6月27日 営業担当者の雑記

今日の日経夕刊の私のリーダー論に「日揮」の社長が出ていました。といっても私は「日揮」という会社も知らないしましてやその社長「石塚忠」も全く知りません。なんでも一度副社長までなり悠々自適の生活を始めたのに会社が19年ぶりと言う最終赤字に転落したので三顧の礼を持って迎えられたのだとか。世の中に偉い社長もそうでない社長も沢山いるのでざっと読んでいたのですが就任後に社長の運営方針を作ってほしいと頼まれたが毎年の其れを見ると美辞麗句を並べただけですぐ忘れ去られるほど形骸化されていた。大事なのは有言実行でやる項目を簡潔に書くことだと主張し紙1枚。そして言ったことは必ずやるし、やらせる。各事業部にも1枚にさせた。というところで気に入りました。さすが現場からの叩き上げでリスクを見抜く嗅覚を見につけてきたとおっしゃる氏。今年3月期には最終黒字に転換させたとのこと。やはり本物は強いとつくづく思いました。

 

6月27日 営業担当者の雑記

毎日車に乗っているといろんな事に出会います。昨日・今日と立て続けに危ない光景を見ました。昨日は2車線づつの交差点でのこと、青信号で右折し始めた小型車に右から勢いよく自転車が飛び出してきてその車と接触しました。自転車に乗っていた60台の男性は交差点の真ん中で自転車を止め接触した車の方を見ています。車の運転手はすぐ車を脇に止め自転車の方に駆け寄って行きました。事故は大したことはなかったのでその場を離れたのですがこの自転車に乗っていた人には呆れます。信号無視で突っ込んで来ておきながらまるで接触した車が悪いかのように睨みつけていました。こんな自転車と事故を起こすと多分保険にも入っていないだろうし全く悪くないのに点数を引かれるかも。本当に災難です。今日のは踏切でチンチン鳴りだしたのに平然と中に入って行きむこうの遮断機が下りてしまい往生していた70代後半位の女性。何をそんなに急いでいるのだか。

6月26日 営業担当者の雑記

1968年6月26日小笠原諸島が米軍から返還されました。今から50年ほど前。この島は一度も大陸と繋がったことがないので固有種が豊富で東洋のガラパゴスと呼ばれているそうです。私は一度も行ったことがないのですが数日前この島の習慣を読みハッとしました。それは島に滞在した人たちが帰る時のことです。週一往復する小笠原丸に乗り船が岸壁を離れると漁船数隻が後を追い海に飛び込むというのです。実は若い頃石垣島、竹富島などに時々行っていたのですがそこでも同じような光景が見られました。当時ヒッピーと称される人たちが小笠原から沖縄の八重山諸島に沢山流れ込んでいましたのでもしや小笠原の習慣を持ち込んだのではないかと思ったのです。船で追いかけてきて海に飛び込み「また帰ってこいよ」と叫ぶこのスタイルはとても感激します。きれいな海とこの別れは今でも鮮明に心に残っています。

6月25日 営業担当者の雑記

今日は非常に暑かった。そんな中での力仕事で汗びっしょりになりました。いろんな人たちの応援を貰いながら、20cm四方位の箱を1000ケース保管場所からトラックに積み込む作業です。最初はマイペースでと思っていたのですが人数が増えてくると流れ作業になり休めなくなりました。自分の為に集まって頂いた人達なので勝手なこともできず結局必死で作業することになりました。それでも数時間かかだろうなと思っていたのがほぼ1時間で終わりました。作業用のシャツを着ていましたがこれがびしょびしょになり、腰痛持ちなので出来るだけ不自然な態勢は取らないようにしながらの作業でしたが何とか今のところ無事です。明日また荷物運びがありますので今日はしっかりケアをして明日に備えたいと思います。応援頂いた皆様ありがとうございました。

6月22日 営業担当者の雑記

先日夕刊にあるサプリメントの広告に64歳とかいう女性がぴちっとした服を着て悠然と立ってった姿がありました。とてもそんな年には見えません。足は細くお尻は張り腰はくびれています。顔は細かいところまでは見えませんが多分シワなどなかったように見えました。それを我が妻がいつも座っているテーブルの上に置いておきました。最初は無視したのか気が付かなかったのか無反応だったので、「随分若いよね」と声を掛けました。すると「ほんとにね、でもこの人達お手入れにお金を沢山使っているのよね」と返ってきました。あたかもお金を使うと誰でも60歳が40歳台に見えるとでもいうような口ぶりです。それ以上話を発展させると物が飛んできそうなので止めましたが罪作りな広告があったものです。だれでも「こうはならないよね」とわかっていても「もしかしたら私だって」という心理をついたいやらしい広告です。

