10月31日 営業担当者の雑記

先日日経朝刊「現代ことば考」という小欄に言語学者の井上史雄氏が西日本、方言の発達と題し記していました。私にはとても面白い内容でした。古語で使い分けていた助動詞が近世以降色んな動詞をつけて、伝わりやすく発達させ、細かい使いわけをしたがその変化・発達の仕方に東西差が生じたというのです。特に西日本では時間に関する表現がきめ細かくなる傾向があり例えば「花が散りよる」と「花が散っとる」は英語の進形と過完了形の違いに似ているとする。私達夫婦はどちらも福岡県出身で上記の表現は日常的に使っていますが関東の人には違和感があるのでしょうね。あるいは別な例「今現実にあっていること」を「ありよる」なども至極普通の用法です。主題とは少しそれた例でおもしろおかしくいわれているのが「取っとと?」「スースーす」などです。前者は「取っているの?」後者は「体が冷えてしまった」という意味です。私達の子供は全くの千葉っこですが友達からどこの出身かと聞かれるそうです。いつの間にか見に付いてしまったのですね。

10月27日 営業担当者の雑記

今朝朝刊を取りに行ったら水仙が十数本芽を出しているのに気が付きました。10月末。いつもこんな時期だったかな少し早い気がするのだが。それにしてもこの花毎年芽は出してくれるのですが花芽がなかなかついてくれません。今年はそれでも少し花を付けたので来年も期待しています。季節が巡ればそれに伴って自然界は移って行きます。毎年毎年。この移り変わりに付いては古来多くの文人が様々な言い方をしています。「年年歳歳花相似」の詩はどうも人間の限られた命、年を取っていくというどうにもならない節理を嘆いたもののようですが和歌にもこんなのがあります。「いのちある木草のあはれ季来れば追はるるごとくつぎて花もつ:大岡博氏」人間は自然界の移ろいに法則を超えた何かを感じ取ります。あるいは芽を付け開く花に自分を重ね合わせます。一木一草に精一杯の命を見ます。そして季節の流れに気が付くことに生きている証を見ることがあります。

10月27日 営業担当者の雑記

昨日東日本大震災で宮城県石巻市立大川小の生徒らが津波に巻きこまれ多大な被害者を出し被害者の父母らが学校側の責任を問うていた裁判で、学校側に注意義務違反があったことを認める判決があった。学校側は津波は予見できなかったと反論していたが判決は裏山に逃げることが出来たのに不適当な避難場所に向けて移動したのは過失があるという内容。市の広報車が高台への避難を呼びかけていたり児童、教員の中にも裏山に逃げようと進言した人もいたが退けられ70人を超す生徒10人の教職員が亡くなり助かったのは4人の生徒と一人の先生だけだった。防災行政無線が大津波警報の発令を伝えてから津波が襲来するまで40分程あったのにその間適切な指示がなされなかったこと。裏山まで走れば1、2分で着き津波から逃れらる高さにまで数分で行けたことなど遺族は悔やんでも悔やみきれないことだろう。切羽詰まった時にどこまで冷静な判断が出来るか難しい所もあるがやはり日頃からの訓練が大事だったと今更ながら感じます。

10月26日 営業担当者の雑記

今日営業で市川行徳の方に行く機会があったので、先日テレビでチョコレートがおいしいと評判だというケーキ屋さんが通り道にあるのを思い出し帰りに覗いてみました。中は4人掛けのテーブルが三つほどと持ち帰りのケーキが収まった陳列棚です。でショーウインドーを見るとチョコレートの上に「見本」と書いてあり、今注文すると11月1日以降お渡しできますと書いています。店員さんに「今日の分はないのですか?」と聞いたところ「先日のテレビ放映以降お客さんが増えちゃって生産が間に合わないのよごめんなさいね」とのこと。ネット社会といえどまだまだテレビの力は健在なのですね。ずっと以前テレビで取り上げられた商品がスーパーで品切れになると言った話がよくありしまいにはどんな商品が出るのか予め情報を取り仕入れを増やしたといったこともあったようですが。結局次いつこちら方面にこられるか分からないので注文は止めましたがなんだか余計に食べたくなりました。

10月25日 営業担当者の雑記

今日の日経夕刊「あすへの話題」に元警察庁長官漆間巌氏がおもしろい文章を載せていました。もう30年くらい前になりますか日本では加藤登紀子さんが歌って大ヒットした「百万本のバラの花」という曲についての話です。この歌は彼がモスクワに駐在していた時に現地で流行っておりロシア人の作詞作曲かと思っていたのだが、去年ラトビアを旅行した際この歌が実はソ連邦の共和国の一つであったラトビア出身の作詞家と作曲家が作った歌だったことを知った。さらに翻訳された歌詞のロマンティックさとは随分違いラトビア語の歌詞の中には「マーラ(聖母)は娘に生を与えたが、幸せはあげ忘れた」即ちロシアなど近隣諸国に支配された歴史を「幸せをあげ忘れた」と表現したソ連からの独立を願う歌であったことが分かったという。明治に沢山紹介された欧米の曲にも同じような話を聞きます。あの「蛍の光」本家英ではメジャーの曲なんだと聞いたことがあります。

