10月11日 営業担当者の雑記

今日は天気予報が外れ。昨日と同じように晴天で気温も28,9度まで上がるとのことだったが終日曇りで気温も低め。当たり外れはいいのですが今日のようにどんよりとした天気の夕暮れは何となく物悲しい景色です。つるべ落としに暮れて行く様を見ていると昔ばあさまが「秋はさみしいね」といってたのを思い出します。晴天だと色がくっきりしているのですがこんな天気だと辺りは墨色のようです。「おしなべて物をおもはぬ人にさえ心をつくる秋のはつかぜ:西行」そんなに沈み込む事もないのですが新古今の人達はこのようなたたずまいが好きだったのでしょうか。時代に依ってその時々を表わす色も違うようです。

10月10日 営業担当者の雑記

1964年の10月10日快晴の空の下東京オリンピックの開会式がありました。もう53年が経ったのですね。国中が沸き上がり突貫工事で東京の景色が変わり地下鉄が整備されこの日を迎えたのですね。この5年前現在の天皇陛下の結婚式がありこれを見る為に多くの家にテレビが設置されたので東京オリンピックのイベントはご成婚儀式に続いてのメディア時代を象徴するものになりました。亀倉雄策氏のシンプルだが力強いポスターが久しぶりに国を一つにした感がありました。そして聖火最終ランナー坂井義則選手が競技場に入って来聖火台の階段を登り点灯。興奮は一気に頂点に達しました。この聖火ランナーは私の故郷でも知り合いが走る等全国から国立競技場を目指したのですがこれも盛り上げの一つでした。第二次世界大戦での敗戦からようやく立ち直り世界中に「日本」の存在を見せることが出きた一大行事だったのだと思います。

10月6日 営業担当者の雑記

プロ野球はソフトバンクスと広島がそれぞれ優勝しこれからクライマックスシリーズが始まるようです。他人事みたいに言っていますが最近本当にプロ野球に興味が無くなってしまいました。そんな中巨人軍の片岡選手が引退するという記事が出ていました。実は片岡選手は私の子供達と同じ学区に住んでおり小学校の少年野球では二男と同じチームに所属し彼がピッチャー、二男がキャッチャーをしていました。当時は特別玉が早いとかとんでもないホームランをうつ打つという選手ではなくとにかく何をやらせても上手いという印象でした。甲子園で活躍し社会人を経てプロになったのですがかつてのチーム仲間が集まり幕張のホテルで「頑張れよ会」をしたのを覚えています。あれから13,4年になるのでしょうか怪我続きで現役続行不可能と判断したようです。苦労してプロの世界に入った選手ですので第二の人生も野球に関ったことだといいがなと思っています。

10月5日 営業担当者の雑記

昨日は中秋の名月でした。といっても会社からの帰宅途中でも家からでも月は拝めませんでした。テレビでは雲間から覗いた月を映していましたがあんまりくっきりですと少々風情が減る気がします。また実は中秋の名月は満月ではなく2日後がまん丸になるのだとか。これは結構ややこしい話の様で旧暦と新暦の差からくるようです。確かに季語は旧暦がベースですので今の感覚で言うと大体一月ほどズレていると聞きます。因みに私が生まれた日の新旧暦を調べて見るとやはり大凡一月ズレていました。我が家では中秋といっても何かすることはありません。大概お団子位はあるのですが昨晩は珍しくそれもなく奥方の「今日は中秋の名月ですよ」というアナウンスだけでした。この時期になると毎晩月見をしていたという芭蕉翁も「月見する座に美しき顔もなし」などといっていますがやはり花も団子もあった方が宜しいようで。

10月4日 営業担当者の雑記

今日は上着着用。別にたいそうなことがあるわけではなくようやく涼しくなり特に朝晩はひんやりとし始めたからです。「秋風の吹きわたりけり人の顔:鬼貫」本格的な秋到来。とっくに虫の音は聞こえているし草花も衣替えをしていますがやはりすあきの風が吹くと人々の貌もなんだか違って見えます。段々体調も良くなり気温が下がってくると顔も引き締まり仕事人は後3カ月になった年末に向けて気合も入ろうというものです。

