7月17日 営業担当者の雑記

まあそれにしてもアメリカはとんでもない人を大統領にしたものですね。今回のトランプ大統領の発言にそしてそれを大喝采する支持者たちが大勢いることに驚きました。報道によると祖先の出身地が中東やアフリカの野党・民主党の女性下院議員たちに「国に帰ったらどうか」と促したというのです。「この国を愛せないのであれば、国を去った方がよい!」これに対し民主党の当事者たちは記者会見で「トランプ氏は白人至上主義の主張をしている」と痛烈に非難したとあります。米国民でもない私がいうのは筋違いではありますがそもそもアメリカ合衆国は移民でできている国であり、もっと正確に言うと原住民であったアメリカインディアンをヨーロッパから素性の知れたあるいは知れない人達が入ってきて蹴散らしアフリカから黒人を勝手に連れてきて発展した国ですよね。トランプ自身は確かドイツ人移民の子孫。米に人種差別は未だにあるとは聞きますが大統領の発言とはとても思えません。

7月12日 営業担当者の雑記

先日フォルクスワーゲンの「ビートル」がついに生産終了と報道されていました。1930年代に初代が出たということなので90年近い歴史になるのでしょうか。私はもう40年くらい前復活版の「ニュービートル」に乗っていました。この車は非常に特徴的で、まず形がカブトムシ型でとてもユニークである、当時としても珍しい空冷でエンジン音が大きい、気密性が非常に高い、車体が非常に頑丈で衝撃に強い、塗装がとても強く少々乱暴に扱っても傷がつかないなどまたエアコンがなく小さい三角窓から風を入れるとか、小さい割に重く燃費が悪いだとか、車高が高いので風の影響を受けやすいなどの欠点はかえって誇らしく当時の若者には人気がありました。夜遅く帰宅するときは少し遠くからエンジンを止め惰性で走るとかきつい坂は機関車のようにあえぎながら登るといった車の機能としては相当マイナスだったのですがそんなことは一切関係なくとにかく「カッコヨカッタ」

7月11日 営業担当者の雑記

読売新聞朝刊に毎日掲載されている「四季」という小コラムがあります。俳人長谷川櫂氏が俳句や短歌を選び関連写真を添えそれをごく簡単に解説しているものです。今日のはちょっと良かったですよ。「花々は咲き尽さんと 花の寺:伊丹三樹彦」で櫂氏は「花には花の命がある。すべての花は命をまっとうしようと、花開き、散ってゆく。人も同じ、私もそうありたいという思いもあるだろう」と書く。この句は関西の花寺特に沙羅(ナツツバキ)で有名な應聖寺での作品で写真にもこれが載っています。私は更に、花はただただ子孫を残すために花を付け種子をばら撒きそこには何の意思もない、自分のやるべきことをひたすらやっているに過ぎない。それこそが大切なのであって人間も自分が歩み始めた人生を精一杯何の邪念もなく生き続け全うしたい、そんな思いを抱かせてくれた花 花の寺に思いを寄せた作品だろうとも思った。一つの俳句には様々な背景がありそうです。

7月10日 営業担当者の雑記

先日上野の西洋美術館に開催中の「松方コレクション展」を見に行きました。1900初頭当時欧州にいた松方幸次郎が買い集めた1万点近くの美術品が第二次大戦で散逸していたのを買い戻しあるいは寄贈などで相当数集まってきたのでその保管展示の為出来た「国立西洋美術館」。会場は物凄い数の作品が時代ごとに展示されており「ルノワール・モネ・ゴーガン・ゴッホ・ムンク・ロダン・マイヨール」などの作品が次々に出てきて圧倒されます。ゴッホの「アルルの寝室」、モネの「睡蓮」といった過去にも見ている作品もありましたがその中でもモネの「睡蓮 柳の反映」は特筆ものです。1916年にルーブル美術館で相当部分が破損されもはや芸術品ではないといわれた状態で発見され上野に帰ってきたのを出来える限りの情報を集めようやく2/3近くまで当時のタッチ、色を復元した作品です。素晴らしい復元技術はモネの代表作を想像させるところまでになっていました。

7月9日 営業担当者の雑記

先日どこだかで「ウニ」にキャベツを食べさせると非常に生育が良くなったのでこれからブランド品として売り出していきたいという記記事がありました。確か三浦か湘南だったような気がしますが。このウニ、エサになる海藻を食べつくすので漁師の間では実は嫌われ者らしいです。そこでミカンの皮や野菜などを与えてみたところ非常に立派に育ったのだとか。一石二鳥。ウニといえばずっと若いころ、女房がまだ娘さんだったころウニが好きでして困ったことに寿司屋では時価と書いてあります。一応鷹揚な格好をつけて「どうぞどうぞ」なんて言いながら懐勘定をしていたことを思い出します。値段が安くなればそんな心配もせずに食べられるということはウニを好む女性が彼女の男の懐を少し応援するということになのかな。

