4月14日 営業担当者の雑記

今日は商談一件があっさり終わったので溜まっているデータの整理をしているのですがふと会社の門をみるとナツツバキの葉がとてもきれいになっていましたので見に行きました。しばらく前はくるくるまるまっており色はまるで違いますがく紡錘状の毛虫のようなっていましたが、これが開き今までは隠れていたう少しつるっとしたやや濃い緑色の葉が表になっています。全体的にとても優しい感じの木でこれから葉が大きくなり6月には直径5~6cmほどでしょうか5枚の縁が少しギザギザになった柔らかい純白の花が咲きその中の真黄のおしべが鮮やかなコントラストになります。私がこの会社に入った時から植えてありますがその間少しづつ背丈も伸び毎年着実に花を開きます。「シャラ」の異名もありますが地方に依っては「サルスベリ」とも呼ぶようです。成長すると「本家のサルスベリ」のように幹がめくれてくることからそう呼んでいるようです。花は朝開き夕方には落花するのですが咲いている時の状態のままでボタッと落ちているのも風情があります。

4月13日 営業担当者の雑記

拙宅の海棠が満開になりました。この花は一か所から5,6cmの細長い茎に真ピンクの八重の花びらがついている何とも派手な花です。もう7,8年になるでしょうか亡くなった母親が大好きだったので植えたのですが現在樹高さ2m足らずで枝という枝から沢山の花が垂れ下がっています。時々どうして母親はこの花が気にいっていたのかなと考えたりしますが彼女とこの花が結び付くのは生家の近所にあった鎮守さんの門を入った所にこの樹が植えてあり私が小さい頃時々お参りに行っていた記憶があるくらいです。母方の祖母は戦争未亡人でお茶とお花を教えながら5人の子供を育てたとても気位の高い人でした。その祖母にお花を習った母親が海棠を活けていた記憶はありません。華道のことは全くの門外漢ですがあんなに目立つ花は活けにくいのではなかろうかと思います。桜と比べると花の色はとても濃く、八重桜程のうざったさはありませんがそれでもかなり密集して咲いています。彼女が亡くなったのは2月ですがこの花が咲くと母親を思い出します。

4月12日 営業担当者の雑記

今日4月12日は私の好きな歌人のひとり窪田空穂の命日です。彼の作品は派手でも劇的でもありませんがその飾らない、自分の心に忠実な歌はじんわりと浸みてきます。若い時には次々に子供をそして最愛の妻をも病気で亡くしてしまいます。その時の歌は電車の中では読めないものばかりです。「今ははや現なき子が顔まもり涙ながして何いふや妻」そしてその妻をも亡くした時は「人呼ぶと妻が名呼べり幾度をかかる過ちするらむ我れは」と慟哭しています。さらにさらに関東大震災の時の一首「死ねる子を箱にをさめて親の名をねんごろに書きて路に棄ててあり」です。その情景は手に取るように視えます。無念この上ない親のせめてもの供養、心の葛藤までが分かります。多分その場での作ではなく家に帰ってあるいは心の整理が出来てからの作だとは思いますがこんなに哀しい表現がよくできるものだなと芯の強さなのか作歌意欲なのか、感心してしまいます。晩年になっても決して老成せずいつも己を見つめ続けていた空穂でした。

4月11日 営業担当者の雑記

桜の追いかけが一段落しました。今年は樹齢400年ともいう市川弘法寺の伏姫桜、800年になろうかという北本市東光寺の石戸蒲桜、100年は経ているだろうという市原市の与市郎桜といった一本桜と冬桜、オオシマザクラ、ソメイヨシノなど色んな桜が5000本以上とも言う妙義山の桜の郷等に行ってきました。伏姫桜は二十数年前見たときからは大分弱ってはいますがそれでも大きく広く垂れ下がる枝枝は豪華です。。東光寺の蒲桜は流石に最初の木ではないようですがそれでも樹高、枝ぶりは貫禄があり少々満開を過ぎ散った花びらが地面を覆い尽くしていました。与一郎桜は何ともあけっぴろげな民家の高台にあり最近は小湊鉄道の宣伝にも使われていますが遮るもののない空間に向かって枝が伸びとても楽しい桜です。また妙義山のは吉野山をイメージしていたのですが山の斜面、谷などに纏まって咲いており見渡す限りの桜という風情ではありませんがそれでも薄い、濃い、花びらの大小などいろんな種類があり足腰の疲れも吹っ飛びました。

