5月18日 営業担当者の雑記

舛添都知事が政治資金の一部を私的な支出に充てていたことが問題がなっています。当初は海外視察でのファーストクラス使用、一流ホテル代あるいは湯河原の別荘に毎週仕事を持って帰るので公用車を使っていたことなどが追求されていましたが派手かなとは思いつつも「知事ともなればどこでもが仕事場」いい仕事ををするのなら程度に思っていました。ですがまあ次から次に出てきました。家族がレストランン、寿司屋で飲食した費用、家族旅行のホテル代などなどケチというかセコイというかとてもいい仕事をする為とは思えない支出が沢山出てきました。そしてそれらの説明がまたよくわからないものです。まさか都民の為には滅私奉公ですべてを捧げろなどとは申しませんがやはり程度問題ですよね。地位が高いとか低いとかとは関係なくこういった問題はその人の人格を疑われます。

5月17日 営業担当者の雑記

326年前の昨日芭蕉が「奥の細道」の旅に出発しました。俳人長谷川櫂は「イギリスはシェークスピアの国といわれる。シェークスピアの戯曲や詩にこそイギリスとイギリス人の美徳や悪徳がいちばんよく表れているという意味である。それにならえば、日本は芭蕉の国というしかないのではないか。同じく芭蕉の俳句や「奥の細道」にこそ日本と日本人の美質も欠陥もよくあらわれているからである。」という。その芭蕉が「古池や」で開眼し蕉風へと大きく変わる契機となったこの旅。一見江戸から奥州、山形を経て大垣に終わる旅行記のようであるが実は必ずしも事実ばかりではなくむしろ芭蕉が意図的に作った架空(虚)の話が随分とあるようです。つまり彼の俳句の為にはこの風景、この話がなければならないといった様にです。長谷川櫂の「芭蕉の風雅:あるいは虚と実について」はその辺りの深い解説が沢山出てきます。広く知れ渡っている句の裏側あるいは秘められた意味が分かると芭蕉の苦悩、凄さが一層見えてきます。

5月13日 営業担当者の雑記

ここ二、三日は本当にいい天気で気温もぐんぐん上昇しています。営業で外回りをするときはクーラを入れています。外は新緑、花々が開きいかにも五月です。「若葉して御目の雫拭はばや」芭蕉が奈良の唐招提寺で鑑真の座像を拝謁した時の句です。私はこの季節の奈良は見ていませんが山々に囲まれ由緒ある寺院が点在している奈良を散歩するのは本当に気持ちのいいことでしょう。この句「若葉して」は仰ぎ見た鑑真の瞳が涙で濡れているように見えたので柔らかい若葉でやさしく拭いて差し上げましょうと読みたい、そうすることで芭蕉の鑑真に対する尊敬の念と同時にこの時期のやわらかな季節感が感じられると私の好きな大岡信氏はいいます。確かに若葉が開いてあるいは若葉の季節にと解釈すると鑑真との結びつきが弱くまた古典に精通していた芭蕉の鑑真に対する思いも伝わってきません。同じ句を鑑賞するのにも感性の優れた人はこんなにも深く読むことが出来るのですね。

5月12日 営業担当者の雑記

車を運転しているとときどきドキッとすることがあります。今日も両側が住宅で立て込み見通しの悪い狭い道と太い道がT字路で交差しているところで、私は狭い道の方で左折しようと待っていました。信号が変わったので発信しましたら太い道の右の方から自転車に乗ったおじさんがゆうゆうと赤信号を渡って行きました。この道ではよくこんなことがあるので急発進はしないようにしていますがそれでも驚きます。このところ自転車に乗った人の乱暴な運転が気になります。先日も混んだ道で赤ちゃんをおぶって横断歩道外を無理に渡ろううとしたおかあさんの自転車と車がぶつかり赤ちゃんが転がり落ち頭を打って亡くなった事件がありました。その場で車の運転手は逮捕されたと報道されていました。詳しい事情を知らないで言うのもなんですが車の運転手に落ち度はあったのでしょうか?歩く速さよりは格段に早くそれよりはるかにコントロールが難しい自転車で乱暴な運転をされるといつ同じような目に遭うかと他人事ではありません。

