてもロマンティックな雰囲気ですが私はこの匂いでふっと小さい頃母親の手伝いでかまどの番をしていたことを思い出しました。すっかり電気炊飯器に代わってしまいそんな時代があったことすら知らない人がほとんどでしょうが実家では私がごくごく小さい頃、この記憶すらも定かではない頃かまどでご飯を炊いていました。「はじめちょろちょろなかぱっぱ」というあれです。勿論そんな火加減が出来るわけもないので寒さ凌ぎなのか母親のそばに居たいだけだったのか、かまどのそばにいる私を思い浮かべるともう亡くなって13年になる母親の若かりし頃が眼前に出てきました。匂いは一瞬にして数十年前の出来事を蘇らせてくれます。

2月7日 仲間たちの動向

先日前職の仲間からゴルフのお誘いがメールでありました。みんな久しぶりなのでたちまちコメントが行きかったのですがとても面白い内容でした。長い間痛風で苦しんでいる彼は「本当に初心者のつもりでいてくれ」とはなから泣きを入れていますし大学まで野球をし阪神タイガースのテストを受けたと自慢の彼が「腰痛だが何とか当日までにはよくする」と書いています。彼はこれまで私が腰が痛いというと馬鹿にして「俺なんぞその気持ちが分からない」などと言っていたので「どうしたの?ぎっくり腰?」と聞くと「実は三年前から脊椎間狭窄」だというではありませんか。ならばご同輩なんです。今までそんなことは微塵も言わなかったのでびっくり。またもう一人は「先日膝に5ccヒアルロンサン」を注入してきたと書いています。かくいう私はれっきとした腰痛&膝痛持ち。さてさて当日はどうなることやら「みなさん完走だけはしようよ!」と妙な励ましあいでチョン。

2月6日 日経「私の履歴書」

日経新聞連載の「私の履歴書」は今月から十五代樂吉左衛門さんが担当しています。私はこのコラムは功成り遂げた方々の自慢話のようであまり好きではありません。実は私は劣等生だった、ダメ人間だが妻のおかげで今の自分がある、会社内で異端児だったなど本人は気持ちよく書いているのでしょうが嘘っぽく心を揺さぶるネタはそうそう見ません。ところが今回は450年続く樂家の家督を次代に引き継いだ樂直入氏がのっけから芸術論をぶちます。第一回目の掲載では「作家は世間の言葉を、既成の認識を超えねばならない。言語を超えること。それが作家の命、生きる意味だ」とおっしゃる。さらに樂家に生まれたことで初代長次郎、利休との出会いから伝統と独自性についてひとしきり述べた後「自分は何者か。芸術家でも職人でもない、私は「ちゃわんや」。言葉の垢に染まらない、この言葉が良い。と締め掲載が始まった。樂直入となった十五代の今に至るまでがとても楽しみです。