4月8日 営業担当者の雑記

バドミントンの日本を代表する二人の選手が違法カジノ店で賭博をしていた疑いで警察が事情聴取を始めたとの事。二人は所属会社に対し事実を認めているようだ。一人の選手は世界ランキング2位でリオオリンピック出場が確実視されていたが今回の件で日本バドミントン協会は推薦しないことを決定したとのこと。この両選手は国内では抜群の成績で所謂スター選手。言動も派手でバドミントンを目指す子供達の憧れだったようだ。才能にも恵まれてはいたでしょうがそれでも並み大抵の努力ではチャンピオンにはなれないでしょうにもしかした選手生命も危ないかもしれません。海外でもこういった場所に出入りしていたとの事なのに周りの人たちは注意することはなかったのでしょうか。それとも天狗になっている二人は聞く耳を持たなかったのでしょうか。試合後のコメントでは随分勇ましいことをいっていましたが、あくまでバドミントン選手としての評価であって自らその名誉を傷つけてしまったら一介のおバカにいちゃんってこと分かってるのかなア。

4月8日 営業担当者の雑記

今日電車に乗っていたら私立小学校の生徒が「今日は入学式なので。。」と話していました。どの学校も大体この時期ですね。自分自身のことになるとあまりに昔のことなのでよく覚えていませんが中学、高校には母親と行ったような記憶があります。入学式は大体平日にあるので子供たちの時にも多分妻だけしか行ってないと思います。学校には大概桜の木が植えてあり入学式の頃は満開というのが定番ですがもし明日が入学式の場合は少々危ないかもしれません。今朝の天気予報では今晩は傘をさして歩くのが大変な程の風が吹くとの事です。まあそれでも地面一面が花吹雪というのもいい思い出になるかもしれません。いつの世も入学式、入社式というのは希望に満ち前途洋洋とした雰囲気を漂わせた人々が集いいい雰囲気ですよね。私はもう少し桜を楽しみたいので「春風の花を散らすとみる夢は起きても胸のさわぐなりけり:西行」といったところです。

4月6日 営業担当者の雑記

今日はいい天気なので営業に出ました(?)。先日八柱霊園脇の桜並木が切られたり間引かれたりでがっかりだと書きましたがやはり満開になると凄いです。特に市立松戸高校から紙敷にかけて木々が両側から空に向かって伸びており青空に映える薄いピンクの花が少し散り始める様は桜の花びらに囲まれて走るような感じです。歩道も結構広いのですが勿論花見客もいず満開を楽しめます。車の運転には注意が必要ですが。またさらに国分川の黎明橋から下流にかけて嘗ては草が伸び放題で汚い川だったのですがちょうど付近で堤防の工事をしている為草を刈り取っており河原一面に植わった菜の花と川岸の桜が満開でとても鮮やかなコントラストです。この川岸は松戸向陽高校の学生さんや散歩、犬連れの人たちで比較的人が多いのですがこの時期はちょっと点数が上がりそうな景色です。今年はあまり見えませんでしたが丁度この位置からは富士山やスカイツリーが顔を出し夕焼け時は一層眺めがいいところです。

4月5日 営業担当者の雑記

今日は久しぶりに寒い朝でした。花冷えとでも言うのでしょうか。先週末には大体桜も満開になっているようですからこの寒さで花の時期が伸びることになるのでしょう。この時期新聞のコラムには必ず「西行」の歌が一つ二つ紹介されますよね。確かに花(桜)の和歌をこれだけ沢山そして様々な表現でその花狂いぶりを表現した人もいないかもしれません。でも平安時代末期戦乱の世に生きた彼は花を愛でただけの軟弱坊主ではなく世を捨てたといいながら結構政治的な動きもしているのですね。ある時は高野山の寺の勧進の為に平泉に行き途中鎌倉で源頼朝をあしらったり同じ職場にいた平清盛に金の無心をしたり。若いころは北面の武士として文武両道に秀で女性にもて出家してからも都と高野山、伊勢、東北を行ったり来たりする行動派で彼の居る所に女御達が慕ってきたといいます。思い通り花の盛りに亡くなったというのは出来過ぎですが。「おしなべて花の盛りとなりにけり山の端ごとにかかる白雲」今年もあと少し花を楽しめます。

 

4月4日 営業担当者の雑記

昨日は曇りでしたが桜真盛りということで朝から出歩きました。まず近所の花見川沿いはまだ6,7分といったところでピンクの提灯がたくさんぶら下がり宴会の用意は出来ていましたが花は少し早い様子。次に市川弘法時(ぐほうじ)の枝垂れ桜。急な階段を上り切った境内に鎮座する「伏姫桜」と名付けられた樹齢400年の一本桜。ここはもう20年ほど前から見に来ているがやはり高齢の為か樹勢は衰え加減、花の数も心なしか少なくなったように思います。それでも樹高15mから10m四方に流れ落ちる花は見事なもので付近に植わっているソメイと合わさり桜色の霞が掛かっているようでした。近くなので里見公園にも行きましたが花より団子の方たちで賑わっていました。そしてこれも近くのじゅんさい池緑地にも行ってみました。前から気になっていたのですがここは人も少なく池の周りには大きなソメイが池にしなだれかかり八重がアクセントになり予想外の素晴らしさでした。朝からどんよりした天気だったのですが少し明るくなりシャッターチャンスも出来ました。