6月21日 営業担当者の雑記

今日の日経に京都大学総長山極寿一氏の私のリーダー論の下が出ています。上でゴリラは勝つことと負けないことは同義ではない人間は仲間とうまくやることで今に至っていると述べていましたが今回リーダーには「直観力を磨き、人を感動させる力が必須」といいます。直観力は頭ではなく身体で学べと。即ち自然界では大きな失敗をしたら死んでしまうから「失敗しても命を落とさなければいい」という心構えが重要で正解に近づくことばかりを考えずにもっと直観力を使っていろんなアプローチをすることが肝要という。そしてリーダーは新しい物に立ち向かい挑戦していかなければいけないがその時に必要なのは自分の身体によって蓄えられた知識でありそれは人に感動を与えるものでなくてはならない。そうでなければ人は付いてこない。感動を与えるのに必要なのは意外性でありそれがなんであるかを瞬時に見抜き行動出来るかどうかは「直観力」にかかっているという。

 

6月20日 営業担当者の雑記

昨晩は見てしまいましたね。サッカーW杯コロンビア戦。Jリーグも、時々あるヨーロッパの試合などもあまり見ることはないのですが昨晩は見てしまいました。今回はNHKの独占だったようですが前触れが長かったので始まるころを見計らってチャンネルオン。何と開始3分で敵のゴール前ハンドの反則で香川がPK。成功。そして反則選手は一発退場。残り時間は10人。さすがにサッカー強国といわれている(らしい)コロンビアも中々積極的にはなれず日本のペースで試合が進みました。後半フリーキックで同点にされましたが途中出場の本田選手のCKから大迫のヘッドでゴール。そのまま押切り2対1で大番狂わせの勝利。まあ女房と「すげーすげー」の連発。前回のリベンジということらしいのですがそれを知らない私たちはただ「勝った勝った」と大喜びしました。

6月19日 営業担当者の雑記

日経夕刊に「贈を語る五人の会」という広告が出ていました。五人とは源吉兆庵の社長、紫野和久傳会長、せたがや文化財団理事長、サントリービール社長、山本海苔店社長の皆様。ぼちぼちお中元の季節ということでその宣伝なんですがいずれもお菓子、和食、海苔と日本の伝統的な商品を扱っている会社の代表者ばかりです。といっても丹後・峰山の御持ちかえり店とのことですが私は知りませんでした。私の家でも両親が亡くなってからは妻の父親、と兄弟に「元気ですか」便りの代わりに結婚以来続けていますが年が経つにつれその中身も随分変わってきました。兄弟の子供達が小さい頃はハム、ソーセージの詰め合わせだったのが最近は少ししゃれた洋菓子になりましたし義父は一人暮らしなのでいつも悩むのですが即席の味噌汁とか漬物などを送っています。本文にあるようなしゃれた言葉も小道具もつけませんが「こころ」は伝わっているように思います。

 

6月18日 営業担当者の雑記

昨日夕方埼玉にいたら「ドーン」と音がしてぐらっときたので驚きました。群馬の内陸が震源地で震度5弱だったようですが今朝8時前また大阪で震度6弱の地震があったと報じられています。私はまだ詳細を知らないのですが忘れもしません1995年1月17日早朝阪神淡路大震災があり高速道路は倒れ阪急伊丹駅駅舎が倒壊し当時勤めていた会社の本社ビルが潰れ長田区でとんでもない火災が起きました。後日在阪の友人からその程度の激しさを聞きましたがそれはそれは大変だったようです。今回はその時とは少し違う場所のようですが既に死者も出ているようです。大都会で大きな地震があると本当に大変な被害が出てしまいます。帰ってから友達にも連絡しますが何とか大きな被害が出ていない事を祈ります。

6月15日 営業担当者の雑記

梅雨さむ。しばらく夏気温が続いていたので今日はとても寒く感じます。長袖に夏物の上着を着て営業に出ていました。ところでこの「梅雨さむ」を詠んだ句に「梅雨寒や句屏風をたて香をたき:武原はん女」というのがありました。いつもながらの独善ですがいかにもしとやかな舞踊家が季節の変わり目を楽しんでいるかのようなとても粋な句です。ところでこの武原はんは上方舞の第一人者でとても品のいい一本筋の通った美人としか知らなかったのですが彼女14歳で芸者になりそれからは「青山二郎」の後妻になったり「灘万」の若女将をしていたこともあるのですね。青山二郎の縁から小林秀雄、中原中也、宇野千代などとも交流があり後年は高浜虚子に師事していたなど「しっとり」より「波乱万丈」がぴったりの女性なんですね。とすると先ほどの句は人生の狭間の一瞬、過ごし日々をしばし振り返っているのではないかと思ったのですが見当違い?