10月3日 営業担当者の雑記

昨晩とんでもないニュースがありました。ラスベガスカントリーのコンサートに来ていた聴衆に近くのホテルから銃を乱射し50人以上の死者が出たというものです。テレビで事件の模様を伝えていましたが「トット トット トット」と自動小銃らしき音です。映画で見る音は「バン」とか「プシューン」とかいったものですが本物の音ははじめて聞いたように思います。何とも不気味な音です。映画やテレビの銃声は効果音でしょうからいかにもそれらしく作ってはいますが本物は本当に恐ろしい音です。アメリカはその成り立ちからなのでしょうかこの種の事件が起きるたびに銃規制の声が上がりますがいつも消えてしまいます。ロビイストの力が強いだとか自分の身は自分で守る国がらなのだとかいいますが「狂人」も使う可能性があることを思えばいい加減帰規制すればいいのにと思います。よその国の話なのですが。

10月2日 営業担当者の雑記

朝晩は大分涼しくなってきましたが昼間はまだまだ結構暑く家を出る時上着を着ようかどうしようかと迷います。今日は上着なし。明日から昼間も涼しくなるというので上着着用予定。なんだかんだいってるうちに1週間前には富士山のそして数日前には北海道大雪山系での初冠雪も観測されたと言っていました。多分山の下の方は紅葉まっさかりで上の方に行くと段々白くなっていくのでしょう。今年は朝晩の温度差が大きいので紅葉がとてもきれいだとのこと。春は桜前線が津軽海峡を超えると季節の変わりを感じますが秋は反対に十和田、奥入瀬渓谷の紅葉が伝わってくるとあと一月ほどで北関東そして関東にもと錦秋の便りが入ってきます。神社仏閣、公園に植えてある紅葉は手入れも行き届いておりそれなりにきれいではありますがいかにも観光用な感じがしますので私はやはり山々、渓谷に拡がる景色のほうが好きです。今年はどこにおじゃましようかな。

9月29日 営業担当者の雑記

先日久しぶりに葛西臨界水族園に行ってきました。子供達が小さい頃以来ですからもう随分なご無沙汰です。2,3年前でしたか同園の「売り」回遊マグロが原因不明のまま次々に死んでいき最後は一匹になってしまったまではニュースで聞いていましたがそれ以降どうなったのか知りませんでした。今回行ってみると以前のように元気なマグロ達が泳ぎ回っており丁度餌をやる時間に遭遇したのですがそれは見事なものでした。下に落ちてしまう前に黒光りしている大きなマグロがヒューっと口に吸いこみます。次から次に餌場に集まってきてそれぞれが争うでもなく餌をさらっていきます。小さなマグロは鰭を必死で振りながら餌に食いつきます。因みに下に落ちてしまった餌は食べないそうです。マグロ死滅の原因はいくつかの要素が重なったもののようですが年齢のバランスをとることも大事なことのようで1歳、2歳、3歳と大きさの違うものが一緒に泳いでいました。

9月27日 営業担当者の雑記

日経夕刊に梯久美子さんが「あすへの話題」で永六輔さんの思い出を書いていました。彼女が駆け出しのフリーライターだったころ永さんに一度だけインタビューしたときのこと。今まで多くの質問相手が彼女ではなく同行した編集者に向かって話したのに彼は受け取った名刺を見て「珍しい姓だね。どこの出身?」と話しかけ質問にはすべて彼女の目を見て答えてくれた。数日後永さんから絵葉書が届き「よい記事を書いて下さいね」とあった。それを編集者に話すと「きっとみんなに出しているんだよ」といわれた。先程見ていた再放送で永さんが藍染の作務衣を着ているのを見て、インタビューした時も藍染めの上着を着ていた彼はたまたま紺色のシャツを着ていた彼女に「梯さんのそれも藍染」と聞いてくれたのを思い出した。たったそれだけのことだがあの声のあたたかさを忘れない。と結んでいる。永六輔をこれほど短い文章で表現できるのかと感心しました。亡くなってもう1年が過ぎました。

9月26日 営業担当者の雑記

先日俳人の黒田杏子さんが日経に「寂聴さんとの歳月」と題し一文を寄せていました。彼女に寂聴さんが95歳の誕生日に発行した一冊の句集「ひとり」が送られてきたというところから二人の交友が綴られています。私は寂聴さんが俳句を詠んでいることはまったく知りませんでしたが若いころからそして得度してからも彼女の本を時々読んでいました。物事に囚われない破天荒な生き方に共感しつつも幼子を置いて家を出たことについていわく言い難い違和感がありました。仏の道に入ったきっかけはよく知りませんが自分が腹を痛めて産んだ子を捨てて来たことを今どう思っているのだろうかと興味がありました。黒田さんが「ひとり」のなかから選んだ5句の中に「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」というのがありました。寂聴さんやはりずっと罪の意識に苛まれていたんだなと今までの違和感がなんだか氷解した気持ちになりました。