5月11日 営業担当者の雑記

昨晩日米両政府はオバマ大統領が主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が閉幕する27日に米国の現職大統領として初めて被爆地、広島を訪れると発表した。このニュースは人に依り歴史的快挙だあるいは謝らせろなどいろんな感想があるのでしょうが私は広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井直さんのコメントがすっと心に入ります。「生きているうちに来ることはないと思っていた。謝罪はいらない。人類の幸せのために何がいいか、広島で示してほしい。憎しみを超え、理性の力で一緒に手をつないでいきたい」私のように被爆者でもない外野席がこのように言うとただのおめでたい発言ということになるのだろうが実際に被爆しそのためいろんな場面で差別を受け続けた人の言葉だけに重みがあります。「日本を強調してはならん。格を上げて人類の話にせんと」ともいう。更にオバマ氏に望むのは原爆慰霊碑への献花と演説で核兵器の非人道性に触れることだ。あそこには「過ちは繰り返しませぬ」という言葉がぴしゃりと書いてある、と。

5月10日 営業担当者の雑記

国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)がタックスヘイブン(租税回避地)の利用実態を示した「パナマ文書」に関し、約21万社のペーパーカンパニーに関する情報を公開したとのことです。難しいカタカナが出てくるのですが要は個人や法人が自国での税金徴収を免れるあるいは節約する為に圧倒的な優遇措置がある国に実態のない書類だけの会社などを作ることのようです。大昔からパナマに限らずケイマン諸島、モナコなどこのタックスヘイブンで有名な国はたくさんありました。しかし今まではその実態がまったくわからず勿論会社名、個人名なども秘密のベールにつつまれていたので想像の域をでなかったのですが今回パナマの法律事務所の関係者がその資料を流出させ南ドイツの新聞記者に渡し「ICIJ」が分析していたものが公表されたというものだとか。法律に違反していなければ有効な節税策を取るのは当たり前、なんで騒ぐのといった意見もあるようですが銀行にも預金がない私としてはねたみごころで一杯です。

5月9日 営業担当者の雑記

日曜日の日経文化欄に「熊本の俳人漱石」という表題で俳人 坪内稔典氏が寄稿されていました。内容は第五高等学校に赴任する為熊本に来た漱石が作った900余りの俳句を鑑賞しているものです。冒頭に「駄馬つづく阿蘇街道の若葉かな」といかにも初夏の風景を表わした句から始まり俳句の鑑賞の仕方などにも言及しており中々面白いものです。その中で「津嘯去って後すさまじや五月雨」というのが出てきます。1896年6月三陸大地震が発生し三十メートル近い大津波が沿岸を襲った時のことを漱石が読んだ句です。二万人を超す死者が出たとのことで漱石もただただ「すさまじ」としか言えないほどの驚愕だったのでしょう。坪内氏はその大地震から120年、かつて漱石がいた熊本にまた大地震が起きてしまったと書きます。天災は予測していない頃に突然やってきて自然をそしてその中に暮らしている人たちを徹底的に痛めつけます。「秋の川真白な石を拾ひけり」と詠んだ川は「草山に馬放しけり秋の空」と吟じた山々は無残な姿になってしまったのでしょうか。

5月6日 営業担当者の雑記

GWは一段落なのでしょうか。ところで報道によると熊本の地震被害地で「空き巣」が多発しているとのこと。火事場泥棒というのでしょうか人の不幸に付け込む不埒千万の輩。何回も続く余震の為家には戻れず避難している人たちは命からがら逃げており戸締りも出来ずあるいは大事なものも取り出せないといった状況下、車で押し掛け玄関から侵入したり工具で窓を割ったりして押し入る手口のようですが何とも情けない。警察の力だけではこの非常時間に合わないので昼間は片づけなどでくたくたになった地元の消防団員等が夜パトロールしながら不審者を捜しているようです。一方で被害者の皆さんが助け合いながら折れそうになる心に耐えているあるいは全国からボランティアの人たちが加勢に行っているそんな中で「この機会を狙って大金を手に入れようと思い留守宅を狙った」と供述したという犯人。文字通り「人で無し」ですね。

5月2日営業担当者の雑記

私はカレンダー通りの出勤で本日も仕事をしていますが、やはり5月になりますと外の景色が随分と違ってきました。松戸常盤平の通称「けやき通り」は新京成常盤平駅前から子和清水まで約1kmに亘って街路樹のけやきが植わっています。けやきは天に向かって思い切り伸びていき7,8m位から枝を張り道いっぱいに広がっています。車で走ると緑に囲まれているように感じこの時期はとても壮快です。けやきの葉の緑はそれほど深い色ではなく「鮮緑」なのでしょうか陽の光に透けるともう少し明るくなります。古来日本ではある種の色がとても細かく分類されており一言で「緑」とはとても呼べません。平安時代の色の表現は今でも残っており「裏葉色」「若草色」「黄浅色」など情緒的な表現をしています。現代の技術だとオリジナルの色に相当近い色が出せるようですがそれでも例えば刷られた浮世絵あるいは美術館で見る光琳の「燕子花図屏風」の鮮やかさは精巧な印刷でも出せていません。色はその国の風土そのものなんですね。