10月24日 営業担当者の雑記

先日テレビをみていたら福岡県福津市の「宮地嶽神社」光の道のことが話題になっていました。本宮から海に向かって延びた道の先に夕日が沈み道が金色に染まるというものでした。年に2回2月、10月がその時期があり今年は10月18日ということで大勢の人たちが朝早くから集まり今や遅しと待ちわびたのですが当日は曇りの為この光景は見られなかったとのことでした。昨今は何やら「パワースポット」とかいって神がかりのものに興味を持つ人が多く賑わい始めたようです。確かにエジプトのピラミッドはいくつかが重なり夕日と一直線になるとか聞きます。もしかしたら1,600年前という創建時にそんなことを意識して建てられたのかもしれません。ところでこの光の道ずっとテレビコマーシャルに使われており子供達が光の道とか大声で叫びながら走って行く場面を覚えています。「嵐」のメンバーが出ていたように思いますがこのコマーシャルは宮地嶽神社のことだったのか、知らなかったなア。

10月21日 営業担当者の雑記

今日は久しぶりに都内に出て行ったのですが初めての場所だったので時間通りに目的地に着くのか少々不安でした。松戸で実施しているポスティングが昨今話題になっておりその説明会にいったのですが、参加者が多分嘗ての新聞販売店が経験したであろう「わが世の春」をあまり体験していないオーナーさんジュニアの人達が多く具体的な質問も沢山あり充実した内容になったと思います。どこの経営者も新聞読者数、新聞折込みのダブル減ということでどのようにしてこの業界で生き残っていくのか真剣に考えていることが伝わってきました。そうはいっても皆さん一国一城の主ばかり。どのようにこの話を具体化していくのかについては非常に難しいなという感想を持ちました。なにはともあれ日頃の営業活動とはまた違った雰囲気で刺激になった一日でした。

10月20日 営業担当者の雑記

夕刊に「平尾誠二氏死去」の報あり。

53歳。若すぎる。伏見工高、同志社大学、神戸製鋼と常にスターであった彼。

彼にボールを渡すと何故か穴が出来てしまい

彼が走り始めるともう誰にも止められないステップと

必ずゴールに飛びこんでくれる安心感

彼の現役時代はずっとずっとそのチームのファンでした

ラグビーにしては少し痩身かと思える体は全身鋼のバネ

大きな目、自慢のひげ、柔らかい京都弁

もうあこがれでした

 

 

 

10月19日 営業担当者の雑記

昨晩広島カープの黒田投手が引退会見をしていました。広島のエースとして大活躍しその後大リーグドジャース、ヤンキースでも79勝を挙げ去年広島に戻ってきた。当時大リーグからの多額のオファーを蹴って広島を最後の場所にしたいとの発言は「男気」として大いにマスコミを沸かせました。そして今年広島が25年ぶりの日本シリーズに進出するのを花道に引退宣言をしたようです。今年も10勝しまだまだ元気で投げられると思われているところでの引退はまた彼の美学なのでしょう。広島に戻ってきてからはいつもこれが最後の一球と思って全力で投げているとも。そして9回を投げ切れない体になって、ほかに示しがつかない歯がゆさがあったと肉体の衰えも口にした。マスコミを賑やかする選手は沢山いますがこれほど信念を貫き筋を通す選手はそうそういません。なんともカッコいい、ゾッコンのプロ野球選手です。

10月18日 営業担当者の雑記

先日プロ将棋の棋士が対局中にたびたび席を立ち挙動不審である、事情を聞いてもその内容が分からないと言う理由で日本将棋連盟かr出場停止処分を受けたと言う報道がありました。対極中にスマフォなどを使って将棋ソフトを利用していた可能性があるとのことです。私は駒の動かし方くらいしか知りませんが、近年AI(人工知能)がプロの高段者を破ったと言うニュースを聞いたことがあります。いくつかの可能性がある次の一手の進捗をすべて読み込み最適手を打つのだということです。囲碁よりはるかに駒の数が少なく過古の棋譜も残っている将棋では確かにコンピューターには可能性があるようには思えます。それにしても高段者のプロがコンピューターが考える最適手を自分の手として使うものなのでしょうか。いくら強くてもコンピューターの考える手をそのまま打つというのは長い時間をかけて技を磨いてきた将士にはそぐわない行動だと思うのですがはたして真相は?