6月15日 営業担当者の雑記

今日昼飯を食べに行ったらお店に小学校の生徒が沢山来ていました。今日は何の日?今日は千葉県民の日で小中学校は休みなんですね。何でも明治の初めに木更津県と印旛県が合併してできた千葉県の人口が500万人を突破したのを記念して30年ほど前に制定されたのだとか。房総三国の「上総国・下総国・安房国」が廃藩置県で離合集散を繰り返し木更津県と印旛県に集約され1873年6月15日に千葉県が誕生したとのことです。その後も茨城県、埼玉県との間で県境の変更があったようです。地図でみると房総半島全体が千葉県ですが南房総館山と醤油の街野田あるいは関宿が同じ県とはとても思えないほど離れています。特に野田のお隣は春日部で思い切り埼玉県に入りこんでいます。千葉県人になってから早や四半世紀。故郷意識が甚だ薄い私ですが、東北道・常磐道で北の方に観光した帰り中央環状線から葛西臨海公園の観覧車が見えてくると漸く我が家に着くんだなと思い始めてきました。

 

6月14日 営業担当者の雑記

12日にアメリカフロリダ州オーランドで起きた発砲事件は信じられません。一人の狂信的な男がナイトクラブで無差別に発砲し100人以上が死傷し中50人位なくなったというものです。アメリカは銃の国とは聞いていますがこの犯人の使った銃は米軍使用のものを改造した自動小銃で一回に30発の弾丸を詰められるのだとか。こんな性能の銃を極く普通の市民が簡単に買えるのですね。社会が物騒なので拳銃を持つ事が許されている、どこかの州ではカウボーイみたいに腰にぶら下げて歩くのも許されている、日本とは社会環境が違うしそうでもしないと怖くて町も歩けないのだと想像しますが、自動小銃となると話は違います。自動小銃は多くの人を殺す目的以外で使う事はまずないと思うのですが。それでも抑止力としてこんな危険な銃を持っていると襲われる危険性を減らすとでも言うのでしょうか?オバマ大統領は銃規制を進めようとしているようですが銃販売者のロビー活動が激しくてうまくいかないと聞きます。住んでいるのがアメリカでなくて本当によかった。

6月13日 営業担当者の雑記

昨日お蕎麦を食べに行った時の話です。いつになく混んでおり少し待たされましたが間もなく案内されました。我々が席に付き注文したすぐ後隣のテーブルに初老のご夫妻が席に付き注文されました。さらにそのすぐ後彼らの隣に4人の若いお客さんが席に付き注文されました。私達は順調にお蕎麦が来たのですがお隣さんには中々来ません。隣の旦那さんが店員さんに「まだこないの?永久にこないと困るので」と皮肉を交え催促しました。店員さんは厨房に確認したようで「すぐに来ます」と返事をしましたが一向に来る気配はありません。そのうちに後から注文した4人組の3人分が届きました。そして次は自分達の番だろうと思っていたお隣さんを通り越して残りの一つが届きました。「プッツン」音が聞こえました。出よう。お二人は注文したものを見ずに店を出て行きました。まもなく店員さんが注文品を誰もいない席に置いていこうとするので「もう帰られましたよ」と教えてあげました。店員さんはとても不思議そうな顔をしていました。

6月10日 営業担当者の雑記

昨日久しぶりに娘に会いました。待ち合わせて一緒に買い物に行ったのですが私達の前を歩く娘を見て「本当に光ちゃんのお尻に似ているわね」と妻がいいます。光ちゃんとは亡くなった私の実母で彼女が逝ってからは二人ともこう呼んでいます。二人並んでいると正に親子だなという人たちもいれば我が家の子供達は少しづつ誰かに似てくるっと一回りするのですが個々はかなり違います。私達のどちらかに特に似ているわけではありません。体格、性格、顔かたち、声、足の形、手足の長さ、色沢山の要素がある中、娘と母はお尻の形がそっくりなのです。でもこれは娘に大きな声では言えません。何故って実は大きく少し垂れ気味なのです。私はケツ自慢だし妻も昔は小尻でした。どう見てもも私達の遺伝子ではないのです。母が亡くなって早9年毎年命日は信仰心のない私も蝋燭を灯しお線香を上げますが平生に母を思い出すこともめっきり減ってきた中、娘のお尻は久しぶりに母親を思い出させてくれました。