7月8日 営業担当者の雑記

昨日は七夕。15夜の前後は歌で詠まれることがありますが七夕のそれはあまりないように思います。確か芭蕉の句に「文月や六日も常の夜には似ず」があったと思ますが浅学の私はそれくらいしか思い浮かびませんが短歌では例のサラダ記念日に「「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日:俵万智」がありますね。1987年の作ですからもう30年以上前になるのですね。若者の日常をごく普通の言葉で気張らずに謳ったこの作品は当時一大旋風を巻き起こし以降普通の女子がさりげない毎日を自分の言葉で短歌を作るようになりました。それまでなんとなく敷居が高く古臭い言葉で重々しいしかめっ面をした雰囲気があった短歌をまさにこの時代のものにした大殊勲者、短歌ですね。電車などで聞くともない女子の会話に「うん 分かる 分かる」というのがありますがこれですね。中身もわざわざ七夕を外して前日を二人の記念日にするというのも斬新です。

7月5日 営業担当者の雑記

今日の新聞に、昨年9月にアパートの受水槽の中で泳ぎそれをネットに流した男二人が書類送検されたと報じられていました。まだ完成前の受水槽にここを点検にきた彼らが起こした事件でアパート管理を委託されていた会社が訴えたものです。現在は居住者がおり会社はこの受水槽を全部消毒したが住民の不安は収まらない様子。犯人はどちらも30歳前後の分別は付く年齢。飲料水にも使われる受水槽の水の中で泳ぎネットで拡散するという発想はほとんど理解できません。こんな動画を見て喜んだり面白がったりする人達がいるのでしょうか。人が困っているのを見て笑いのネタにしたりいじったりするのはテレビで見かけますがこれとも少し違い一歩間違えば病気を引き起こすかもしれないことを面白がっているというのですから呆れます。なんでもかんでも処罰すればいいというわけではありませんがやっていいことと悪いことの区別がつかない人達には致し方のない処置なんだと思います。

7月4日 営業担当者の雑記

今朝通勤途中の電車の中で居眠りをしながら本を見るともなく見ていたらちょっと気になる短歌がありました。「川を見てゐた手だろうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり:澤村斉美」帰りの電車なのか流れる窓外の景色を眺めながら何事か物思いにふけっているのかあるいは思い出にでも浸っているのか自分に入り込んでいます。こういう人にはぼーと座っている私などは想像を逞しくするので楽しいのですが最近のドア近辺には「門番」とかいう人がいて中がどんなに空いていても座らずひたすらスマホに夢中になっています。電車が到着してもその場を動こうとはせず降りる客、乗る客がいても全く無関心。そしてたまたま体に触れたりするとものすごい形相でにらみつけます。同じように何事かに入り込んでいる様ではありますが外を眺め周囲に気が行ってないのとは随分違います。まあ座ろうと座ろまいと本人の勝手ではありますが少しだけ周囲にも気を止めてほしいものです。

7月3日 営業担当者の雑記

日経夕刊に「消える地方紙と報道砂漠」というタイトルの記事が出ています。ある米大学の調査によると日刊紙のない郡の数は全米3100強のうち2000を超えるとのこと。アメリカでは全国紙より地方紙のほうが好まれており一番発行部数が多い「ウォール・ストリート・ジャーナル」でも210万部程で日本の全国紙に比べると非常に少ないのだが、最近インターネットの台頭で無料の情報に読者と広告収入を奪われ地方紙の廃刊あるいは編集体制の縮小が続いているというのです。買収ファンドの投資もあったが彼等も手を引き始め「地方紙はもうおしまいだ」と著名投資家W・バフェット氏」も匙を投げたと報じられている。地域に根差した民主主義を正しく機能させるために不可欠なローカル紙をどう守っていくのかクラウドファンディングなどで初期投資を賄い、長期的には住民からの寄付金で運営していくなどの試みもあるが取り組みはまだ始まったばかりとのこと。

7月2日 営業担当者の雑記

梅雨前線の影響で昨日から九州南部に激しい雨が降り土砂崩れや川の氾濫で被害者が出始めていると報じられています。久しぶりに「線状降水帯」という言葉も聞きました。次から次に同じ場所で積乱雲が発生し物凄い量の雨が降る現象ですね。これは危険です。もう40年近く前になりますが私が九州佐賀に赴任していた時に大雨に出会いました。7,80cmはあったと思いますが床下一杯に浸水しもう少しで畳にまで上がってくるというところで止まりました。ここは平屋だったので床上浸水になると後は押し入れに逃げるしかありません。古いタイプのトイレがあふれる寸前になりもう只管これ以上増水するなと祈るしかありませんでした。転勤で事情をよく知らず便利だと思い住んでいた繁華街に近い辺りは土地が低かったのです。翌日玉屋(当時佐賀で一番大きなデパート)がある場所はボートで行き来する状態になり市役所から消毒薬が配布され散布したのを思い出します。