6月8日 営業担当者の雑記

朝刊にイスラエルに「スギハラ通り」の記念式典が行われたとありました。いうまでもなく第二次大戦中にナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人を救った日本の外交官「杉原千畝」の名前にちなんで命名されたものです。戦後70年を過ぎ当時の関係者も数少なくなった今このような催しがあることに驚きます。ビザの発給を受けたと言うニナ・アドモニさん83歳も当時は12,3歳くらいでしょうか。きっと親から千畝氏から受けた恩について何回も聞かされそしてこの年まで生きて来られたのも70年前あの時杉原さんが取った勇気ある行動のお蔭だと感謝しているのでしょう。決して遠い昔のことではなく今に関ることなのですね。我々はともすれば全てを水に流すことで受けた恩まで忘れてしまいがちですがこうしてよその国の人たちがいつまでも杉原氏の功績を讃えているのは素晴らしくそして我々も見習わなければならないことだと思います。

6月7日 営業担当者の雑記

昨日6月5日に遡って関東甲信越地方の梅雨入りが宣言されました。雨の日が多くじめじめして体調管理が難しくちょっと油断していると食べ物に黴が生える厄介な季節がやってきました。梅雨とは揚子江沿岸、日本列島の6月上旬から7月上旬にかけて生じる雨季の事を指し梅の実が黄色く熟すことからその名がついたようです。そして旧暦の5月即ち新暦の今時分に降る雨の事を五月雨といいます。この鬱陶しい季節が意外に日本の風土を作っているのかもしれないなどと思ったりします。例えば奥の細道にも「五月雨を集めて早し最上川」あるいは「五月雨の降りのこしてや光堂」といった名句があります。芭蕉はこの季節に中尊寺金堂を見た時の印象を、濡れた青葉の中にあたかもそこだけは雨も降らず浮き上り燦然と輝いている様に見えたと表現しました。実際に雨が降ったとか金堂の周りだけ降らなかったとかそんなことではなく芭蕉の気持ちとしてはそういう状況設定である必要があったのでしょう。正に彼独特の詩的感覚の句だと思います。

6月6日 営業担当者の雑記

昨日佐倉先﨑で催されたラベンダー祭と佐倉城址であったあやめ祭りを楽しんできました。ラベンダー祭の方は個人の農家が主催されているようですがそれにしても人がとても少なかった。花は今真っ盛りで合成の芳香剤とは違うはるかに優しい何とも言えない香りが辺りに漂っています。ミチバチや蝶が飛びまわり蜜を吸っています。そんな中でのアイスクリームは格別においしかった。城址公園の方は売店が立ち並び着物を着た女性たちがいたり遠くから琴の音が聞こえてきたり。菖蒲は満開で八ツ橋を巡ると色鮮やかな紺、黄色、薄い青、白様々な花が今を盛りに咲いています。周りにはアジサイも大分咲いておりいかにも初夏。ところで城址公園においてあったパンフレットを見るとしょうぶ祭、朝顔展、ひまわり、花火などの紹介はされているのですがラベンダー祭はどこにも見当たりません。佐倉市あるいはその関係先の主催ではないからなのか多分関東では珍しいラベンダー畑をもう少し宣伝すればいいのにと思いました。

 

6月3日 営業担当者の雑記

朝刊に北海道で行方不明になっていた小学2年の男の子が6日ぶりに発見されたと言うニュースが出ています。このところ夜も暖かい関東ならいざ知らず北海道で食べ物もなく薄着で熊もいると言う山の中を一人で、、、。もう駄目なのでは、あるいはもっと悪いことまで想像してしまいましたが何より無事に発見されて本当に良かった。自衛隊の演習地の中で鍵が開いているところがあったのか部屋の中で過ごしていたようです。水だけで生き延びてきたのですね。たまたま雨の為に避難してきた自衛隊員に発見されたようですがこれも偶然。小学2年の子が何日間食事をしないで生き延びられるのか知りませんが飢え、孤独感などとても大きなストレスが掛かっていたでしょうに。なぜこうなったのかについてはよく知りませんが、何より無事発見出来てよかった。これから彼の心に残るかもしれない「何か」をしっかりとほぐしてまた今までと同じように家族で暮らせるようになってほしいものです。

6月1日 営業担当者の雑記

「ゆひ目解ばみな咲て居り萩の花:田上菊舎」昨日こんな句を見つけました。作者は天明・寛政の女性俳人のようですが何故気になったかというと、実は我が家の萩がまさにこの状態なのです。萩は毎年切っても切っても新しい芽を出ししかも伸び方がとても速くあっという間に1mほどになりました。枝をどんどん伸ばし横を通ることも出来ないので支柱をたて紐で結っているのですが、更に上に伸びるので一度紐を解いたところこの句のような状態が現れました。万葉の昔から好まれ秋の七草の一つでもあることから、勝手に萩は秋の野に赤紫色の小さな花を一杯付ける情緒のある花だと思い植えたのですがこれが間違いです。物の本に依ると荒れ地には他に先駆けてこの花が咲き英語でもBUSH CLOVERというようです。何しろ強い植物です。まあ腕白な子が時々見せる笑顔とでも思って精々大事にして行きましょう。